すべった後、何日かして施設長に電話して「すべりました…」言うたら「えっ?何で?」私は薬物ほとんどなんでも好きやから昔みたいに眠剤ODとかやと思った感じやった。ほんでバレるまでいつも言わんかったしなんならバレバレでも言わん。今回初めて自分から言うた。なんでか(言わな…)思た。そうそれで「本命で」って。自分のいちばん依存度の高い薬物のことを「本命」ていうねん。だからもしあたしが処方ですべっても「本命」ですべったとは言わんねん。あ、すべるとかすべったって言うのはスリップ(再使用)のこと。
で施設長が様子を見に来てくれて話した。「あずちゃんはお母さんの為にやめようとしてるだけだからそれじゃあやめ続けれられないよ。自分の人生変えたいって生き方変えたいって思わなきゃ…」って言われて「私、この先どうなりたいとか何も無い。でも自殺はあかんから最期の日がくるまでやり過ごさないとだめなだけやから…」
施設長は65歳やったかな、お母さんが薬中やったんやて。ほんでその事はあんまりみんな知らんのん。新しい子らは知らんのちゃうかな。それで普段その話はせんねんけどその時、親の話してくれて。
んで私は「この歳までその生き方で生きてきたのに変えられますかね…」って聞いた。その時かな、施設長が「私はあの父と母の子供じゃなかったらこうはなってなかった」って聞いて「あ!私もそうです!今より良くなってたか悪くなってたかは分からないけどあの人の子供じゃなかったら絶対に今の自分にはなってなかった」
うちは母子家庭。父親は知らん。パスポートとる時に戸籍見て父親の名前見てしまった瞬間「忘れな!」思たら綺麗に忘れた。ほんで母親は水商売でおばあちゃんの面倒見て兄弟の面倒見て私を見て。
夕方になるとおばあちゃんの家に行く。真夜中お母さんが酔っ払って迎えに来る。朝起きたら朝ごはん作ってくれてあってそれ食べて保育園、幼稚園、学校に行くって生活を繰り返してた。小一の時、おばあちゃんが入院せなあかんなった。おばあちゃんは「あずがおるのに入院出来ん。しやん。」言うたらお母さんが「どうする?おばあちゃん病気なんよ。あんた1人でおれる? 」って聞いてきてそれ聞かれんでも自分からきっと言うてた。「おばあちゃん、あたしは1人で大丈夫やから入院して病気治して元気になって?」って。ほんでおばあちゃん入院してその時から夜はずっと1人。家電はお客さんから掛かってくるから出たらあかんからお母さんから掛かってくる合図があった。こんなん忘れてたのに今なんか思い出した笑2回トゥルルルなって切れた後に掛かってきたらお母さんからの電話。
そうや、おばあちゃんに「この子は20歳まで生きられへんなぁ…」ってよく言われてたん。体弱かってん。今めっちゃ元気やけど(*^^*)
それで40℃以上熱出ても、吐きまくっててもいつもお母さんは仕事に行った。嫌やったなぁ…そばにおって欲しかった。元気な時でさえ夜は心細いのにそんな時でも「誰のお陰でご飯食べれてるの!」って。いつも1人やった。病院も幼稚園なってからは1人で行ってたな…それが普通やと思ってた。今は知らんけど昔は母子家庭やと病院お金掛からへんねん。なんであたし以外の人はみんなお金払うんやろ?って不思議やった。
あ、そろそろ病院つくわー。結局何が書きたかったんか忘れた😅
あー嫌いなスタッフ!やっぱり無理!ほんま無理!まじで無理。
あーーでも今大阪帰るのんだけは絶対あかんからな。堪えな。
でもとりあえずまた明日から休もかな…