Right attitude to hate,harassment
大愚元勝―新年のご挨拶
https://www.youtube.com/watch?v=ejGtthesaeE
The right attitude to hate or harassment
悪口や嫌がらせに対する正しい心構え
https://www.youtube.com/watch?v=MfLTwoskGyc&t=12s
「他人をほめるときは大きな声で。悪口を言う時はもっと大きな声で!」
フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト
【相談者:39歳女性会社員】現場で40代の女性に嫌がらせを受けてます。聞こえるような悪口、冷やかし、悪態が毎日あります。
最近はバイ菌扱いされました。あと、周りで誰かが作業で失敗すると、私の呪いや〜、と回りに聞こえるように大声を出して笑います。上司に相談しても、その程度と言われ現場移動をお願いしても相手にしてもらえません。
現場の人達は40代の女性側に付いて一緒に悪口や私の動きを見てクスクス笑ってます。私も、相手をしないように作業に集中して黙々と仕事を片付けてます。ただ、母子なのでよく考えて動かないと生活があるので転職か我慢か…迷ってます。アドバイスをいただけたら嬉しいです。
小人と仇讐することを休(や)めよ。小人は自ずから対頭有り。
君子に向かって諂媚することを休めよ。君子は原私恵無し。
菜根譚
悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがあるが、
悪の報いが熟したら悪人はわざわいに遭う。
善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭うことがあるが、
善の果報が熟したら善人は幸福に遭う。
ダンマパダー法句経
悪を発した人に、悪は戻る
お釈迦様の教えを記した経典である『ダンマパーダ』に、このような言葉があります。
「汚れのない人、罪のない人、清らかな人を害えば
その愚か者にこそ、悪は戻る逆風に投げた微塵のごとく」
ダンマパダー法句経
彼は私をののしった、彼は私を叩いた彼は私に打ち勝った、彼は私から奪った
そのような恨みを持つ人々にはそれらの恨みは静まることはない
彼は私をののしった、彼は私を叩いた彼は私に打ち勝った、彼は私から奪った
そのような恨みを持たない人々にはそれらの恨みは静まる
実にこの世において恨みは恨みによって静まらない
恨みを持たないことで静まるこれは永遠の真理である
他人を苦しめることで自分の快楽を求める人は、怨みから免れることができない。
すべきことをせずに、遊びたわむれ放逸なる者人は汚れが増す。
行ないがだらしなく、身のいましめが乱れ、清らかな行ないが出来ない人には
大きな果報はやってこない。
恐れなくてよいことに恐れをいだき、恐れねばならないことに恐れをいだかない人は、
邪(よこしま)な見解をいだいているから、地獄へ行くことになる。
戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、
私たちは他者からの非難に堪えよう。
多くの人は実に性質(たち)が悪いからである。
恣(ほしいまま)のふるまいをする人には愛執が蔓草のようにはびこる。
林の中の猿が果実(このみ)を探し求めるように、
(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。
因果応報
いんがおうほう
仏教用語。原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。善因善果,悪因悪果,三世因果などと表現される。
逆風に向かってゴミを投げつけると、ゴミは投げつけた人のもとに戻っていきます。同じように、悪口を言ったり、危害を加えた人に、悪は戻っていきます。
相談者さんの問題は、自分の中に哲学がないこと。それから、正しい教えを知らないがゆえに考え方がブレてしまっていることです。相談者さんが一生懸命に仕事に取り組んでおり、人として当たり前のことをやっているという自負を持っているのであれば、決して逃げることはありません。
悪が戻る先は、お釈迦様が指摘された通りです。なにを言われても、しっかりと自分を保ちましょう。
「慈悲の瞑想」を実践しよう
少し難しいことかもしれませんが、ぜひ実践していただきたい解決法を提案します。
「慈悲の瞑想」という方法です。自分の中で、次の4つの言葉を繰り返してください。
1、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々も幸せでありますように
2、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
3、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
4、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々に悟りの光が現れますように
「ビバ・デモクラシー」
ダスティ・アッテンボロー
自分に悪口を言ったり、危害を加える人は許せないものです。「いつかギャフンと言わせたい」と思ってしまうことでしょう。
しかし、恨みに対して恨みをもって返すと、いちばん傷つくのは相談者さん自身です。
仏教は「悪く言われるのを我慢せよ」と言っているわけではありません。もう一度「逆風にゴミを投げつけたら誰にそのゴミは戻るのか」考えてみてください。本当は、悪口を言っている人を憐れむべきなのです。悪口を言う人は、実は可哀想な人なのです。
悪口を言う人の心の闇
「上層部が無能ばかり重用するのはおなじ無能仲間だからだ」
「極度の食欲不振で精彩がなく、口の中でなにやらつぶやきながら
事務的な処理をおこなうだけ」
「まったく、何だって、おれひとりがこんな苦労をせねばならんのだ!?
どいつもこいつも、おれに頼りやがって。
すこしは自分たちで骨をおって他人に楽をさせてやろうって気にならんのか!」
ユースフ・トパロウル
「あんな野郎といっしょにしないでくれ。すくなくとも、
おれは相手を選んでひねくれることにしている。奴のは無差別だ。」
リン・パオ
「平民はいつまでも貴族にだまって殴られているものだと思っているらしい。
これだから貴族の馬鹿息子どもは、度し難いのだ。」
ウォルフガング・ミッタ-マイヤ-
「平和とはな無能が悪徳とされない幸福な時代のことをいうんだ。」
「い・や・だ。行きたくない」
「他人に何がわかる・・・」
ラインハルト・フォン・ローエングラム
「私の権限は手順を守る所にあるのであって、破る所には無い。」
クブルスリー
「ふん、コーネフを殺るのに、敵は戦艦1隻必要だったか。
俺を殺るときは、1個艦隊ぐらいいるだろうよ。」
「俺には自分に命令を与える相手を、自分で選ぶ権利があるはずだ。
それが民主主義ってものじゃないか、えぇ?」
「口の悪い奴は信用するが、口のうまい奴は信用しない。」
オリビエ・ポプラン
「くたばってしまえ、ホルト中尉、いずれ背中から撃たれておだぶつだ、
大神オーディンはお前の罪をご存じだぞ。」
捕虜
「それがどうした!」
「負ける戦は嫌いだ!!」
「くたばれ皇帝!」
「俺たちは伊達や酔狂で戦争やってるんだ!」
ダスティ・アッテンボロー
「悪魔が妖怪に捕まったら、人間としては共倒れ望むだけだ。
フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト
「うちの艦隊は、逃げる演技ばかりうまくなって……」
ムライ
「・・・これから、戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなければ意味がない・・・。
勝つための算段はしてあるから、気楽にやってほしい。
かかっているのは、たかだか国家の存亡だ、個人の自由と権利に比べれば、
たいした価値のあるものじゃあない・・・。・・・それではみんな、そろそろ始めるとしようか・・・」
「違います。私は菜食主義者です。
もっとも、美味しそうな肉料理が並ぶと、つい戒律を破りたくなりますがねぇ」
「我々の政府の決定に従わなければならない。たとえそれがどんなバカげた決定でもだ」
「やってられるか!」
ヤン・ウェンリー
「目上?政治家とはそれほどえらいのかね...」
ホアン・ルイ
「言動の自由は思想の自由よりテリトリーが狭いというわけですか。
自由惑星同盟の自由とはどちらに起因するものなのでしょうな。」
ワルター・フォン・シェーンコップ
「勝っているときに、あるいは自分でそう信じているときに後退するのは、
女にふられたときに身をひくよりむずかしいだろうと思うよ、ウランフ提督」
アレクサンドル・ビュコック
「無限の未来より、一夜の睡眠が欲しい心境だ。」
ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ
もし相談者さんの仕事がいい加減であるのなら、仕方がないことかもしれません。しかし「いい加減ではない」という自負があるのであれば、問題は悪口を言う相手にあります。ですから「職場の人たちはみんな悪口を言う女性の味方だ」と考えるのは間違いです。その女性を愚か者だと思っている人は必ずいることでしょう。
「 そういつも、いつまでもおとなしく言いなりになっていると思ったら大間違いよ。
一方的に殴りつづけていても、いつかは手が痛くなるわ。見ていてごらんなさい。」
フレデリカ・グリーンヒル
悪口を言うのであれば、悪口を言わなければならない理由が必ずあるはずです。相談者さんがまともな人間である以上、もしかしたら、その女性が心の底に闇を抱えている可能性があります。家庭や仕事でうまくいっていないのかもしれません。
「信念とは願望の強力なものにすぎず、なんら客観的な根拠を持つものではない。
それが強まれば強まるほど、視野はせまくなり、正確な判断や洞察が不可能になる。」
ヤン・ウェンリー
「問題はカリンが不幸なことじゃない。自分は不幸だとカリンが思いこんでいることさ。」
オリビエ・ポプラン
また、単に注目を集めたいのかもしれません。人の注目を集める最も簡単な方法は、悪いことをすることです。物を壊す、暴力に訴える、人の嫌がることをする。どれも智慧を使わずにできることばかりです。
そうやって注目を集めている人が、まともな信頼を得られるはずはありません。
同じ土俵に上ってはいけない
「自分の才能を示すのに実績ではなく弁舌をもってして、
しかも他者をおとしめて自分を偉くみせよとする。
だが、自分で思っているほど才能がないのだ。」
シドニー・シトレ
「ネズミの知恵では獅子の心を推し量れぬか・・・」
エルネスト・メックリンガー
なにか悪いことをされたら、同じことをしてやり返すほど愚かなことはありません。
ゴミは投げた相手に必ず戻るのです。恨み心を起こすことなく、「ああ、可哀想だな」と憐れんであげてください。決して、同じ戦いの土俵に上ってはいけません。
「無益な千のことばより、聞いて心の静まる詩をひとつ聞くほうが価値がある。
素行が悪く心乱れて百年生きるより、徳行あり思い静に一日生きるほうが価値がある。」
法句教8章 千という数にちなんで
もし、自分に対する悪口や危害に対して、完全にシャットアウトすることができれば、応援者はきっと現れます。自分の中の軸がブレることのないように、果たすべき使命をしっかりと果たしてください。
そして、母子家庭であるからには、強い母であることをお子さんにも示してあげてください。「同じ土俵には上ってはいけないよ。堂々と生きていきなさい。」と教えてあげましょう。
「ゴミは必ず投げた相手に戻る」という法則を忘れず、ぜひ「慈悲の瞑想」を実践してみてください。
そんな母の姿が、お子さんにとって大きな力になることでしょう。応援しています。
「世の中に絶望できるほど若かった」
ケーヘンヒラー
「そう、これこそが現実なのだ。では現実を変えなければならない。」
ラインハルト・フォン・ローエングラム
「君で無理なら、他の誰にも無理だと思っておるよ」
シドニー・シトレ
「Monkey mgic」 Godaigo
https://www.youtube.com/watch?v=iiqkwPJTJko
Born from an egg on a mountain top
The punkiest monkey that ever popped
He knew every magic trick under the sun
To tease the Gods
And everyone and have some fun
Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic
Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic
What a cocky saucy monkey this one is
All the Gods were angered
And they punished him
Until he was saved by a kindly priest
And that was the start
Of their pilgrimage west
Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic
Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic
With a little bit of monkey magic
There'll be fireworks tonight
With a little bit of monkey magic
Every thing will be all right
Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic
Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic
嫉妬、妬みの感情の利点とは
https://daigoblog.jp/jealousy_forward/
嫉妬の感情で何がわかるのかというと、欲しいものが明確になるということです。
嫉妬や妬みという感情はその対象に対して外向きな感情と思われがちですが、そういった感情は自分の欲しいものを相手が持っている時に生まれるものです。
「酒を飲む楽しみの半分は禁酒令を破ることにあるのです。」
ダスティ・アッテンボロー
逆にいうと、相手が持っているものを見せつけてきたり自慢してきても、それが自分も持っていたり欲しいと思わないものであれば嫉妬や妬みには繋がらないはずです。
ですから、自分に欲しいものが明確になるというのが嫉妬や妬みの感情の利点です。
嫉妬や妬みの感情を感じた時は、そこから自分の欲しいものを理解し努力するという前向きな流れに進めるべきです。
ところが、多くの人は自分が持っていないという現実を受け入れることができず、嫉妬や妬みの原因になった相手への攻撃につなげてしまうわけです。
つまり、自分が嫉妬や妬みを感じた時の人の反応は2とおりです。
自分の欲しいもの、足りないものを理解し受け入れて努力することが出来るのか、それとも、その足りないものを受け入れるのを恐れて自分が本当に欲しかったものへのモチベーションを捨ててしまうのかです。
自分が嫉妬や妬みを感じるのは?本当に欲しいものは何なのか?
嫉妬の感情を上手に使うことで欲しいものを明確にし、それを受け入れてください。嫉妬の感情は自分に足りないものを教えてくれていると考えることがとても大事です。
「 主義主張なんてものは生きるための方便です。
勝ち目のない方の主義主張なんてものは生きるために邪魔になるだけです。」
バグダッシュ
「嫉妬」と「憧憬」と「尊敬」 恋愛での「信頼」と「覚悟」
https://ameblo.jp/timi3/entry-11767310617.html
「皇帝ラインハルト陛下、わしはあなたの才能と器量を高く評価しているつもりだ。
孫をもつなら、あなたのような人物をもちたいものだ。
だが、あなたの臣下にはなれん。
ヤン・ウェンリーも、あなたの友人にはなれるが、やはり臣下にはなれん。
だがあなたの臣下にはなれん他人ごとだが保証してもよいくらいさなぜなら、
えらそうに言わせてもらえば、民主主義とは対等の友人をつくる思想であって、
主従をつくる思想ではないからだわしはよい友人がほしいし、
誰かにとってよい友人でありたいと思う。だが、よい主君もよい臣下ももちたいとは思わない。
だからこそ、あなたとわしはおなじ旗をあおぐことはできなかったのだ。
ご好意には感謝するが、いまさらあなたにこの老体は必要あるまい民主主義に乾杯!」
アレクサンドル・ビュコック
今日はどっかの恋愛相談みたいなことを綴りたいと思います。
「嫉妬」と「憧憬」と「尊敬」っていうテーマなわけなんですが
これらは全てあることを前提として起こる感情です。
それは 感情を抱く相手が、どこかしらの点において自分より優れているということです。
こういった状況において人間は少なくともこれら三つの感情を抱きうると考えるわけです。
私なりにこの三つの感情を分けて考えたいと思います。
まず「嫉妬」というのは
その相手に真正面から勝負するのではなく、勝てないことを前提に、対象となる人物を障害物としてみなすことで自分の無力を棚上げにして、弱い自分を守ろうとする感情です。
恋愛で言うなら、どう頑張っても振り向いてもらうことはできない、それはあいつがいるからだ、として、自分の魅力のなさは一向に構わないといった態度のことをいいます。
「憧憬」というのは
相手が凄すぎて、自分にはとても追いつけはしないので
自分の無力さとは全く切り離して、相手の素晴らしさをたたえようとする姿勢のことです。
恋愛の部類にはにならないと思いますが、これはアイドルに対する感情がまさにそうです。
これがさらに進んで、自己の精神、身体を相手に預けるという熱狂的な献身的態度になると
「崇拝」や「信仰」にまでなります。
「あなたの敵にロイエンタール様がなるなら、わたしは無条件で彼を憎むことが出来ますわ」
エヴァンセリン・ミッタ―マイヤー
「二人の年金を合わせたら、老後も食べるには困らないと思いますわ。
それに、私の両親は8歳違いでした。そのことを、もっと早く申し上げておくべきでしたわ。
そしたら、、、あの、どうかなさいましたか?」
「さぁ……私にはわかりません。あなたのなさることが正しいかどうか。
でも一つだけ分かっていることがあります。
私はあなたのなさることがどうしようもなく好きだということです」
「あなたは何百万人もの人を殺したかもしれないけど、
すくなくともわたしだけは幸福にしてくださったのよ」
フレデリカ・グリーンヒル
すごい人間を前にしても、あまりにもその差がはっきりしている場合なんかは特にそうですが。どちらかの感情が芽生えるのが普通です。たいていの場合は「嫉妬」であると思います。
なぜなら実際には差が生じているにもかかわらず、自分と相手はどこまで行っても対等であると言う考えが抜けないからです。自分を完全にしたであると認めた時にだけ「憧憬」になります。
これら二つに共通しているのは自分が傍観者でしかないということです。傍観者になってしまう原因は至って単純で、自分が弱い存在であることを、この感情を抱くことそれ自体が証明しているわけです。ということは、この感情と向き合うことは即ち、自分が敗北者であることを認めなくてはならないから、自分の存在価値が低まる可能性がある、俗に言う、傷つきたくないというやつです。
さて、これら二つとは異なる、三つ目の感情が「尊敬」になります。
これは、相手が自分よりすごい相手であるにもかかわらず、自分を棚上げにしない、要するに相手に追いつこうとする態度のことを言います。相手の凄さを認めるだけでなく、自分の弱さを認め、そして強くなる決意のことを言うわけです。この感情は、相手と力が拮抗していると生まれやすく、また、強靭な精神力に支えられて成り立つ感情です。負けて悔しいという感情を抱く場合には、相手に対する「尊敬」を同時に大いに含んでいるのです。
「貴様が民主共和政治を愚弄しようと、国家を食いつぶそうと、市民をたぶらかそうと、
そのようなことは俺の関知するところではない。
だが、、その汚らわしい舌ででカイ ザ-の尊厳に汚物をなすりつけることは 許さん!
俺は、貴様ごときに侮辱されるよ うなお方にお仕えしていたのではないし 、
背いたのでもない!」
オスカー・フォン・ロイエンタール
恋愛で言うと、自分よりも魅力的な恋敵が、自分の気になる人にアプローチをしてくるときに、自分の魅力を高めていく形で張り合うような場合です。
自分より魅力的な恋敵がいる場合に、この恋敵に抱きうる感情はこの「尊敬」かあるいは「嫉妬」なわけです。「憧憬」だと好きな人が恋敵ということになってしまいますので。
「嫉妬」の恋愛だと何が起こるのかというと、束縛です。自分に自信がない、あるいは自分以上に魅力的な人間が出てきた時に勝負をする気概がないものですから、付き合っているだとか、結婚しているだとかいう感情とではない形式化したものを盾にしないといけないわけです。現状以上を望まない人間はもちろん退化していく一方ですから、束縛傾向にあればあるほど、退化していく可能性は高いと言えるでしょう。
そして、「尊敬」の起こりうる恋愛であると、生じるのは信頼です。それはこういうものです。
「だめです、宇宙で二番目の美男子にお会いになるんだから」
「生き返ってらっしゃい。そうしたら私が死ぬまで死なせてあげないから。」
「あなたのせいなのよ、ヤン・ウェンリー。全部あなたのせい。私が軍人になったのも。
帝国軍が軍事拠点として作ったイゼルローンが、
いつの間にか民主主義の最後の砦になってしまたのも。
皆がいつまでもそこにいのこって、祭りの夢を追い続けているのも。
ご自分の責任を自覚なさったら、さっさと生き返ってらっしゃい。」
フレデリカ・グリーンヒル
「自分が誰よりも素敵な人間になってやるのだ、それでも勝てないような「尊敬」にあたいする人間が恋人を奪うのだとしたら、取られてしまっても文句は言えない、そして、努力をする自分をきっと恋人は捨てやしない。束縛なんぞ何の意味も持たない、それどころか自分があなたに見合わない人間であるならあなたの幸せのためにももっといい人のところに行ってくれ」
ここに見られる一種の自信は、「自分には絶対に魅力がある」という根拠のないデタラメな自信とは違います。絶え間なく努力する自信があるということです。これは相手に対する信頼以上に、「私は間違いなく頑張れるだろう」という、自分に対する信頼なわけです。そして、努力の上でダメであるなら、別れを告げられても仕方がないという覚悟を必要とするものです。これが、恋愛で言う信頼と覚悟です。ここを履き違えて、信頼とはたんに束縛したい心を抑えること、覚悟とは努力しないがゆえに別れを告げられても仕方がないこと、などと解釈してしまう人が多いような気がします。そしてこの「尊敬」の恋愛が出来る人間はごく一部であることも事実なのではないでしょうか。なにより、努力を惜しまない覚悟、好かれ続ける人間であり続けるという覚悟、あるいは恋人として誰にも負けない覚悟など、強靭な意志を必要とするのですから。
「心配するな、ポプラン家の辞書に不可能の文字はない」
オリビエ・ポプラン
「失敗とか挫折とかいう文字はあるけどね」
イワン・コーネフ
ただその見返りとして、この恋の行方がどうなったとしても、この恋愛をなしうる人間は、間違いなく恋愛によって自分の歩を進めていくことができます。恋愛だけじゃないでしょう、仕事でもなんでもそうです。そしてその成長の先にはさらに大きな成功がまっていることも確かです。また、これほど「尊敬」に値する人間はいません。こういう人間に遭遇した時に自分に起こりうる感情は「嫉妬」でも「憧れ」でもなく「尊敬」でありたいものです。
「残念だな。30歳以下の未成年は,今回同行することはできんよ。
これは大人だけの宴会なのでな」
アレクサンドル・ビュコック
そして、「尊敬」の気持ちは純粋な向上心さえあれば誰でも持ちうるものです。今まで「嫉妬」しかしたことのない人もあっという間に持ちえます。ただ、弱い自分を認める覚悟、傷つく覚悟さえ腹をくくってすればの話ではありますが。弱けりゃ弱いほど、難しいです。けど弱けりゃ弱いほど意味があることです。傷つくことは悪いことじゃないです、むしろ好機です。
「あたりまえだ!遠ざかってどうする!」
兵士
自分を知る、そして強くなる絶好のチャンスです。
良い恋愛のチャンスなんです。恋愛で大事なのは自分の心なんです、相手じゃないです。素敵な心の持ち主には素敵な人が自ずから惹きつけられます。逆も然りです。ダメな人間にはダメな奴が引っかかります。
https://daigoblog.jp/troublesomeperson/
面倒なやつに絡まれた時の対処法
投稿日:2018年11月4日 更新日:2019年4月15日
DaiGo MeNTaLiST
面倒な人、人それぞれなのでここでいう面倒な人をあえて定義はしませんが、そういう人に絡まれた場合に僕らはどうすればいいのか?
面倒な人に絡まれた時、相手にするべきか?相手にしないべきか?
目次[表示]
相手にしない
まず答えとしては、相手にしないことです。まともに相手にすると決して得はありません。
基本的にそういう人に絡まれた時に考えてほしいのは、世の中のほとんどの人は皆さんの味方にしても得になるかどうかはわかりませんが、敵にするとほとんどの人は厄介なものということです。
面倒な人というのは、皆さんの集中力や忍耐力や意志力などを削いでいきます。どんな相手であってもまともに相手にしてしまうとストレスの原因になります。
どう対処する?
ではどうすればいいのか?
「吉事は延期できるが凶事はそうはいかん」
パウル・フォン・オーベルシュタイン
「口の方をあわせます」
ジークフリード・キルヒアイス
「私の根性を補うくらい、このケーキは美味しいですよ。」
ラインハルト・フォン・ローエングラム
「誉められたと、思っておこう」
オスカー・フォン・ロイエンタール
自分の世界から消すことです。つまり、面倒な人をどう抑え込んだり変えようかと考えるのではなく、自分のメンタルを強くしてスルーできるようになるにはどうすればいいのかを考えてください。
面倒な人が現れたら、これはチャンスだと考えてください。
面倒だと感じたら、それはまだ自分のメンタルがあまいということだから、瞑想・運動などをして全く気にならない状態まで自分のメンタルを整えてください。それにより、面倒な人によって余計な集中力を使うこともなくなります。
自制心や自己コントロール能力を鍛えてネガティブな感情や面倒な人からのストレスをきれいに流しされるようなメンタルをつくることです。
短期的にみて、面倒な人からの影響をシャットアウトすることと、長期的にみて、そのようなものに動じないメンタルを鍛えるということの両方を考えていきたいものです。
「 闇が濃くなるのは、夜が明ける直前なればこそ」
アーレ・ハイネセン
レベルアップに使う
ゲームでもボスキャラを倒すためには雑魚キャラを倒しながら徐々にレベルを上げていく必要があります。
人生でいつか自分が乗り越えないといけない大きなストレスや障害はかならず来るものだと考えてください。その障害は、もしかしたら仕事を失うことかもしれないし大事な人を失うことかもしれませんし、立ち向かうべき相手が現れるのかもしれませんし、勇気を持って今の仕事を辞めて起業するということかもしれません。自分の夢のためにリスクを取らないといけない時が必ずくるものです。
リスクを取らないと人生は変わりません。リスクを減らすことは出来ますが、人生を変えるほどのリスクがゲームでのボスキャラです。いきなりボスキャラに挑もうとすると自制心や自己コントロール能力のレベルがまだ低くてとても勝てません。だからゲームでは雑魚キャラを探しては戦ってレベルを上げていきますよね?それと同じことが皆さんのまわりに現れる面倒な人を使ってできるわけです。
これは、ニコニコのチャンネルではよく紹介していますがリフレイミングという考え方でフレームを変えるというものです。
面倒な人が現れたら、面倒だな、厄介だな、逃げたいな・・・と考えるのではなく、これはいつか取らないといけない取るべきリスクをとって人生を変える、成功するために必要な自分のレベルを上げていくための経験値を得るためのものだと考えるようにしてください。
大事なのは、雑魚キャラを相手にするのではなく、それにより揺らいでしまう自分のメンタルと向き合うことです。
基本的に雑魚キャラは相手にしないということです。とはいえ、稀に相手にしないといけない場合もあります。それは2つのパターンがあります。
「こいつはいい、どちらを向いても敵ばかりだ。狙いをつける必要はない。
とにかく打てば敵に当たるぞ」
グエン・バン・ヒュー
「降服は性に合わん。逃げるとしよう」
ウランフ
相手のするべき2つの時
①ネット上で自分より格上の人に絡まれた場合
自分より上の人や成功しているような人に絡まれた場合は、認めてもらうためのチャンスだと読み替えてください。それにより自分の成長につながります。ネット上では、基本的に自分よりもアクセス数や知名度を持っている人が絡んできたら戦ったほうが得をします。逆に自分よりもアクセス数を持っていない人に絡まれた時は相手にしてもその相手の得にしかならないわけです。
②法律的にアウトなことをされた場合
これは法律に則って適切な対応をしましょう。
効率の悪い戦いはしない
ネット上ではなく一般世界で格上の人に絡まれて戦っても基本的には勝てません。日本では特に半沢直樹のように上司を倒して自分が出世するというようなことは基本的にはありえません。ドラッカーやジェフリー・フェファーも言っているように、上司が出世しないと自分は出世しません。上にあがりたいのであれば上司と戦うのではなく学ぶものだけ学んで独立するほうが良いと思います。階層構造の中で下が上に勝つということは無理とはいいませんが効率が悪いです。そこに多大な時間と犠牲を払うぐらいであれば起業したほうが早いです。
「滅びの美学ですと?そういう寝言を言っているようだから戦に負けるのです!!」
レオポルド・シューマッハー
相手にしないためのテクニック
では、実際に面倒な人に絡まれた場合にどう対処すればいいのか?
面倒な人に絡まれたら、ストレスによりやり返したい、言い返したいとか論破したいとか思うと思います。ただ、そのような人はそもそも論理ではない部分で攻撃してきていることが多いものです。それに対して論理で返して論破しようとしてもより面倒になるだけです。
ゲームの雑魚キャラは、みなさんが相手にしなければ存在しないのと同じです。
ですから、短期的にはまず自分の感情を抑えることです。感情的になると相手にすることになってしまいます。相手は絡むことで自分の存在を認めてほしいから相手にすると喜ぶだけです。
だから放置するのが一番です。ところが人間には感情がありますからこの放置するのが難しいものです。
どんなに自己コントロール能力の高い人でも、面倒な人に絡まれれば一瞬は感情は出るものです。その感情や苛立ちを出来るだけ早く元に戻すことができれば仕事や勉強といった自分のするべきことに対する影響も出なくなります。
その方法として、ニコニコのチャンネルでもよく出てくる脱フュージョンというテクニックがあります。
例えば、頭の中で「感情ストップボタン」をイメージして大きな声でストップ!っと言いながら押してみてください。これによりその瞬間一瞬ですが思考の分断が起きます。
以前テレビ番組でGACKTさんが「メンタルリセット!」と叫んで感情の仕切り直しをしていましたが、この方法は正しいわけです。
この思考の分断が大事です。イライラしているような時は枕やクッションにあたったり暴れたりしても余計増幅するだけです。ほんの短い時間でもいいので一定時間その感情を分断することが大事です。
それにより冷静に自分を見ることが出来るようになり、相手にしても自分の得にもならないから、この体験を自分のメンタルを鍛えるためにどう使おうかと考えられるようになるわけです。
苛立つ相手に対してどう対処しようかではなく、その体験を自分の成長にどう活かそうかと考えたほうが良いです。
いきなり職場などで「メンタルリセット!」と叫んだりすると他の問題が出てくると思いますので、使える方法を紹介します。それが脱フュージョンというテクニックですが、最もおすすめしている方法としては、頭の中でその感情を採点してください。
例えば、面倒な人に絡まれたとします。その相手ではなく、自分が今体験しているその体験自体を採点してください。この面倒な体験は100点満点中何点だろうと考えるようにします。どうってことないし気にもならないというのを0点として、もう限界!相手が悪憎くて仕方がないと思ったような過去の強い体験があればそれを100点としてください。
そうすると、最大と最小を考えてどの位置の体験かと考えることで冷静に考えることが出来るようになります。
感情の表現力も大事
この話をすると、毎日嫌なことばかりだという人がいるかと思いますが、その人は語彙力が足りません。
感情のコントロールが下手な人は語彙力が足りません。嫌なことがあったら全て「最悪!」と表現し考えてしまう人は感情を表現する能力が足りなさすぎるのでまずは小説などを読んで鍛えたほうが良いです。感情用語辞典などありますので感情を表す表現を吸収しておかないと嫌なことは全て100点になってしまいます。
感情の表現を増やすことは大事です。
『初転法輪(しょてんほうりん)』
私たちの生活する娑婆世界は、
諸行無常(しょぎょうむじょう):この世の中で常であるものはなにもなく絶えず変化している
一切皆苦(いっさいかいく):一切は皆苦であると知ること
諸法無我(しょほうむが):本来、我(われ)となる主体はない
正見
自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。
正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
正語
恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
正行
本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。
正命
衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。
正精進
自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしない事で、とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります。
正念
仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。
正定
心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
無明滅すれば則ち行も減す、行滅すれば則ち識も減す、
識滅すれば則ち名色も減す、
名色滅すれば則ち六入も滅す、六入滅すれば則ち触も減す、
触滅すれば則ち受も減す、受滅すれば則ち愛も減す、
愛減すれば則ち取も減す、取滅すれば則ち有も滅す、
有減すれば則ち生も減す、生滅すれば則ち老死・憂悲・苦悩も減する。
「何だか良く分からないけど、20億年ぐらい前は、
クラゲみたいな格好で、プカプカ海に浮かんでいたらしいよ。」
ヤン・ウェンリー
順観(じゅんかん)・逆観(ぎゃっかん)
十二因縁の法則を、人間の存在発生から死にいたるまでを、
ものごとが縁により生じるものを順に観察したものを『順観』と呼んでいます。
人間は生まれて死に至るまで、さまざま人生苦を味わうこととなります。
お釈迦さまはブッダガヤーの菩提樹下において、この人生苦を消滅し、
輪廻から解脱する為にはどうすればよいかをお考えになり、
無明から老死に至る人間の存在発生から死に至るまでの発想を逆転させ、
根本の無明を滅する方法を『逆観』といい、縁起を順と逆に観じて、
悟りを開かれたといわれております。
「言葉で伝わらないものが、たしかにある。
だけど、それは言葉を使いつくした人だけが言えることだ。
だから、言葉というやつは、心という海に浮かんだ氷山みたいなものじゃないかな。
海面からでている部分はわずかだけど、それによって、
海面下に存在する大きなものを知覚したり感じとったりすることができる。
言葉をだいじに使いなさい、ユリアン。
そうすれば、ただ沈黙しているより、多くのことをより正確に伝えられるのだからね」
「言葉は大切に使いなさい。全てを伝えることはできなくても、多くを語れるのだから」
ヤン・ウェンリー
老子
2章
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。
故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相和し、前と後相随(したが)う。ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行なう。万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。
15章
古(いにし)えの善く道を為す者は、微妙玄通(げんつう)、深くして識(し)るべからず。それ唯(た)だ識るべからず。故(ゆえ)に強いてこれが容(よう)を為さん。予(よ)として冬に川を渉(わた)るが若(ごと)く、猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(おそ)るるが若く、儼(げん)としてそれ客の若く、渙(かん)として冰(こおり)の将(まさ)に釈(と)けんとするが若く、敦(とん)としてそれ樸(ぼく)の若く、曠(こう)としてそれ谷の若く、混(こん)としてそれ濁(にご)れるが若し。孰(たれ)か能(よ)く濁りて以(も)ってこれを静かにして徐(おもむろ)に清(す)まん。孰か能く安らかにして以ってこれを動かして徐に生ぜん。この道を保つ者は、盈(み)つるを欲せず。それ唯だ盈つるを欲せず、故に能く敝(やぶ)れて而(しか)も新たに成る。
18章
大道廃(すた)れて、仁義有り。智恵出でて、大偽(たいぎ)有り。六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)有り。国家昏乱(こんらん)して、忠臣有り。
23章
希言(きげん)は自然なり。故(ゆえ)に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず、驟雨(しゅうう)は日を終えず。孰(た)れかこれを為す者ぞ、天地なり。天地すら尚(な)お久しきこと能わず、而(しか)るを況(いわ)んや人に於(おい)てをや。故に道に従事する者は、道に同じくし、徳なる者は徳に同じくす、失なる者は失に同じくす。道に同じくする者は、道も亦(ま)たこれを得るを楽しみ、徳に同じくする者は、徳も亦たこれを得るを楽しみ、失に同じくする者は、失も亦たこれを得るを楽しむ。信足らざれば、焉(すなわ)ち信ぜられざること有り。
56章
知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(あな)を塞(ふさ)ぎて、その門を閉し、その鋭(えい)を挫(くじ)いて、その紛(ふん)を解(と)き、その光を和(やわら)げて、その塵(ちり)に同(おな)じくす。これを玄同(げんどう)と謂(い)う。故に得て親しむべからず、得て疏(うと)んずべからず。得て利すべからず、得て害すべからず。得て貴(たっと)ぶべからず、得て賤(いや)しむべからず。故に天下の貴きとなる。