2003年2月10日まで ここで(医大)お世話になります
眼球摘出後、退院するまでの話を綴りたいと思います
目が覚めてからトイレがしたくなりました...
看護師さんは小まめに付き添ってくれています
(私)「トイレにいきたいんですけども...」
(看護師)「今、尿道に直接チューブが付いてて そのままオシッコ出来るけど...どう? 出来そう??」
(私)「え? そうなん?? してみよっかな............? ?? できへん... あれ?」
(看護師)「しにくいよねぇ... 待っててね。」
オシッコがでるところに直接チューブが繋がってる・・・
ベッドサイドにはチューブの先になんか透明のパックがぶら下がっています
”こっ!コレは!!”
何かそれらしき液体も少したまっています...少ないですが...
何度か尿を出そうと試しましたが...
漏れる?とゆう意識が強すぎて出ません
そうこうと戦ってる間に、看護師さんが来てカテーテルを外してくれると来てくれました
外すとき、とくに何も言われなかったですが、けっこうな激痛がありました
(看護師)「ちょっとピリッ!としたやろ?大丈夫?」
(私)「かなり...(笑)」
”ピリッ!どころじゃない...ビリッ!!!だな.."
(ここからは無事にトイレも行けました)
そのうち母と○○のおばちゃんも病室へ来てくれました
少し話をし、良性で良かったこと
など...先の不安もあるけどとりあえず一安心といった空気感が続きました
(私)「お母さん 手鏡持ってる?私、今 どんな感じかみたい。」
(母)「小さいコンパクトなら。」
と、 この時にはじめて自分の顔がどうなってるのかを見ます
小さすぎたコンパクトの鏡には、おおきなガーゼで左眼を覆われテープでガッチリと塞がれた顔半分が映ってました
術後、主治医の先生が説明するに、眼玉には大きな筋肉が4本くっ付いていて、そのうちの2本は繋げてあるので少し義眼が動くかも?
とゆう説明があったので、普通に眼が動くと 左眼の繋げた筋肉に連動してズキズキと痛みます
22年前の事を振り返ってますが、
この時の左眼の傷跡の痛みは耐えられてた気がします、特に痛みで苦労した記憶がないんです
それよりも、術後2,3日は抗生物質を点滴で投与してたのですが、その点滴がズレた時の痛さの方が勝ってました
アレはトラウマです
それよりも、やっぱり大学病院ですから
手術前も、手術後も毎日 処置室に向かい傷口痕の消毒、そして観察...
この、観察の時間がとても悲しい思いをします
仕方のない事ですが まるで
”見世物”の様に、
学生らしき医者の卵さん達が 列になり ”珍しい症例” として手術前には1人づつ私の眼の中を覗いたり、
術後にも同じように観察するのです
本当に何とも言えない感情が湧き上がってくるのでした
今では、この私の少ない症例から治験など くり返し経て、医学が進歩してゆくと分かりますが
(この時は自分のことしか考えられなくて只々悲しむだけでした)
そんな二十日間ほどの入院生活の中、最初の2,3日で家族は帰宅し
1人医大に残った私が, 心身共に支えられた主治医の先生には本当に今でも感謝しています
(↑よく似てますw)
次はこの主治医のM先生との話を綴りたいと思います
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