このO1b2a1a1の47z(CTS713)は 移民してきたM-176系列から列島内で変異した
時代は縄文中期 陸稲を持ち込んだ人々
地域の中心は 古代のあずまの国々 主に関東地方だ
満州や朝鮮半島にも少数ながら分布しているので
列島の関東地方から大陸へ再移民した倭人だろう

古代の列島には 先住の縄文人の集落が散在していたが 人口密度は低く 無人の野が広がっていた
縄文人と倭人の混血はこの頃始まり
漂着した倭人部族はごく少数であったが 文化の交雑は始まっている
後期縄文時代には 津軽海峡以南の列島ではかなり混血が進んでいたと思われる
日本人の遺伝子基礎が出来上がったのはこの頃だろう
同じ縄文人であるアイヌ人は 孤立化した北海道地域で独自の縄文文化を継続し
本州以南の列島が弥生時代に入っても 縄文文化を継続した
やがて
極東シベリアに居た古代粛慎であるオロチョンやニブフやコリヤークなどと混血をし
彼らの文化を受け入れ 北方民族との混血ハイブリッドとなってゆく
平安期には ヤマト人との交流も増え 擦文文化からアイヌ文化へ変容してゆく
ちなみに 江戸期の琉球人は
平安末から鎌倉時代に南九州から移民したヤマト人と
古代からの沖縄現住の縄文人とのハイブリッドと思える
近代の新大陸アメリカへのヨーロッパ人の植民に似ている
が 米国との大きな違いは
植民したヨーロッパ人はネイティブアメリカンと戦いを重ね
モンゴロイドのネイティブアメリカンは少数民族になってしまったが
倭人は列島のネイティブである縄文人と混血を重ねた事だ
ヤマト人は縄文人と倭人のハイブリッド
日本人は 更に漢人や その他の多種多様な民族とのハイブリッドだ
倭人は漢人と同じ様に中国大陸で発生した
中国の王朝の遺伝子を見れば大まかな固まりが分かる

現在の日本で
全ゲノム解析では縄文人由来の遺伝子は約10%位である
これは
後から渡来した新モンゴロイド由来の多種多様な遺伝子が均等に混じり合ったことを意味する
縄文人の遺伝子はモンゴロイドが発生する以前の古い遺伝子である
縄文人由来の父系遺伝子Dタイプを保有する割合は40%に達する
倭人系父系遺伝子O1b2タイプが約30%
漢人系父系遺伝子O2タイプが約20%
Cタイプを含むその他が約10%となっている
遺伝子の残存率を見ると 混血を重ねたが 現代 縄文系が主流となっている
この混血率が民族の特徴となるのかも知れない
縄文人を含め 全て列島への渡来民で 列島へ来た時期が異なるに過ぎない
縄文人も倭人も 基本的に海洋民である
ふと妄想するのだが
中国大陸へ渡って定着した縄文人が倭人ではないのかな?
里帰りした?
などと思ったりする でも これは根拠のない飛躍だな
現在の日本にいるのは日本人である
縄文系日本人 倭人系日本人 漢人系日本人はいるだろうが
古代の 純粋な 縄文人 倭人 漢人は 現在存在しない
古代の 縄文人 倭人 漢人は それぞれが我々のご先祖様である
我々現代日本人は混ざりあったハイブリットであり
縄文人・倭人・漢人それぞれのどれかに日本人の単一のルーツを求めるのは論理的に無意味と言える

2年前に表にしたのを再び眺めてみる
稲穂を刈り取る石包丁の分布を見ると
刃が下 持ち手が上だ 大きさも形もそれぞれ特徴がある
同じ様なタイプの包丁が中国の遼東半島や黄河南岸中流域にも出土しているので
多分 B・C・D列が列島に移民してきた初期の倭人と思われる
一部族内で てんでんばらばらに異なる収穫の道具を使用するのは考えにくい
朝鮮半島から大挙して押し寄せたと言うのも考えにくい
どうやら 弥生時代の1000年間の内
水田耕作の知識や籾を列島に持ち込んだ人々
倭人達は少数集団で 三々五々 年代や地域を選ばず列島に植民したようだ
漁に出て遭難し列島にたどり着いた人々もいるだろう
東の海の彼方に蓬莱山があると信じて計画的に航海した人々もいるだろう
国が滅び やむなく難民となった人々もいただろう
基本的には中国大陸内の戦乱を避けた 政治的難民と思える
大陸では暮らせなくなり 新天地を求めて移動したのだろう
B列の部族のルートは長江の中・下流域から山東半島に一旦定着し
船で海を渡って 山東半島からダイレクトに南九州・四国・関東の順に植民
C列の部族は長江の中流域から直接山東半島へ
朝鮮半島に植民せず 船で海を渡って近畿地方に上陸
陸伝いに越地方に植民 そして関東へ南下した
D列の部族は長江の中・下流域から山東半島へ
山東半島から黄海を渡り 沿岸沿いに南下し 朝鮮半島南部に植民
さらに 対馬海峡を渡り北九州に上陸 南九州と四国まで植民したが
近畿地域には入っていない
その後 海路で列島を北上し 東北地方に植民した

E・F・Gの各部族が弥生時代の何時の頃かは分からない
弥生後期あたりかな?
E列の部族は長江の中・下流域から 直接列島の東北地域に渡海し植民した
F列の部族は長江の下流域から 近畿地域に直接植民
G列の部族は山東半島で独自に変化した石包丁を使用している
満州遼東地域に植民した部族もあるが
彼らは 朝鮮半島を南下し 朝鮮半島南部に植民
さらに対馬海峡を渡り 北九州地域に植民
南九州には入らず その後 四国から近畿地域へ植民
近畿地域にはC列の部族が先に植民していたが 妥協したのだろう
その一部は 中部関東を避け 東北地域へ植民している
これが近畿ヤマトの主流の可能性が高いかな?

H・I・J列は弥生末期かな?
Hは列島内での変化
I列も弥生末の環玄界灘文化圏 中国から見た倭国が使用していた
J列は北満州にいた倭人か女直系の部族だろう
石包丁の時系列がまだ定かではない
現代歴史は文学から科学に移行しつつある
時間が経てば 順序が分かってくるだろう
素人の推測遊びが出来ない時代も悪くはない