整版の「大坂物語」には、家康を呼び捨てにしている箇所があります。假名草子集成で調べると、古活字版で関ヶ原の戦いが加筆された当初からのものでした。将軍でも大御所でもないので、軍記物にならったのでしょう。「三河物語」でも同様です。神格化の進んだ後年、「慶長軍記」や「関ヶ原軍記大全」では、家康公となり、そして欠字も多く見られます。
中村幸彦「大坂物語諸本の変異」で指摘されている、「たいふ公」から「家康」への変更は、假名草子集成では分かりませんでした。「いへやす」(第六種本)と、「内ふ公」(第五種本)「内府公」(寛永整版)の違いはありますが、意図的ではなかったと思います。開版や改版の届けを出さずにすむよう、延宝以降も文面をそのままにしたのでしょう。