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5月16日東京新聞より

2021年05月18日 10時42分40秒 | 東京新聞
5月16日東京新聞より 時代を読む 内山節(哲学者)

時代を読む 「崩れゆく人工的な社会」を抜粋してみました。

社会は様々な信頼,信用、共感といった心情に支えられている。例えば戦後しばらくの間 の日本をみると、平和を何よりも大事なものと考える共感の広がりがあり 自由や民主主義に対する信頼があった。この心情が戦後社会を支えたと言っても良い。

ところが高度成長期に入ると 経済発展が全てを解決するかのような心情が生まれ、自分の勤める企業をなりよりも信頼する精神がつくられていった。こうして生まれたのがかっての企業社会だった。

とすると、今日ではどうなのだろう。 特に若い世代の人たちにとっては、企業は信頼するに値するものではなくなっている 。平和、自由、民主主義を信頼しようとしても 、現実にあるのは平和が壊されていくのではないかという不安であり、自由であるはずなのに自由に生きられない社会、機能しない民主主義である。
信頼できるもの、共感できるものが失われていく。そこに現在の社会があるといってもよい。

そしてこの傾向は,新型コロナウィルス下のこの一年余りさらに拡大していった。

政府の政策や政治家たちの発言を信頼している人が、今日ではどれだけいるのだろうか。オリンピックと選挙のことだけを考えて行き当たりばったりの感染対策を繰り返しだけの政府。
コロナを、自らの政治的野心の道具にするだけの東京の知事。
病院の経営維持しか念頭にないかのごとく感じさせる医療会の「専門家」たちの発言。

ここから見えてくるのは信頼も共感もできない社会の現実だ。
もちろん多くの人達が、コロナ患者の治療に当たっている
医師や医療機関医療関係者等に対しては,信頼や共感の気持ちを持っているだろう。この現実の中で困難に直面している生活困窮者や飲食店をはじめとする犠牲を強いられている人々の気持ちへの共感も生まれている。


人間同士の思いとして信頼や共感はあっても政治や社会のあり方としては、信頼も共感もできない現実が広がっている。それがいまのコロナ下の社会である。


だから多くの人々が緊急事態宣言が発せられても自分の判断で行動してる 。

それは自粛疲れとか気の緩みではなく自粛を要求してくる
政治家や「専門家」が信用されていないからである。


そういう現象を展開させながら、その奥では 戦後的理念や企業社会、今日の市場経済などに対する不信感も広がっている。それがこの日本の現実なんだと私は感じている。

以下省略しました。

詳しくは東京新聞ご覧ください。
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