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AB19450916VIRGO
 

永井荷風の日和下駄

2010-09-01 06:54:12 | 日記
ザクロが垂れ下がっていた
それだけの事なのに

写真は下手でも
自分の心が動くのが嬉しい



何度も読みたい本だけ買う
出来れば文庫本で

蝙蝠傘片手に日和下駄を履いて当時の東京市を
文字の中に浮かぶ 荷風がいい

好みの作家は数少ない
最近の人は一度読めば 又読みたいとは思わない

じじいだから読んだ本は万を超える

でも

内田百けん(?になってしまった 門の中に月でけん) 
永井荷風 
開高建 
司馬遼太郎

後は・・・ いないな

同じ感性を感じる人だけ好きになる
誰でも同じだろう
好みは千差万別だ

人が大好きなくせに
人に拘束されるのは苦手

泊まりの旅を含めてふらつくのがいい
散歩は近所とは限らない
家を出れば それで散歩になる

仕事は生業 不自由至極である

だが仕事をしてれば
大抵の日常の煩瑣な悩みなど それどころではなく
やがて 仕事の繁忙に 雑事なぞ薄らいでしまう
仕事はストレス解消には最適なものであり
又日常からの 逃避場所でもある

とはゆうものの 人との関わりからは逃れ得ない

連れのある散歩は ややもすると仕事になってしまう時がままある

無意識のうちに相手に気遣いし
相手の不興を買わないように気を使ってしまう
自分の好き勝手に動けば 連れは疲れ寂しがる

連れとして楽なのは
糟糠の妻か 気心の知れた友人のみだ

心許せる人が一人もいなかった若い頃
一人で旅をすると ふと 人恋しくなったりしたものだ
時には現実逃避にも

常に 寂しさが付きまとっていた

若い時の恋と言うものは

互いに 欲望と 自己主張をぶつけ合うだけで
体をゆるし 心をゆるしているにもかかわらず
互いにわかり合い 認め合いなど 望むべきもなかった

確実な愛と思われたものが
何時しか 嫌悪と憎しみに変わり
何故別れたか 定かでないまま 

喧嘩別れになってしまったり

あるいは なんとなく 自然消滅

昔は

妻も含めて
心許せる女はいなかったように思う
不可解に心を変えてゆく女にうんざりしてたように思う
理解できなかったんだろう
勿論 今も理解は出来ない
不可解は不可解のままでいいと思うようになった

その妻も日常の戦いを共にするうち
大事な戦友となっていった

じじいになって

歳月がそうさせたのだろうか?

違うな

時が解決をしてくれるわけじゃない

あらゆる 体験を経て
相手を思いやる気持ちが本当になった時

何かが変わってゆくのだろう

信じるとか 信じないとか
心を許すとか 許さないとか
愛してるとか 愛してないとか

そんな事 さして重要な事じゃない

互いの存在が
気持ちが 普段と変わらず
気負いもなく
そこにいるのが
当たり前になってゆく

そこからかな 一人が始まるのは

一人で散歩をして
微細を楽しんでいる時
常に彼らが共にいるような気がする

人が人と 不安のない 穏やかな信頼感を共有する
傍らにいても いなくても一緒だ

こうゆうのが欲しかったんだな

おひとり様なのに一人じゃない

一人を楽しめるのは
一人じゃないからだろう



夏バテでへとへとだけど

俺 多分 幸せなんだろうな

よくわかんねえな


追記

暑い日だ
仕事にはいい日だな



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