ほんとに、びっくりしました。
2時からでしたが、3時ちょっと過ぎまで、プロデューサーと、
森下さんとの、対談。
映画の、きっかけは、この、プロデューサー、映画会社の、代表でも、
あるのですが、
何かの、ついでに、地元の、図書館で、ふと、取って、見たのが、
森下さんの、エッセイ風体験記。 お茶何ぞ、興味も、経験も、
全く、ゼロだったと、いう、事でした。
それが、この、エッセイ風体験記に、興味を、持たれ、借りていき、読み切って、
映画に、出来ないものかと、かんがえた。
でも、それからが、沢山の、難局を、乗り越えねば、ならなかった
これも、わたしは、知らなかったのですが、
映画1本作るのに、ほぼ一億円は、かかる、と、言うことでした。
裏方さんが、何百人と、居る。
それは、失敗は、当然、許されないでしょう。
そして、その裏方職人さん。 聞いて、びっくり。
相当な、超人ばっかり。 わたしたち、庶民、ミーちゃん、ハーちゃんとは、
一線を、画している。 テレビも、そうだろうか?
とにかく、こうした仕事に、携わっている、人は、ひと味も、ふた味も、
違うのである。
凄い力を、もっていることも、確かだ。 世の中を、変えていく力も、
潜在的に、もっている、と感じた次第です。
映画化するに、あたり、お茶の、手前を、習ったわけだが、やはり、違うの、ひと言。
吾々の、お茶人生って、何だったのだろうか?
そう思わせた。 この、森下さんの、エッセイ、そして、この映画の、
テーマでも、あるのです。
真ん中が、プロデューサー、右の、着物で、サインで、忙しそうなのが、森下典子さん。
でも、お茶の、先生役を、決める時の話しが、また、ふるっていた。
それは、現在でも、森下さんの、お茶の、お師匠さんらしいのですが、
武田さん。これは、役名。 実際は、別に実名が、あるようですが。
この、プロデューサーとは、別に、監督さんなるものがいて、その方の、一押しが、
「樹木希林さん」でした。 大方が、反対されて、樹木希林と、お茶の、先生、
とても、結び着かない。
そこには、とんでもない経過が、あって、お茶の、師匠に、なり切って、いくのです。
それは、吾々が、テレビなどで、見るのとは、また、違った、超超人ぶりが、
ありました。 内田裕也さんが、認めたのも、むべなるかな、という感じですね。
森下さんが、特に、印象のシーンとして、
主役の、黒木さんと、いとこの、女の子が、縁側に、足を、放り出して
並んで、愚痴を、言い合う場面。
「何で、こんなことを、何遍も、何遍も、叱られながらやらなければ、ならないの?」
二人で、言い合っていたら、武田先生。
「何でも、頭で、考えようとしては、いけないのよ。」
まさに、ここに、森下さんの、40年が、詰まっていると。
この主役の、黒木さんが、昔の、森下さんで、武田先生が、今の、森下さんだ。
と、泣かれた。 バカな、わたしは、またも、もらい泣き。
50才、60才に、なって、来し方を、振り返って、しみじみと、真実の、涙を、
流したい方は、お茶、茶道を、習って下さい。
このまま、嘘ばっかりの、世界に、自分も、嘘ばっかり、つきながら、
生きて行くなら、お茶なぞ、習っても、しょうがないので、
どうぞ、嘘を、つき続けて、下さい。
最後に、昨日の、京都駅、すごく混みまして、日曜の、夕方でと、言うことでしょうか?
30分待つ、ことに、なりました。
駅店で、ハデな着物を、着て、キャンペーン娘のような、アルバイト風で、
頑張っていた、女の子。 ことわって、撮らせて貰いました。
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