クリスマスイブ
何時もの冬の朝
ストーブをつけ 着替し 湯を沸かし 茶を入れる
車の音が時折聞こえる
賑やかだった子供たちとの暮らしを
ふと 思い出す
夫婦二人の生活は静かで変化も無く
世間様の喧騒を余所に 判で押したような日々が続く
年齢が行くと変化を好まなくなる
今 老人を初めて経験している
人生は常に初体験の連続だ
仕事のデータを打ち込むとき
西暦を使うようになって久しい
1945年 昭和20年生まれ
日本の戦後と同じ年齢
戦後の日本と一緒に歩いて来た
年齢別人口統計では男女合わせて130万人くらい
日本の人口の1%ほどだ
団塊の世代は 戦後のベビーブームは1946年昭和21年から
1945年生まれは少ない
端境期
小学校では 尺貫法 メートル法 ヤードポンド法と
3種の度量衡制度を覚えさせられた
町では 100匁いくら 靴の大きさ10文 体重計は10貫と100匁
土地の広さは ヘクタールとアールとへーべ 何町何反何坪が同時に使われていた
進駐軍の単位は マイルでありヤード インチであり ポンド オンスであった
ネジ切り飴が1個50銭 50銭硬貨がまだあった
札は100円札までしか見たことがなく
100円は子供にとって途方もない大金であった
親父の月収は多分数千円程度だったと思う
昭和44年自分の初任給は19000円程だった
所得が増えれば物価も上がる
豊かとは? と思うと
生活のし易さを考えると
庶民の生活は 昔も今もひょっとして変わらない?
どちらにしても
食うために汗水たらして働く
それが まっとうなことと思う
お前もう要ら無いと言われるまで
いや そうなっても 働きたい
自分は楽をしたら すぐ衰えてしまう
元気でいるためにも 死ぬまで働いていたいと思う
もうすぐ正月だ
今年も終りだなぁ
今日も仕事頑張るべ