第9章-ビジネスにおける純粋性
-意志が強い、意志が弱いということが先天的なものではないというのはものすごく可能性が広がる話ですね。
うん。でも実際には、強い意志とか弱い意志というものはないと思うんですよね。ある意味で、ひとりの個人の中にも意志が強い部分と意志が弱い部分とがあるわけでしょう?
-そうですよね。それってつまり自分の中で欲望と言われるものが整理されている分野ではすごく強い推進力を得ることができて、一方で自分の中の欲望が整理されていない分野ではどうも推進力が出ないというようなことが起こっているということですよね。
だからひとりの人間の中にもいろいろな面があるじゃない。
-うん。言われてみればそのとおりで。でもそれをやれ「なんとかタイプ」だとか、「なんとkぁパターン」だとかいう風に分類しようとするから無理が出てくる。つまり、実際の自分が持っている要素というのが見えなくなるのではないかと。
私はそう思いますよ。そういう意味で言うとね、易の六十四卦の一つに天籟无妄という卦がるんですよ。
-ほう。卦ですか?
そうそう。この天雷无妄という卦は、ものすごく強い卦なんですね。
-ほう。
ものすごく弱く見えるのに、ものすごく強いという。だからビジネスで成果を上げようというときには、この卦の内容が参考になるというかね。自分の在り方の参考になると思うんですよね。
-ん?ビジネスの成果と卦ですか。
ちょっとつながりが分かりませんが、どういうことかおお話いただけますか?
-はいはい。これは結構面白いんですよ(笑)
※純粋性と心の痛手
今、人をというか自分自身をタイプやパターンに分類しようとすることで、実際の自分が持っている要素が見えにくくなるのではないかというお話がありました。というのも、タイプ分類やパターン分析というものの背景には、このタイプはこうあるべきだとか、このパターンだったらこうあるべきという、いわゆる縛りがあるからです。縛りというテーマで言えば、これは先にお話ししたような理想の自己有像というものとも共通点があります。
つまり、それらのたいぷやパターンや理想像が既定する枠に自分をはめ込んでいかなければならないということになるからです。こうなると、自分自身の良さというものを認識することもできなくなります。
この一方で、こういう枠から完全に自由でいるという在り方もあります。その在り方のことを、易の六十四卦の中では天雷无妄という卦として表しています。これはどういう状態を指しているのかというと、純粋性というか、生き方として「純粋に在る」ということです。
では純粋性のメリットは何かというと、心のエネルギーとしてとても強いものを持っているということがあげられます。一方で、今の世の中では純粋であるというのは、ある面では弱いとみなされることも多いです。つまり、純粋であるということは、沢山の知識や方法論を持っているわけではないというおkとになるからです。すると、やっぱり弱いのではないかと思われがちになる。とろこが、物事に対するときの態度というかスタンスということで考えると、純粋であるということは一番安全であると言えるのです。
なぜかというと、純粋であれば、もし何かを間違えたとしても取返しがきくからです。つまり、純粋に生きるということは、心の痛手が少ないということでもあります。
例えばですが何かをしようとしたときに、自分で「これはうまくいかないだろうなぁ」と思いながらやっていると、結果としてうまくいかなかったときには痛手が大きいわけです。「ああ、やっぱりなぁ・・・」というような感じになって、二重にショックになる。だけど、そういう先験的な解釈なしに、純粋にやってみた内容というのは、たとえそれがうまくいかなかったとしても、そんなにショックには感じないわけです。仮にうまくいかなかったという「結果」からは絶望というものを味わったとしても、その絶望がまた次のステップになるというか、むしろ、そういう経験を知識として取り込んでいくことができる。
もちろん、こうして経験を通じてできていった知識が、先験的な解釈を生んでいく面もありますから、自分で意識していないとずっとこの純粋性の中にいることはできないと思います。だから一般的には、若いうちには純粋性の中にいるけれども、年齢を重ねていくうちに純粋ではいられなくなって、あらゆる物事の中に先験的な解釈を見つけたりしてしまう。例えば、つかまり立ちをしようとしている赤ちゃんが、つかまり達をしたんだけど、やっぱりコテンと尻もちついちゃったというときに、「もう立つのは無理だ」といってあきらめることはない。ところが大人になっていくと、同じようなことが起こったときに、簡単にあきらめるようになってしまったりします。ビジネス現場で例えば営業マンがどこかの取引先に見積を出して断られたときに、もう見積りが出せなくなるというケースも考えられる。
そして社内では「あの会社さんはもう行っても駄目だから」というような話をして、他の人も「ああ、そうなんだ」と理解してしまったりします。ところがその会社に新しい営業マンが入社してきて、その人が行ったら契約が取れちゃうことがある。その営業マンに「契約、取れましたけど」と言われて、「ええっ!なんで取れたんだ」ということになったりしますし、その結果、なぜか怒りの矛先がその新しい営業マンに向かっていって「あいつはけしからん」となっていったりする。今、いろいろな会社を見ていると、社内でなんだか雰囲気がおかしかったりするような会社には、だいたいこういうことが起こっているように感じます。
いずれにしても、情緒も自己の発達過程で、必要な情緒の種類が移り変わっていく。だから、適切な情緒を適切なタイミングと方法で使う必要があるわけですけれど、例えば競争心というような情緒を、のべつまくなしに使っていると、本当に社内がギスギスしてきたりしまう。それは発達段階のステップを間違えているということだとも言えます。話を天雷无妄という卦に戻すと、この卦の示す内容である純粋性というものを意識しておくと、ビジネスでも成果につながりがりやすいと思うのです。
天雷无妄という状態は、ある意味ですべてを客観視している状態だともいえるわけです。つまりそこには、これが良いとか悪いという判断がない。判断をしていない限り、何が有っても別に痛手を被ることはありません。もちろんそのときには、他党としてペタンと尻もちをついちゃうという、まわりの人から見たら失敗という風に見えることもあるかもしれないけれど、別にその人本人gはそれを失敗とは見ていない。かといってちゃんと立てたとしても、それをタ成功とも見ていない。もっと淡々としているわけです。だからこそ、タイプ分類やパターン分析からも自由でいられるとも言えると思います。そういう意味で、自己内自己の網羅をした後には、こういう段階に近くなるかもしれない。そう思ってご紹介しておきます。
(七沢)
※心安らかなビジネスのために
-天雷无妄っていうのは面白い卦ですね。
そう思うんですけどね。
-ある意味、この天雷无妄という状況は、自己内自己のナレッジモデリングというか、自己内自己の内容、それは欲望だったりすると思うんですけど、そういうことを網羅していった先に出てくるものという感じがしますね。
そうですね。だから、成果というものを生み出す意志にもふたつあってね。自己内自己の内容をすべて網羅したうえで自然発生的に出てくる意志と、自分が何かを「これだ!」と確信した時に出てくる意志とがあると思うんですよ。
-はいはい。
それでこの「これだ!」という確信を基盤にした方向性というか意志にもそれなりの強い力がある。ある意味では自己内自己の中身を網羅していなかったとしても、それらを網羅した時と同じくらいの推進力を持つこともあるわけです。
-うんうん
ですので、信じる者は救われ鵜ではないですけど、革新というものに至れれば、それなりの力が出る。ただし、自己内自己あるいは自分の欲望というものを網羅しない段階で、革新だけで成果を出した人というのは、どこかで失敗する可能性があるわけでね。なぜなら、自分の欲望の中には二項対立的に相反しているものがあるわけですから。その構造を理解しないままにどちらかの方向に突出したとしてもいずれは自分自身に引き戻されることになりますよね。
-そうですよねぇ。また、こういう確信に従っている場合には、精神的にどこか安定しない部分も出てきますしね。
うん。ですので、可能であればやはり、自己内自己や自分の欲望を網羅して整理するところから始めていただきたいと思うんだけどね。
-確信があれば成果はデルかもしれないけど危ないよと。
うん。
-なぜかというと、そこにさっきの天雷无妄のような内容はなくて。
単なる無謀になりますよと(笑)
-字も違いますよと(笑)だから、あなたがもしビジネスで成果を出したいと言うんだったら、意志というものの力が必要なことが分かったうえで、自分の中にある主体自我の内容を網羅していってくださいねと。
そうです。
-その中で、ひょっとしたら、「あ、これだ!」って、確信できるものがあるかもしれないし、そこに向かって進めば成果が出ることもあるかもしれないけれど。実はちょっと危ないところもあるので、可能であればじこ内自己の網羅の作業は続けていってくださいと。
そうですね。その先には天雷无妄というような状態があるかもしれないし。その視点から見ていくと、一時の成果や悩毎や、契約が取れた・取れないとかそういうところではないところで納得できると思いますよと。
-すると心安らかにビジネスもしていけると。
そう思うんだけどね。
-深いですねぇ。