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AB19450916VIRGO
 

「何故?」 この疑問の持ち方は 自己中心の世界を作る危険があった

2019-11-14 18:00:49 | 現代史観察日記
例えば 人類にとって 地球と太陽の奇跡的と言えるほどの位置を考える

何故 地球は生命が発生する位置にいたのだろうか?
何故 生命や人間発生に適した惑星配置のような奇跡的出来事があるのだろう?
何故 我々は今も生存しているのだろう?

この神秘は偶然ではあり得ない 神の采配と思う人もいるだろう
奇跡的偶然によって我々は存在していると思う人もいるだろう
必然であれば 必ず理由があるはずだ と 思う人もいる
天変地異から政治まで 何らかの意味を持たせようと思いを巡らす人びともいる

自然は偶然と確率で存在し続けている
そこに 人間の意志が入る余地はない

滅亡論や陰謀論もそのたぐいだが
あらゆる事象は人間中心主義で押し進めれば 
全ては人間の為のもの と なる
信じるのはそれぞれの自由であるが
他者に自分の意見を強制するのはよくない

例えばの質問に対して
事実は 太陽系草創期自然の物理法則により太陽系カオスから原始地球が出来た
その第三惑星は たまたま偶然 所謂 ハピタブルゾーンにあった
やがて その結果 自然法則にのっとったランダムな偶然の積み重ねが続いた
やがて地球はRNA発生環境に変化し 生命の無限進化のトリガーが引かれた
無数の偶然の積み重ねなのだ

そのプロセスに意味を見出そうとするのは人間である
事実は無数無限の偶然のプロセスの結果だ
個々のプロセスそのものにたいした意味はない
だがそのプロセスの組合せパターンは重要な意味を持つ 
コンピュータのマシン語が0と1の組合せで無限の表現が出来るように
意味のない出来事の積み重ねが 現実を生む
そのことを 理解しなくては
「何故?」ではなく
「如何にしてこうなったか?」
信じ込みによる唐突な結論ではなく
同じ結論に至る異なるプロセスは無数にある
一本道をゆくのが「何故?」
多数の道を横断し調べながら目的に至るのが「如何にしてこうなったか?」
如何にしてその結論に至ったか そのプロセスの分析が重要と思う

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「モノをありのままに見ること」という意味を、「自分に素直に」「心の命ずるままに」「自然体で行こう」などと、人間性(=理性)を捨て去った動物的感性(=情緒・感情)こそ、まさに智慧なのだとはき違え、「そのままでいいんだよ」「人間だもの」「自分の今のままが仏の姿なのだ!」などといった、なんの解決にもならない安易な、そしてあまりに愚かな現実肯定の言葉を喜んでしまう人が大変多いようです。
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この人の言葉 大事だな

空疎な人間至上論が多すぎる
人間だから 何時でも 全てに 弱さ 我儘も許されるというのだろうか
緩さは 個を保つため とても大事である 
心が折れている時は治療のためこの状態が必要ではある
だが回復すれば現実の中を歩いてゆく事が必要
骨折と同じように 心折の傷跡は以前より強度が増す
人として矜持を保つことも大事ではないだろうか
謙虚さを忘れてはならない
それこそが人間である証と思う
生活に追われて つい忘れがちになるが人間は自然の一部 
それを忘れてはならない

自分への戒め自分に語る 

それはそうとして
何故自然現象を数式で語れるのだろう?
自然法則は何故存在する必要があるのか? 
誰が決めたのか?
偶然の積み重ねとは何なのか?
いかにして自然法則は普遍となったのか?
何故自然法則がそうあるべきなのか?
でも 自分も 「何故?」になってしまった
思考習慣を抜けるのは

ジジイになっても
???理解は難しい



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