失われた瞳に残された光☆

左眼を失ってから22年

担当主治医のM先生

2024-12-14 15:58:13 | 日記

2003年1月22日左眼摘出してから2003年2月10日までそのまま入院

主治医M先生には大変お世話になりした

 

摘出した腫瘍は平滑筋腫とゆうものが眼の中にでき、いずれは大きくなって結局摘出になってしまう...

とゆう結果で終わってしまいました

(今では眼を摘出せず治せるそうです

入院中規則正しく朝から検温朝ごはんで起こされ、最初の2、3日は点滴の投与をし、午後から夕方の間に傷口の処置、点滴がもう無くなると傷口の処置ぐらいでほとんどやる事がありません...

この時はまだ28歳と若く眼の痛みよりも、ずっと病室にいることのが苦痛でした

1週間ほど経ったら左眼の抜糸をする事になりました

どの部分を抜糸したのかあまり覚えてませんがこの日、私はまじまじを自分の眼見ることになります

初めての抜糸...

緊張しまっくてガチガチです

(M先生)「チクチクとする程度だから大丈夫だよ。」

(私)「はい...」

確かに

そんなに痛くない

すぐに終わりました

眼帯ガーゼをテープで留めてたものから紐で引っ掛ける眼帯へと変わりました

処置中

(M先生)「摘出後、義眼が入るようにできるだけ中に詰め物をして義眼が入る大きさの確保しないといけないからガーゼとか詰めてるんやけど、もう少ししたら仮の義眼をいれようね。」

(私)「仮の義眼って、そこからどうするんですか?」

(M先生)「近い日に義眼師さんがくるからその時に仮の義眼を入れてもらって、本義眼ができるまではその仮義眼で眼の中の大きさを確保しといて、本義眼が出来たらそれをしたらいいんだよ。」

(M先生)「何も入れないでおくと傷口は塞ごうとして肉が盛り上がってくるからね、なるべく大きなものを入れとかなくちゃいけないんだよ。」

(私)「そうなんや....。」

 

 そのあと、トイレによって自分の傷跡がどうなってるのかを見に行きます

 

誰か来るかもしれないし、眼帯を上にずらして見ました

 

 ・・・。

 

ホラーやん

 

本当ならがあるところは、中から白いガーゼパンパンに詰められはみ出ています

ホラー好きの私でも ”ぎょっ!!”っとしてしまい、すぐに眼帯戻しました

それと同時勝手涙が溢れてきました

鼻は真っ赤片目だけ充血

意外にも無くなった眼からも涙は出てました

 

夜、M先生が病室にきて

なぜかこんな話をしてくれました

(M先生)「○○さんは、まだ病気で眼を摘出したから...まだね、病気だから でもこれが事故とか怪我とかそうゆうので失ってたとしたらね、後悔が残るでしょ?だから、まだね、失った事は残念だったけど、もと通りにはならないけれど、それなり のようにはなるからね。」

私はM先生の話をじっと聞いてました

きっとこの先生は一生懸命慰めてくれているんだろうなぁ。良性だったから、眼を取らなくても良かったんじゃないか?とか思うけどそれも難しかったから、言い訳ではないけどホントに親身になって寄り添ってくれてる

”いい人だな”

 

M先生はとてもいい先生でした

 

 

あと、それから...

この2週間の間...かなり貯金を崩してしまうことになります...

何に使ったか...

 

それは

 

漫画です

悪性でなかったからには、傷口少し痛む程度身体すこぶる元気です

ジッとしてることが無理です!

だって、食べ物の制限もなければ、飲み物だって何でもOK

考える事は1つ

外出して、呑む美味しいもん食べたい

そして漫画を買う(病室入ったら暇すぎ...)

早速、M先生に外出願いを伝えて、にぎわってるだろう駅前の方へひたすら歩きます...

土地勘もなくその辺の人

(私)「駅の方はどっちですか?」

(その辺の人)「あっちに、駅あるけどちょっと遠いで?」

関係ありません

ひたすら歩き、見つけた イタ飯屋さんに入ります

1時間歩きましたからランチのピークも過ぎてて誰もお客さんは居ませんでした

(私)「いいですか?」

(店主)「あ、どうぞ。」

 

眼帯をして1人でイタ飯...

ありか??

大好きなパスタを注文します

本当はジェノベーゼが好きですが、無かったのでありきたりなカルボナーラにしたのを覚えてます

あとは、もちろんワイン!!

個人のお店だったのでボトル1本卸すと私には高くて注文できませんでした(くそ!)

グラスワイン2杯飲んで満足して駅前まで また歩きました 

本屋を見つけ漫画を物色

初めて大人買いをします

犬神とゆう漫画を全巻買って帰りました

 

病室夢中になって漫画を読んでいるとM先生に「漫画すきなの?」

からはじまり...

M先生漫画が好きらしく、「退屈なら自分の漫画を貸してあげる 」とゆう話になり 

そこからM先生と漫画の貸し借りするになるのです

この2週間M先生から借りた”バカモンド” ”ブラックジャックによろしく” や

2日に1回外出し買った漫画たち”犬神” ”漂流教室”などM先生貸したりもしました

M先生帰宅する前には必ず病室に寄ってくれ 漫画の話をしたり、好きな食べ物の話をしたりするうちに

2人ともラーメンが好きとゆう話で盛り上がり、「いつかのお昼にでも 美味しいラーメン屋があるから連れてってあげる!」

ラーメンを食べる楽しみが出来ました

それから、約束通りM先生は「明日の昼食をストップしといたからラーメン実行だ!」

ラーメン決定となりました

私は知りませんでしたが、病院の先生患者さんご飯を食べに行くなんて、あんまりよろしくないとの事で先生は少しビビりながら自分の車ラーメン屋に連れて行ってくれたのでした

味噌味のラーメンこってりとちぢれ麺ニンニクがっつり系で美味しかったです

 

本当に良くしてもらいました

今でも感謝しております

 

 

次、入院中にお見舞いを断った理由について綴りたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

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片目になって退院するまで

2024-12-13 09:50:52 | 日記

2003年2月10日まで ここで(医大)お世話になります

 眼球摘出後退院するまでの話を綴りたいと思います

 

 

 目が覚めてからトイレがしたくなりました...

看護師さんは小まめ付き添ってくれています

(私)「トイレにいきたいんですけども...」

(看護師)「今、尿道に直接チューブが付いてて そのままオシッコ出来るけど...どう? 出来そう??」

(私)「え? そうなん?? してみよっかな............? ?? できへん... あれ?」

(看護師)「しにくいよねぇ...  待っててね。」

 

オシッコがでるところに直接チューブが繋がってる・・・

ベッドサイドにはチューブの先になんか透明のパックがぶら下がっています

”こっ!コレは!!”

何かそれらしき液体も少したまっています...少ないですが...

何度か尿を出そうと試しましたが...

漏れる?とゆう意識強すぎて出ません

そうこうと戦ってる間に、看護師さんが来てカテーテル外してくれると来てくれました

外すとき、とくに何も言われなかったですが、けっこうな激痛がありました

(看護師)「ちょっとピリッ!としたやろ?大丈夫?」

(私)「かなり...(笑)」

”ピリッ!どころじゃない...ビリッ!!!だな.."

(ここからは無事にトイレも行けました)

 

そのうちと○○のおばちゃんも病室へ来てくれました

少し話をし、良性で良かったこと

など...先の不安もあるけどとりあえず一安心といった空気感が続きました

 

(私)「お母さん 手鏡持ってる?私、今 どんな感じかみたい。」

(母)「小さいコンパクトなら。」

と、 この時にはじめて自分の顔がどうなってるのかを見ます

小さすぎたコンパクトの鏡には、おおきなガーゼ左眼を覆われテープでガッチリと塞がれた顔半分が映ってました

 

術後、主治医の先生が説明するに、眼玉には大きな筋肉が4本くっ付いていて、そのうちの2本は繋げてあるので少し義眼が動くかも?

とゆう説明があったので、普通に眼が動く左眼繋げた筋肉連動してズキズキと痛みます

 

22年前の事を振り返ってますが、

この時の左眼の傷跡痛み耐えられてた気がします、特に痛みで苦労した記憶がないんです

 

それよりも術後2,3日抗生物質点滴投与してたのですが、その点滴ズレた時痛さの方が勝ってました

アレトラウマです

 

 

それよりも、やっぱり大学病院ですから

手術前も、手術後も毎日 処置室に向かい傷口痕の消毒、そして観察...

この、観察の時間がとても悲しい思いをします

仕方のない事ですが まるで

”見世物”の様に

学生らしき医者の卵さん達になり ”珍しい症例” として手術前には1人づつ私の眼の中覗いたり、

術後にも同じように観察するのです

本当に何とも言えない感情が湧き上がってくるのでした

 

今では、この私の少ない症例から治験など くり返し経て、医学が進歩してゆくと分かりますが

(この時は自分のことしか考えられなくて只々悲しむだけでした)

 

 

そんな二十日間ほどの入院生活の中、最初の2,3日で家族は帰宅

1人医大残った私が, 心身共に支えられた主治医の先生には本当に今でも感謝しています

                     (↑よく似てますw)

 

次はこの主治医のM先生との話を綴りたいと思います

 

 

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眼球摘出手術 当日

2024-12-12 15:49:47 | 日記

2003年1月22日(水)眼球摘出手術日(眼だけに...)

 

当日は静かに1日が始まっていったと思います

 

まず検温

「昨日はぐっすり寝れた?」

とゆう、看護師さんとの会話をしながら まず、麻酔前の錠剤を飲む

これを飲んでしばらくするとボーっとしてくる...と説明され、

次に腕に注射をした記憶がある

意識がもうろうとしてきた記憶も残っている

病室のベッドでも ○○のおばちゃんも居たのを覚えている

その時の私は 何を考えてたのかも覚えていない

近くに居た おばちゃんの顔の様子とか全く覚えていない

ただ、ぼんやりしていた...の 記憶だけ

病室のベットがそのまま移動し手術室へとガチャガチャ看護師さんが動かしている影が見える

 

”いよいよ行くんだな”

 

ガラガラと動く音がした時

両サイドからおばちゃんの顔がボヤっ覗いてるのがわかる

 

(おばちゃん)「○○ちゃん!大丈夫よ!心配いらないからね!お母さんと一緒にいるからね」

(母)「大丈夫だよ」

と、言ってる気がする

 

”きっとおかぁさん、泣いてんだろな..."

 

後に母から、手術室へ運ばれている時、意識もうろう ボーっとしている私を見ると、涙が一筋スーッと流れてたそうです

(本人は全く覚えてませんでした)

 

 

手術室 だろう所...で寝転がっている

やっぱりボーっとしてる自分がいる、辺りはぼんやり雲がかかった感じに見えた

私の顔を覗いてる人がいる、多分、麻酔の先生かな

 

(麻酔医)「○○さん、酸素をゆっくり吸ってね...もうすぐ眠たくなるよ。」

(麻酔医)「10から逆に数えてみて。」

 

”逆??”

 

(私)「10...9...8...。」

 

目が覚めた時は薄暗い大部屋病室

ベッドの中はとっても暖かくて気持ちが良かった

(看護師)「目が覚めてきた?寒くないですか?」

優しい看護師さんの声がした

(私)「寒くないです。」

(看護師)「もう、手術終わましたよ。ご家族の方はもう遅いので一旦ホテルに戻りました、それまではずっとここに居てくれてましたよ。」

(私)「全然分からなかった...もう終わったんや。」

 

まだまだずっと寝れる・・・

またそのまま次の日の朝まで寝てました

 

主治医の先生から話を聞くと手術は長かったそうです

良性悪性かの判断を待ってからその後の処置をしないといけないので そこに時間がかかったと主治医の先生が言ってました

 

結果は良性の腫瘍

”平滑筋腫”

といわれる腫瘍でした

 

 

 

私はこの日 左眼失いました。

 

 

 

また次、綴りたいと思います

 

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入院初日

2024-12-11 15:55:43 | 日記

さて、手術日が決まりそれまでの日常の出来事感情の動きなんかはバッサリ割愛して...

  

2003年1月21日(火)入院   

 

入院した日は手術の1日前です

この日は、母の親友(〇〇のおばちゃんと呼んでた)3人で手術を迎えることに

なぜ○○のおばちゃんが一緒に来てくれたのかは きっと、母の気持ちが少しでも紛れるようにと来てくれたのかな?って思います

 

○○のおばちゃん私の小さい頃から家族同士で仲の良かった方で,もちろん私も大変お世話になった方です

(保育園の時なんかはおばちゃん家によく泊りにいきました、同い年の幼馴染も居たし)

 

手術前は色々と、心電図やら肺活量など検査をしたような気がします

 

 

手術前夜はこの3人をします

摘出手術飲み物食べ物の制限なく前日の夜9時までなら何を食べても飲んでも良いと先生より聞いたので

お酒大好きな私は近くのイタリアンのお店を見つけ3人手術頑張れ会をします

 

楽しい美味しいピザとお酒の時間はすぐに終わってしまいます

母と○○のおばちゃんは近くのビジネスホテル

(寂しい・・・)

私は大部屋の病室へ戻ります

 

かなり大量に呑んでしまったせいか、その日は手術前夜なのに何の記憶もなくグッスリ寝てしまったのでした

(母と○○のおばちゃん、本当に気を紛らせてくれてありがとうございました<(_ _)>)

 

 

次は手術当日の話おを綴りたいと思います

 

 

 

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再受診

2024-12-09 15:41:39 | 日記

1ケ月後、再受診に母と車で向かう

道中は、なるべく前向きな考えで移動

眼の中にある腫瘍小さくなってるといいね

とか、

無くなってるかもよ?

とか、

あとは彼氏の悪口

とか、

(私)「やっぱり、心配で聞くんよT君に、もし悪性だったとしても良い物でも?目を摘出になるかも?知れんけど…私らどうなんの?って。」

(母)「うんうん、そりゃ応援はしてくれるんでしょ?」

(私)「これがさ、”あんたの目が無くなったらさ、どんなんなるの?変になるの?ならんの?まだ見てもないのにそんなん分からんやん!” ってゆうんよ。しかも ”悪性やったとして、気の毒とは思うけど俺にはどうする事も出来んし、今、安心する言葉をかけても実際に見ないとわからん、何も言えん。”  ってゆわれた… 私的にはただ、安心する言葉が欲しかったなぁ~って、嘘でも。もちろん悪性やったり変な見た目になったらちゃんとこっちから別れるつもりやけど、あんな言われ方するから何も言わんかったさ。」

(母)「そうだねぇ、冷たいね、分かってるのにねぇ。」

(私)「何か冷たいなぁ~って思ったよ。」

 

とにもかくにも

結婚前にこんな病気になって不安結婚できるのかな?って思うと またまた不安

今だったら、そんな男!別れたれっ!!って思うんやけど、この時はこの先、T君以外に誰も現れないし私もこの先えらい姿になってるやろし、先が見えなさ過ぎてT君に執着していたのかもしれないですね

本当は嘘でもいいから「大丈夫!俺がおるから!」って言葉が1番欲しかったなぁ~

 

最後までその言葉は聞けませんでしたけど…

最後までこの方は私の顔がどうなってしまうのかって事ばっかり気にしてました…

(私が1番気にしてるんや!っつ~の!)

 

とゆうことで、再受診の結果

 

この少しの間腫瘍は大きくなってしまってて

こんな短い間で大きくなってしまった今、この腫瘍から他の臓器転移する場合もあるから、やっぱり摘出した方が生存率が高くなる、

また良性であった場合は不幸中の幸いとなる

 

この時に手術日が決まったのでした

 

年明け 2003年1月22日、眼球摘出手術決定

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