失われた瞳に残された光☆

左眼を失ってから22年

片目になってから

2024-12-22 13:56:30 | 日記

義眼になって家での療養もそんなに長くはさせて貰えません

働かざる者食うべからず です

 

本義眼もでき、仕事復帰します

 

一番心配だったのは車の運転です

私の場合、利き目右目だったのでそこまで見え方苦労した感じはありません

 

【1分で分かる】利き目の調べ方- ツノダ-TSUNODA | 長野県飯田市のブランドジュエリー・時計・メガネ・販売ショップ

(良かったら利き目調べられます⇧)

 

療養中に色々調べたりはして、車の運転片目でもできる事は知ってはいましたが、やっぱり最初の運転までがグズグズとしてしまい...

何かとに頼りっぱなしでした

そんなを見てて

(父)「いつまでも怖がっててもしゃーないやろ、ちょっとずつでええで乗って慣れてかんと。」

 

確かに....

ごもっともです

 

そこからは少しづつですが感覚を取り戻しつつ距離感も確認しながら、今では高速も乗ってけるし 田舎道であれば細い道でも平気です

 

 の見えない左側に並んで歩くと、足を踏んでしまう確率と肩をぶつけてしまう事が増えます

なるべく歩く時は私が相手の左側で歩くようにしてます、そうすると足も踏まないし肩もぶつけない、そして相手の人は私が他人さんとぶつかりそうになっていたらすぐに気付いてくれるからです

 

 会社や、買い物日常のちょっとした事にも微妙距離感ズレがでます

例えば、レジレシートをもらう時、気を付けて受け取らないと相手は渡してるけど、数センチ前後でレシートの下を掴もうとして

”あれ?”

苦笑いとなったりします

 

 ドア開ける時は、引いた時に避けきれてなくドアの角をぶつける事が多かったです...

これはアザが出来るほど痛いので本当に気を付けています

 

 街中なんかでも、少しの段差が分からず、急にガクッとなって本当腰痛悪いです...

暗闇真っ暗なら皆、条件は同じでも、少しの暗みでもほぼ真っ暗に等しいです、さらに距離感が掴めなくなり身動きがとりにくいです

階段も気を付けないと躓いたり、階段が終わった所をまだもう一段あると変な降り方になったりします

 

からみたら、んっ?って程度ですが、本人は とても恥ずかしかったり、痛み想像以上にやりにくい事があります

でも、殆どが自分自身で慎重にし、気を付けることによって解決できることばかりです

 

ある時、かかり付けの眼科の先生に、障害にはならないのですか?と、尋ねたことがあります

(先生)「障害者になりたいの?。」

何とも言えませんでした、すごく考えさせられました

 

 

片目になって今、22年経ちますが、少し気を付ければ何でもできます

その後、結婚を機に仕事をやめますが、再就職の事も考えヘルパーの資格を取ります

子供もでき、子育てに夢中になり、介護職にも就きその間に介護福祉士の資格もとり、本当に何でもできます

 

 

ある程度は

 

 

次は何を綴ろうかなぁ~

日曜日だし...ゆっくりしよう  しばらく休みとってあるし

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私の義眼の場合

2024-12-19 10:14:40 | 日記

義眼になってから22年経ちました

 

しばらく毎日頑張って投稿していきたいと思ってます

 

なぜなら残された光 に向かって進行中だからです

 

このブログタイトルにした【失われた瞳に残された光】をブログに残して 報告できるように、過去病歴や、私の身の上話をしておく必要があるのではないかな?と思ったからです

 

今はまだ 失われた瞳 のお話を綴っていますもう少し付き合ってもらおうかな...って 

(思ってないかw(゜レ゜)w 気になったらお付き合いください<(_ _)>)

 

 

さて、本義眼出来てからは 数年ごと義眼作り替えて 最終の私の義眼はこんなをしています

初めて見る方は、えっ!? まん丸じゃないの!?!?

って思う方も いるんじゃないかな???

 

意外いびつです

損傷病歴によって 人の目の中状態違うから、もさまざまだと思います

 

どうして、1回作った義眼(数十万円もするのに...)数年ごとに作り替えていたのか、それは

若い時に比べて22年の間、をくっちゃてるです

白目の部分って変化するんですよ

産まれたて赤ちゃんとか幼い頃白目青みがかっていて毛細血管も少なく綺麗白目です、澄んだ目って感じ

 

そう....もうおわかりですね??

を取ってくると、白目黄みがかってきて、毛細血管も多くなってくるんです

濁った目...ですね

ただでさえ義眼で少し違うのに...

あと、の場合、視力悪いので普段ソフトコンタクト右目に付けています

ソフトコンタクトを付けると黒目周りが少し青みがかっています

22年間最終3年前ぐらいから義眼師さんに、義眼右目と同じ様に黒目の部分コンタクトと同じ状態の色味にして欲しい!

と伝えて左眼義眼コンタクトを付けている様な黒目周り薄い青みかがった色味をしています

に出かけたり、に会う時、仕事日中がほとんどですし、日の光当たるとあからさまに眼の色状態が分かります

(自分で見た時、すごい..わかる!...と 見つけてしまったので...)

そうゆう理由で、義眼2年に1回、保険を使って作り替える事ができます

そうは、ゆっても毎回2年に1回 替えてられません...

いくら保険が利いて 少し戻ってはきますが、とても高価なもので保険が利いても10万以上しますし...

特別変化がなかったり、不具合が起こらない場合は最高4年間位はそのままです

1回...保証期間内黒目が少し違う方向に向いたりしてくる様になったので、作り直す方向で進めて貰った時がありましたが...

調整時何回もあり得ない方向黒目調整され...断念した覚えもあります...

その後、2年経ったすぐに新しく義眼を作りに行ったら、1発黒目を合わして来られてビックリした事があります...

こちらは、交通費もバカにならないのに...

(明らかにおかしいやん...と思われてもおかしくない対応...)

ですから、最終3年前義眼作りの時は、注文をしっかりしました!まずコンタクトの青み!

黒目位置が合ってからの本義眼作成郵便でのやり取りで通しました!!!!

 

これも22年間経験学習した事です

 

 

次は、片目になった事で不自由と思う事を綴りたいと思います

 

 

 

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本義眼までの流れ

2024-12-18 08:59:50 | 日記

2003年2月10日 医大を退院する

 

退院後は、しばらく仮の義眼をしたまま眼帯生活しました

 

会社落ち着くまで 休んで良いと言われていたので、ニートのような生活を送っていた気がします

(正直、22年も前の記憶はバラバラ.....)

 

両親は共働きで、当然私は家の事をしながら毎晩"どんな夕食を作って晩酌しようかな?"と、

意外にも家での療養楽しんでいました

 

 

さて、本義眼を作るには1番近い義眼屋に行かないといけません、医大出張に来られていた義眼屋さんだと近くが愛知県にあります

1時間半位かけて1週間1度程通うことになりました

まず、最初出向いた時は あまりにも怪しい建物すぎて何回出たり入ったりして確認したぐらいです,,,

建物古~い総合アパートビル?といいましょうか... 

その11階の1〇3号室となってます

周りビル立ち並び 日も当たらず、なんとも暗~いビル内

人の出入りもなくて、11階まで何事もなく辿り着くのか?

 ミュータントとか住んでないか?!

 

って ぐらい怪しい...

 

ホームページで見た住所のドアの前着きました、ちょっと記憶が曖昧ですが...看板もなく社名ドア明記されてたかも覚えてません

そっとドアを開けると、小さな1メーター四方玄関があり、すぐ前に4人掛けぐらいの、また古い長ソファが置いてあります

その奥によく病院でみる幅が狭めパーテーションがあり、その奥から

(店主)「どうぞぉー。」

(私)「はい、お邪魔します...]

(店主)「今日は?初めてですか?」

眼鏡優しそう白髪おじぃさんが迎えてくれました

パーテーション側へ行き、左にグレーの事務机に簡単置き鏡ティッシュ箱が置いてあり、その横対面椅子が2脚あって、そこに座り一通り経緯を説明して、仮義眼を外し義眼師さん席を立の見えない作業場に行き、ジャラジャラジャラと音がします

きっと義眼がゴロゴロと沢山あるんだろうな..."

奥から戻ってきた義眼師さん2,3個義眼はめて取り出しを繰り返し、1つ決めた所でまた、奥へ戻り、しばらく作業をしている様子です

結構な時間だったと思います20分ぐらいかな...

奥から戻ってきて義眼をはめました、義眼師見るように指示され後を追い正面に止まりジッと両目を見て

(義眼師)「どうかな?鏡で見てみて?」

(私)「はい。」

緊張と、不安両手に持って自分の顔を覗きました

 

 

” 私だ ”

 

 

黒目がちゃんと合うだけでこんなに人の顔印象違うのか!!ってぐらい、私の顔近づいていました

じんわりとしてると

(義眼師)「無眼球だから大きい義眼を入れなきゃいけないのだけど、上瞼の膨らみを出そうとすると 下瞼が重みで引き込まれ 下がって まつ毛も上に向いてしまうんだよね。だからある程度の大きさで我慢しないといけなくなるんだよ、義眼が落っこちてしまっても駄目だからね。」

 

義眼師さんとの端折りますが、義眼部分右目よりだいぶと凹んでしまってるから膨らみ欲しいけどそれは限度がある

とゆう事です

 

どこかで妥協しないといけない......

 

この言葉本義眼作成が決まりました

 

義眼にも沢山あります、のように無眼球のタイプだと大きな義眼だし、眼球が残ってたり義眼台がある人は薄目の義眼(大きなコンタクト)タイプになります。

はそこの義眼屋さん特許マイ・ウェットとゆう乾きにくい加工をしてある義眼に決めました

保険利きます一部なのでかなりお高くなりますhttps://www.atsuzawa.jp/product.html#shin(↞興味あったら見てください)

 普通義眼だったら保険でまかなえると思います(ちなみに、保険は2年経つとまた使えます)

この22年間他の会社義眼屋作った事もあります

が、やっぱりマイ・ウェット自分には合う実感したので、またここに戻った次第です

 

複雑な気持ち本義眼作成に進み、次回の時受け渡しとなりました

 

本義眼が出来てからは普段の生活に戻り、人の目過剰に気にしつつ  T君との関係終止符迎える事になるのです

 

 

次は義眼になってから(片目)のお話を思い出しながら綴りたいと思います

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義眼作成まで

2024-12-16 14:30:55 | 日記

ここからは

義眼作成までの事を綴りたいと思います

 

 私は無眼球です、眼球摘出によって目玉まるっと執った状態です

眼の周り組織(瞼や涙腺)損傷なく残っているので瞬きもでき泣くも普通に出ます

 

無眼球の部分は(中)ちょうど口の中の状態をよく似てます、ピンク色の粘膜になってます

 

http://plaza.rakuten.co.jp/nishiwakiganka/diary/201607150000/

 (⇧無眼球で義眼を外した状態が紹介されてます、興味ある方は見てみてください)

人によって、眼の中の状態が違います

怪我事故だと眼の中の状態によって制作の仕方も違うと思いますし、小さな子供さんですと幼いころからずっと 成長とともに作成し、骨格が決まるまで義眼作成は続くそうです

 

入院中、出張義眼師さんに仮のを義眼入れてもらった時を思い出します...

本義眼(作成した義眼)までは、なるべく眼の中の体積確保する必要があるそうで、そのために大きな仮の義眼を入れておきます

と説明がありました

もし、確保しないで仮の義眼を入れとかないと、中の肉(組織)が普通に傷口を塞ぐように盛り上がってきてしまい義眼が入るスペースが無くなってしまうからです

 

ジャラジャラ義眼師さん沢山ある義眼の中から私の空洞の左眼

「ちょっと失礼しますね。」

と、代わるがわる眼の様な仮の義眼を入れていきます

何個目かの仮の義眼で

「ちょっと、眼の黒目の位置とか、今は全然 合ってませんけど...眼の中の確保が大切なのでこれでしばらくお願いしますね。」

と、しばらく本義眼の代わりに入れておく義眼が決まりました

 

 

またまたトイレでどんなもんか見に行きます......

 

またもや

 

 

 

 

 

ホラーです...

 

黒目の位置が全く違う所を向いたままで、しかも出目金のように目玉が少し飛び出ています

 

 

"いったい、私の顔はどんなになるんだろう....."

 

 

 

両方の目から涙がまた こぼれ落ちました

 

 

 

 

次は本義眼が決まるお話を綴りたいと思います

 

 

 

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お見舞いに来てもらいたくなかった理由

2024-12-15 19:22:15 | 日記

約二十日間入院していたのですが

その間に、お見舞いに来てくれた人は、はもちろん、彼氏のT君1回

当然、私の住んでいる所からは遠いからとゆう理由もあります、この理由で私の友達にはお断りを入れました

勤め先社長は、「○○さん!営業と皆でお見舞いいくからな!頑張ってこいよ! ちなみに...術後1週間経ったらええか??」

と、言ってくれたのですが...

手術をしてどんなになるか分からない不安もあったし、それ以上に容姿を見られたくないこの気持ちが大きかったです

モジモジ言葉をにごしてその場は終わったのですが、次の日、察してくれてたのか、

(社長)「○○さん、お見舞いやけどな...あれや...、昨日、嫁に怒られてな...、女の子やのに皆でお見舞いなんて!デリカシーない!って(笑)すまんの。お前さんが戻って来たら盛大にお祝いしような。頑張ってこい!」

と、

ホッとしました

社長の奥様感謝です

 後はT君です。

「俺、遠いのに、お見舞い来て欲しいの!?」

ガッカリです

入院中電話で連絡はしてましたが、少し私が寂しい的な感じでごねると1回だけ来てくれました...

冬だから

”さみぃ~!”

だの、

”喫煙所あんのけ?”

だの、

”遠かったわ。”

と、文句だけ言ってた記憶があります

1時間も経たず帰って行きました

 でも

入院中、サプライズもありました

ベッドで漫画を読みふけっていると、優しい看護師さんが

「○○さん、花が届いてますよ。」

と、花籠が届きました

宛先は、同じ会社の倉庫管理のYさんです

私は食品卸一般事務をしており 担当業務在庫管理です、在庫管理は商品の出し入れなどしている倉庫管理Yさんとは懇意にしてもらってました

お昼休憩はお互いお弁当を持ってきているので一緒に休憩をとってテレビを観ながら世間話をよくしました

とても温厚なおじさんです

メッセージカードには

元気してますか?○○さんが元気で戻ってくるのを楽しみにしてます。戻ってきたら食事に行きましょうね。

と、

 

とても、とても嬉しかったです

 なんて粋な計らいだろう 

あまりに嬉しくてすぐにに電話でこのことを伝えたぐらいです

退院後Yさんは本当に復帰後一席設けてくれました

もちろん私だけ美味しいお酒をいただきました

こんなこと、普通なのかどうか分かりませんが、なでここまでYさんにしてくれたのか

その理由は、Yさんにも娘さんがおられまして、おそくにできたお子さんらしく当時まだ高校生だったと思います、よく娘さんお話をされてました

Yさん娘さん1人っ子だったので、私と重なったらしく他人事とは思えなかったそうです

重ねてもらえて感謝です、優しく思いやりのあるYさんです

そっくりですww

 父と一緒にお見舞いに来てくれました、この日は昼食にイタ飯に行き、またもやワイン

この時は大好きジェノベーゼを食べました、普段から口数の少ない父です、その時はさらに何も喋らず、室内でもずっとサングラスをかけたまま 慣れないパスタを一緒に食べ、病室には少しだけ様子を見て そのまま車で待機していたそうです(母が言ってました)

 

次は義眼の話を綴りたいと思います

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