和歌山医大へ検査に行くまでの葛藤を綴りたいと思います
和歌山医大へ検査に行くまでの葛藤を綴りたいと思います
さて、前回の続きを綴りたいと思います
前回の記事からの続きです
あんなに、混雑していた院内も診察外の時間に行くと
明るかった院内もかなり暗くて シーン。。。として
冬になりかけもあって 少し冷たい感じの院内だったのを思い出します
自分の足音と母の歩くスリッパの音だけがやたらと大きかったです
もう、看護師さんらしき人は居なくて
先生だけがカーテン向こうから迎えてくれました。
「再度来てもらってごめんね、こちらに来て。」
母と私、先生と診察台を挟んで話すことになりました
まず左目に点眼をして眼を麻酔します
室内を真っ暗にして小さな望遠鏡みたいなものを眼球に直接あてます
そしてかなり眩しい光を眼球とその望遠鏡みたいなもので照らしながら眼の中を覗くのです
何かモニターで映しながら説明がはじまりました
「左目の中に何か腫瘍らしきものがあります。
左上が見にくいのは、本当は目の下側に出来物らしきものがあって
上が見にくくなってるんだね。➡目のしくみhttps://site.ngk.co.jp/lab/no202/
ただ・・難しいのはコレが何かが分からない
小さい頃から、徐々に大きくなってきて、今、気づいたのか・・・
はたまたここ最近に突然大きく成長してきたのか・・・
どちらにせよ出来物があるから、それの確認と
これからの要観察が必要
でも、これが最悪の場合、悪い出来物なら早く調べて取り除く必要がある」
私たち・・・
・・・?
悪い物は、癌?
眼の中に・・・?
私も母も同じ顔してたと思うけど
私は母の顔は見れなかった
その後、先生がこれからの私がやるべきことを淡々と説明してくれ
それは、まず和歌山の大学病院に眼の腫瘍や病気に詳しい教授が居るので
連絡をし、その先生に診てもらう
段取りは全て私が責任とってするから〇〇さんは紹介状を持ってそこに行って来るようにと。
あと
先生から最悪の出来物はメラノーマと聞かされた
これが眼の中に出来てしまうと本当に厄介らしい。
この時の記憶はこの程度しかないけど、不思議と涙は出なかった
1日経って
怖い
死ぬのかな
何か悪い事したんだろうか
私がアカンかったのか
どうして私だけ
生きられるかな
ぐるぐると長い間これが廻って廻って
毎日がネット検索の日々でした
同じように
母も、毎日ネット検索して私に報告してきました。
良い事、悪い事 全部
その時
2人共、別々の部屋で泣いてたんだと思います。
次は、医大に行った時の話でも綴りましょうかね
こんばんは7terasuです
まずは
何故この病気に気付いたかを綴りましょうかぁ
当時の年齢は26歳ぐらいかな~
毎日、仕事をして、夜な夜な友達と飲み歩きが楽しい時期でした
その時はまだ、わりに規制もゆるくて自由だったですよ
さぁ。。そろそろ年齢来てるし?落ち着いてかないと・・・と思ってる時に
会社の同僚が、彼氏の仕事先に建築会社の人がいて、
この田舎に数年来てるから今度会わないか?
と誘われて会うことに
その後は、急激にデートを重ねて付き合う事になりました
付き合ってしばらくして。。。
彼の家に泊りに行っていたのですが・・・
なんせ田舎で暗い・・・
ある時から彼の部屋(離れの部屋)に入る時、
物差しにかかっているハンガーに
何度となく顔面をぶつけました
(今、思えば左側の頭です)
そんな自分でも気づかないぐらいの時に
ある日、ベットからうつ伏せ状態で目が覚めた時
左側が見えない??
と、
何度も、右、左と繰り返して
見える、見えないを片目づつ・・・
頭を左右に繰り返しパタパタと枕に突っ伏しながら確認してたのを思い出します。
この時期ぐらいから、眼を瞑ると何か横(多分左側)から光や光の筋が見え始めてました。
これはのちに、手術してもらった先生に伝えましたが、
「あり得ない。」
と言わてしまい、それ以上は何も言えなくなったかな・・・。
本当は、眼を開けている状態でも何だか黒い筋のモヤモヤが(血管のような)視野の左側に見えてたり
それは、常に見えている訳ではなくてふと思った時に出てくるとゆう感じ、、、
例えばシャンプーしてる時に光のモヤ・・・
ぼ~ッとしていたり集中してる時に黒い筋・・・
寝る時には、(手術前は特に)眼を瞑ると光がずっと・・・視えてました。
話はそれたけど(笑)
視野が欠けてる?
と思った時に、行きつけの眼科に診てもらいました。
眼科に行った事がある方は分かると思いますが、
一通りの検査をしてから、私は視野が欠けているので
真っ直ぐ見て視点は逸らさずにどこまで視野があるかのテストをしました
後は、眼底検査といい、点眼の麻酔をして目玉にレンズを当てながら
メチャ明るい光を当て、眼の中を診る、、とゆうもの
診察時、
先生に、神妙な顔で
「。。さん、診療が終わって20時頃にまた親御さんと来てくれへん?」
ここから、私の人生は変わっていきます
地元の眼科の先生には本当に感謝しています
時間外にも関わらず何度もアポイントしてもらい
親切にして頂きました
その後、何度も繰り返し試してみたのですが、
やっぱし左上が黒く視野が欠けている様に思えました。(当時26歳)
では
またその後を思い出して綴りたいと思います
当時の私です