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気ままなオジンが独断と偏見で神戸市内で見つけた、不思議や疑問に思ったことを勝手に書いています。

湊川公園が高いところにあるのは、なんで?

2022-03-28 12:42:38 | 日記

湊川公園はなぜ高いところにある!

なんで?

湊川公園はなぜ高いところにあるのか?

という疑問を先日調べる機会があったので、そのことについて調べたことと、
私が、先代と先々代から伝え聞いた話や、長年湊川公園のそばで育ち暮らした
経験などを交えた結果をここに書いてみます。

そう言われれば本当に高いところにありますね、
トンネルの上に物が建てられないから公園にしたのではないの、
と思われる方もいると思いますが、
実はこの公園は100年以上の歴史がある公園なのです。

以前から、湊川は3つの流れの変遷があったと考えられています。
現在旧湊川と言われている流路よりも西側を兵庫港の方に流れていたものと
される説があります。これを歴史学上「古湊川」と呼ばれています。
現在言われている旧湊川の流路に変更されたのは平清盛ではないか
と言われる伝説もありますが、文献などがないため
それに関しては定かではありません。江戸時代以前の「古湊川」江戸時代と
明治初期を主に流れていた「旧湊川」そして現在の「新湊川」です。

ここで湊川公園とかかわりのあるのが「旧湊川」の流路です。

この旧湊川は、六甲山系の再度山(467m)の北あたり、
および鍋蓋山(486m)から発する川で、天王谷川と呼ばれ
国道428号線(有馬街道)沿いから平野に下って南に流れています、

一方、菊水山(458m)付近で石井ダムとして蓄えられた
石井川(上流では烏原川)はふたたび烏原貯水池に蓄えられ
そこから流れ出る川が石井川となり、南へと流れています。

そしてこの二つの川、石井川と天王谷川が、雪御所付近で合流します。

ここから湊川という名前になり、大阪湾に注いでいました。

 旧湊川のイメージ画像

六甲山系から流れ出る花崗岩の土砂に、この付近を侵食した洪積期層の
土砂を加え、次第に河床を高めて浅くなり、危険なため川の堤防を高く築き、
さらにまた流れてきた土砂により浅くなるとさらに堤防を高くし、
次第には巨大な天井川となって行きました。

その天井川となっていた面影が今でも残っています。

上へ上へと積み上げたとみられる形跡も

このように巨大な天井川となって今の兵庫区の市街地を北から
南へ縦断するように大阪湾に流れていました。
そのために明治時代になり、今まで大輪田の泊りとして
江戸時代に栄え神戸の中心地となっていた兵庫津(兵庫村)と
明治に入り神戸港として開けて外国人が入ってきた
居留地(元町)周辺が中心地となった神戸村と行き来をする障壁となり、
また度重なる水害の原因となっていた、その上に神戸港の水深が浅くなる
懸念もあったために、湊川の流路の変更は1868年(明治の初め)ころから世論に
出始めていましたが、民間や自治体、地元などの話し合いがうまくいっていませんでした、
ところが1896年(明治29年)8月神戸に大水害が発生、これを機に一気に話が進み、
翌年1897年(明治30年)ついに改修計画が認められ10月に着工しました。
そして4年の歳月をかけ改修され、1901年(明治34年)市街地を避けるように、
流路を西の方に向け、新湊川として、会下山の下に「湊川隧道」
という川専用のトンネルを造り、現在の長田区から苅藻川に合流させ、
海にそそぐように改良されました。

そして旧河川流路が廃川となったので、この旧湊川の河川敷は埋め立てられ、

この埋め立てられた最北部から1㎞程に道路(現在の東山商店街)をつくり、
その下流部を公園とし、さらにその先を道路にし、新開地として両側に、
24の映画館や劇場そして飲食店などが並び、東の浅草・西の新開地と称され、
正月三が日には一日10万人、年間400万人の人出でにぎわう
神戸一の繁華街にになりました。

さらにその先は、堤防部分も削られ平地にし、川崎造船所に至るまでの河川敷を得たのです。
そしてその平らな部分に、東西に広い道を通し、やがて路面電車なども通り、
兵庫村と神戸村の行き来をスムーズにしたのです。

こうしてできた「湊川公園」ですが、その後、湊川公園とその周辺の変遷は、
1911年(明治44年)に埋め立てられたほぼ中央あたりに湊川遊園地(湊川公園)が開園しました。
1921年(大正10年)にその公園の下をくぐるように湊川トンネルが開通したため、
今の感覚のようにトンネルの上に公園があるのではなく、
公園の下にトンネルがある、という形になりました。

1924年(大正13年)湊川公園と新開地のシンボルとして、
「神戸タワー(新開地タワー)」が建設されました。
高さ90m(海抜100m)もあり、当時では東洋一高い塔だったようです。
(1968年(昭和43年)老朽化のため解体)


当時湊川公園に在った神戸タワー

1928年(昭和3年)には、この河川敷の川底に北側からトンネルを掘って、
湊川公園下に、神戸有馬電軌鉄道(現在の神戸電鉄)の
神戸駅(現在の湊川駅)を地下駅として造られましたが、
実際は地上駅で道路から入ったところがホームでした。


神戸電鉄の開業当時の湊川駅

1930年(昭和5年)当時世界の三大海軍国としていた日本は、
神戸港沖で観艦式を行いそれに合わせて、神戸海港博覧会が、
兵庫港をメイン会場にして、第二会場を湊川公園が当てられ、
勧業館を本館に「湊川水族館」(昭和18年まで存続)や
野外ステージの「音楽堂」などが造られコンサートなど、大いに賑わいました。


湊川公園に在った音楽堂

1935年(昭和10年)に、大楠公600年祭にあたって、
「大楠公銅像」が寄贈建立されました。


湊川公園に在る楠正成の銅像

1938年(昭和13年)7月3~5日降り続いた雨により、阪神大水害が発生、
この地区も大きな被害をうけました。その時の慰霊碑が、最初に記した、
石井川と天王谷川の合流点にある、雪御所公園に建てられています。


昭和13年に崩壊した湊川

1945年(昭和20年)に神戸大空襲があり、ほとんどがが焼き尽くされましたが、
湊川公園や神戸タワーなどは大きな被害から免れましたが、
あたりは焼け野原になりました。

終戦後の湊川付近同年10月には,橘通りにあった
神戸市役所が行政窓口の効率化を図るため、
湊川公園の西に隣接する市立第一高等女学校(現・湊川中学)の校舎と
湊川公園の北にあった勧業館の建物に移しました。
1957年に三宮の方に新庁舎を建て市役所は移転、
そのあと勧業館は兵庫区役所となりました。
その兵庫区役所も、1975年(昭和50年)に建て替えられて、
兵庫消防署などと隣接されていました。


湊川公園に在った勧業館と旧市役所になっていた学校の建物

1945年以降の戦後、昭和20年代から30年代まで、湊川公園には引揚者住宅、
映画館(芝居小屋)、ときには、サーカス小屋、大相撲巡業などもあり、
スポーツランドという遊園地もありました。このスポーツランドには、
サークリング、鬼退治、早馬(遅馬)、回転上下する飛行機などがありました。
同じ時期には、公園の東側にやみ市場ができ初め段々と発展し、
湊川商店街(パークタウン・センタービル専門店・湊川プラザ)・
湊川市場(ミナイチ)・湊川中央市場(ハートフル)・東山商店街・マルシン市場で
構成され神戸の台所として現在のような、神戸新鮮市場となりました。

現在の湊川公園付近の市場

1955年~1985年(昭和30年代から昭和50年代)にかけて、湊川公園では、
消防の出初式や、花火大会、お盆の時期には、櫓が立てられ盆踊り会場になり、
精霊流しの受付会場になったこともありました。


昔湊川公園で行われていた行事

1967年(昭和42年)7月9日、神戸に三日間降り続いた雨のため洪水が発生、
湊川の起点である、菊水橋付近で水があふれだし、荒田町をはじめ周辺一帯、
床上浸水の水害となり、その時の避難先が皮肉にも湊川公園でありました。


1967年湊川付近の水害の様子 (神戸市のホームページより)

1968年(昭和43年)に神戸高速鉄道が神戸市内でそれぞれ独自の駅があった
私鉄4社を「東西線」「南北線」の線路を完成させ、新開地で接続し相互乗り入れの
事業を開始したため、湊川公園の下にあった、神戸電鉄も湊川駅を
さらに地下に移し新開地まで延伸されました。

旧湊川の後に出来た神戸高速南北線の路線図 (神戸高速鉄道ホームページより)

1983年(昭和58年)神戸市が山手幹線道路下に、神戸市営地下鉄、西神山手線を開通させ、
この湊川公園のさらに深いところに、湊川公園駅をつくり開業させました。
そのため、現在、湊川公園の下は、道路その下に神戸電鉄さらに
その下に地下鉄と三層構造になっています。


神戸市営地下鉄の湊川公園駅の図

1995年(平成7年)1月7日兵庫県南部地震が発生、湊川周辺も
大変な被害を受け、湊川公園から西側は特にひどい影響を受けました、
神戸電鉄も長田・湊川間で被害を受けました。
この時の慰霊記念碑が湊川公園に建立されています。


湊川公園に在る1955年兵庫県南部地震の記念モニュメント

地下鉄は大きな影響をうけなかったようですが、
この地震の影響で新湊川の湊川隧道が損傷し、
新しく迂回路として北側に新湊川隧道を建設し川の流路を変えました。
しかし、この工事中の1998年(平成10年)9月22日台風7号の集中豪雨により、
洗心橋付近であふれ付近の土地の低いところに浸水被害が起きました、
翌年1996年(平成11年)8月にも梅雨前線の豪雨で同じようなところから
水があふれ東山商店街を中心に周り浸水被害が生じました、これは
その当時の新湊川隧道建設工事の影響ではないかと言われています。
2000年(平成12年)には、この新湊川隧道(トンネル)も完成し、
旧湊川隧道は廃道となりましたが、その当時に河川を付替えるという
当時の地域社会情勢と歴史的経緯、トンネル施工技 術、土木構造物
として優れた意匠などが評価され、保存することになり、
現在は見学会やコンサートなどが催されています。


新湊川の新旧の坑門

2019年(令和元年)8月湊川公園北端にあった、兵庫区役所がすぐ南側に新しく
兵庫区総合庁舎が完成し移転、業務を開始しました、
隣接の兵庫消防署は、2021年完成する予定です。


湊川公園に在る現在の兵庫区役所

2022年には区役所のさらに北側のミナイチの後に、民間マンション
「(仮称)ワコーレ湊川公園」14階建て(地下1階)、168戸、一階は店舗、
が完成する予定です。

このように「湊川公園」は、現在も神戸まつりの地区会場であったり、
神戸市各地の農産物などが持ち込まれ、販売される「みのりの祭典」や新開地祭、
音楽祭の野外ステージとして利用されたり、毎月第4土曜日に開かれる。
「湊川公園手しごと市」など神戸市民にとってはなじみの深い、
特に年配の方々にはかけがえのない公園なのです。

 このページを書くにあたって、
兵庫県
神戸市
などのホームページを参考にさせていただきました。



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2 コメント

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Unknown (653-yamanet)
2022-03-29 13:34:45
@saaya03111021 ありがとうございます。このブログにて、記者を増やしていきます。また、見てください。
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Unknown (saaya03111021)
2022-03-28 23:53:14
凄いです!!すごく勉強になりました✍📚
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