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話をちゃんと聞いていない今日この頃なので
妻の帰りは明日であった
上着のポケットに入っていたぬくもりを温める
TVのがんばれプアーズと言う番組を見る
豊かな貧乏人か 失って久しい
結婚していらい 常に家には家族がいた
独り身の頃は自由であった だが寂しさが伴っていた
今 じじいの身で一人であったならと考える
自分は運命と言うものを素直に受け入れる性質なので
やはり 考えるだけで意味がなく
そうであったなら そのように普通に過ごすだろう
今日もビッグAに寄り いつものように食材を買う
年寄りが半分以上 いつもの風景だ
最近仕事の疲れが溜まっている
130坪近い工場で6台の機械を動かす
生産計画から実務作業まで一人でしなければならない
この業界は 中国に仕事をとられて久しい
サンプル出荷をすればコピーされ安い単価で仕事をとられる
競争であるから仕方がないが
機械も日本製 技術者もリストラされた或いは引き抜かれた日本人であるらしい
いや 中国移転の日本の企業そのものが 日本のライバルであるというのは皮肉な事だ
もっとも 中韓にまだ技術開発力は育っていない
彼らに創造力や開発能力があるのか今は定かではない
その答えは十数年先の事だ
今は サバイバルゲームの真っただ中にある
単価競争がいつまでも続くとは思えない
ただ頑張るのみだ
夕飯を作る
大根粥 ホッケ 目玉焼き 妻が作った生姜入りの胡瓜の漬物
ガス代含めて300円くらいかな
これでも 終戦後の生活に比べればご馳走の部類だ
昔を思い出す