道の真ん中に木があるのは
なんで?
東山町の道路の真ん中に木がある。
以前気になって先々代に尋ねたことがある。すると、
「昔は川筋であったようだ」といっていたのを聞いたような気がする。
このたび、前項にある湊川公園のことを調べていると、古湊川の存在を知った。
ひょっとして、と思い詳しく調べてみることにした。
このたび、前項にある湊川公園のことを調べていると、古湊川の存在を知った。
ひょっとして、と思い詳しく調べてみることにした。
しかし数百年、千年以上前のことなので古湊川に関する資料は
ほとんど見当たらない、流路すらわからないらしい。
とりあえず洗心橋あたりで旧湊川に流路を変更したらしいので、
とりあえず洗心橋あたりで旧湊川に流路を変更したらしいので、
そこから、道筋に沿って大きな木が、4~5本(伐採されているものも含め)
今でも残っている、そのあとを追ってみることにする。と同時に
国土地理院の地理院地図で土地の低いところを探っていくことにした、もちろん地殻変動などもあっただろうし、大昔のことなので信憑性は低いが
ロマンを求めるつもりでとりあえずやってみることに、
兵庫区は東の大倉山丘陵と西の会下山丘陵に挟まれた低い土地なので
まずそれ以外のところには流れることはない。
まずはとりあえずスタート地点から見て見よう。
それでは洗心橋あたりから見てみよう。
④ここで例の道路に木があるところになる。
伐採するに忍びない神聖なものとしてあがめられていた木のようだ。
現在のバス道を横切り、さらに西の方に流れていたようだ。
その先⑥あたりで、4mほどの段差がある、
今は神戸電鉄の線路になっているが、小滝のようになっていたのではないか?
ここから「川池」と呼ばれていた池になっていたようだ
池の南端から流れ出て西の方に流れ、
そこから南の方に向かっていたのではないかと思われる。
写真を撮る都合などで現在道路になっているところを主に測っています。
池の端から流れ出た水は、上沢通・下沢通方面へと流れていたようだ。
写真を撮る都合などで現在道路になっているところを主に測っています。
池の端から流れ出た水は、上沢通・下沢通方面へと流れていたようだ。
下沢通りから水木通りと水に関係のある地名を流れていたのではないかと言われている
さらに南の方に、地名も永沢町から三川口町、柳原になる。
JR山陽本線を超えたあたり、川筋が道路になったのかと思われるような道筋。
国道2号線を超えたあたりからさらに低くなる。
現在の国道2号線を超えたあたりから、地名が、北逆瀬川・南逆瀬川となる。
国道2号線を超えたあたりからさらに低くなる。
現在の国道2号線を超えたあたりから、地名が、北逆瀬川・南逆瀬川となる。
地名からすると、乾期には海からの海水が川に流れ込んでいたのではないかと思われる。
小河通を経て切戸町から海に流れ込んでいたらしい。
現在は運河になっているが、平安時代はこの辺りが海岸線だったようだ。
全体で見てみると以前から言われている流れとほぼ一致する。
いろいろ調べた結果、今まで言われている通りの流路のようでした。
いろいろ調べた結果、今まで言われている通りの流路のようでした。
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今の地形や地名から昔川があった場所を推測できるなんて!考察力が本当に凄いです!
私は学校で総合探求というグループで地域の課題を見つけて調査して解決策を提案するという授業があるのですが、こんなに隅々まで調査できていないので読みながら本当に凄いなと感激していました👏👍✨