ままりん♪のたりのたり♪な日記

努力はするがムリはしない!がモットー。
そんなままりんが家族や仕事のこと、
大好きな映画や舞台のことなど、語ります。

反省

2006年10月19日 | 仕事
今日、仕事で取材をした。
軽度発達障害(こちらに説明があります。)の家族を支援している方で、
彼女自身も彼女の息子さんもADHD(注意欠陥多動性障害)。
お話していて、まったくそんなことは微塵も感じない。
それくらい、本当にごくごく普通のステキな女性。

自分がADHDであることがわかったのは、
ご自分の息子さんがそうだと知ったのと同時だったって。
それまで、ずっと自分は役に立たない人間だと思ってたって。

この話には、側面が二つある気がするんだよね。
まずは、ADHDという障害があることを知らなかった昔、
そういう子どもと家族や学校の先生、周囲の人は
どう接していたのか?
どうも他の子とは違うようだけど、うまく付き合えば、
とてもよいところがたくさんある子だと
肯定的に受け止め、見守る余裕があったのではないか?
そして、家族にも地域にも居場所があって、
コミュニケーションがあった。
最近は、新聞やテレビでも軽度発達障害という言葉に
とても過敏に反応して、やたらと取り上げている。
取り上げて理解を促すことはとてもいいんだけど、
なんか違う意味でクローズアップされている気もする。
そんな中、いつも思うけど、家族でも地域でも、
コミュニケーションが希薄になって、
無関心で無責任で自分勝手な大人たち。
そんな中で、少し変わった子たちははじき出され、
きっちりと揃って卵パックに入っている卵と
おさまりきれない大きさの卵が分けられるように、
どう扱ってよいかわからないというレッテルを貼られる。
親も子ども自身も障害が原因だとわからず悩む。孤立化する。

同じように障害を障害として受け止めていないのに、
昔と今でどうしてこんなに違うのか?
もちろん、知識がないから埋もれて誰にも悩みを知られず、
死んでいった人もいるかもしれない。
社会そのものが変わってしまった・・。

「なんでやらないの?」と私もよくのじ丸に言う。
のじ丸はもちろん言い訳する。で、私は「言い訳するな」と
それを許さない・・・。自分で答えを出せないことを
質問するのは酷だと気がつかされた・・・。
そして、いつもいつも「あなたが変わりなさい」といわれて
子どもはどんどん突破口を見出せなくなる。
でも、本当に変わらなきゃいけないのは親である私の方かも。
反省した。
障害のない子を育てるのにも通じる、親としてのあり方を
問われた気がしている。

最後に「夢はなんですか?」と聞かれて彼女は言った。
自分の子どもが医者から「近眼です。めがねを作りましょう」
といわれてもそれほどショックではないのに、
「お子さんはADHDです。」と言われると
この世の終わりかというくらいショックを受ける。
めがねと同じように、みんなに受け入れてもらえるように
なって欲しいし、していきたい
と。
インタビューしながら、切ない気持ちと
すごいなぁ~と感動する気持ちが次から次へと。
彼女のおこすさわやかな風に吹かれて心地よかった。


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うんうん (園長)
2006-10-20 22:27:45
プリンさん、どうも。

そのかの園に来てくださっているぷりんさんと

同じ方かと思っていました、失礼しました。

そうですねー、今は周囲の理解を得るのに

材料も機会もたくさんあるけど、

人の心が冷たくなってしまったかな・・。

というか、他人に関心がもてないのかな。

昔は、家族の中でもそういう子どもを受け止めてくれる

おじいちゃんとかおばちゃんとかそういう人が

いたんじゃないかと思うんです。

で、気長に付き合ってくれた。

でも、今核家族が増えて、そういう受け手がいなくなった。

そんな感じがするのです。



佐平次さんこんばんは。

このところ、仕事でコーチンングとか、

コミュニケーション術とか、そういうものに触れたり、

勉強する機会が増えています。

どれも根っこのところは同じで、

自分が変われば相手も変わるという理論に行き着きます。

それがカンタンにはできないから人間関係に悩むんだけど、

ほんの少し視点を変えたら、

昨日はのじ丸と父親は険悪な雰囲気を逃れました。

のじ丸も本当に世話がやけますが、

親の接し方ひとつでお互いが前向きになれる気がします。

マイナスのスパイラルを脱するには

大人の親から・・・なんですよね。



大家ちゃん、ありがとう。

そうね、私たちの子どもの頃はもう昔なんだね。

私のイメージしていた昔はもっと前かなぁ~・・。

私が住んでいた新宿は、まだまだ下町っぽかったけど、

それでも、それほどのコミュニティーはすでになかった。

私のクラスにも今思うとそうかなぁ~という子がいた。

でも、結局先生もクラス全員も基本的に彼が好きだった。

それに、一部の親が問題児として祭り上げるような

大人気ない行為はしなかった。そこが今と違うかな。

今は研究もすすんで、知識も豊富にあるけど、

それに関心をもって接してくれる人が少ない。

それは、やっぱり人間関係とかコミュニケーションが

希薄になっちまったことが原因かなぁ~と。

で、結局のところ、やっぱりまだまだ世間には正しく

理解をして必要な付き合い方を見につけている人が

少ないってことなんだよね。

特に母親って我が子かわいさで他人を傷つけてしまう

ってことがよくあって・・・。

自分はどうかって思ったら、自信ないな・・。

そんな意味でも反省。

それからね、彼女が言っていたんだけど、

父親って子どもの障害を受容できないんだって。

だから、その先へ行けない。

結局母親に重荷がかかって、講座に来るのも

ほとんどが母親なんだって・・・。

これで思い出したのがファントムのキャリエール。

そういうことだったのかぁ~・・・って思った。
返信する
Unknown (プリン)
2006-10-20 00:38:00
大家さん私も同意見です
返信する
うーーーん? (大家)
2006-10-20 00:09:47
たぶん?私のクラスにもその障害の子供は居たと思うけど、私が子供の頃もはじき出されていたのは事実!

って言うより、完全に問題児扱いされていたような記憶が有りますよ。

その頃にこの「ADHD」と言う障害名がハッキリと分かっていたらもっと周りの人達の関わり方が違っていたかもしれません?

どちらにせよ何が辛いかって?聞かれたら?障害者と子供の頃から言われることが一番本人や家族にとっては辛い事だと思います?!

可愛そうだとか?普通に出来ないから面倒を見る・・・これも良いことなのか?私には答えが出ません?面倒を見すぎるのも問題あります!

親切にしてもらうことに慣れると、親切にしてくれることが当たり前になり、親切にしてくれない人を悪く言ったり!手助けの仕方が悪いと文句まで言うようになる!お礼も言わない!!!

障害や病気を理由に出来ることまでやらない!逃げる!!!そういう大人になってしまいます。

園長ー私の言う事の意味を分かってもらえますよね?

色々な意味で何が障害で何が健常者なのか?

身体が健康でも病んでいる人は沢山いるし、その方々だって苦しい日々を送っています。

障害や病気だと周りが見てくれないと困ることも沢山有るし、どちらにせよ現実は厳しい、世間の風は冷たいって事を子供のうちから知っておくことが、障害者には必要ですよ身を持って体験している私言うのですから。

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知りませんでした (saheizi-inokori)
2006-10-19 23:02:30
今調べて意味だけは分りました。

医師によっては成人の場合はこの障害を認めない人もいる(考え方として)そうですね。確かに見かけ上の特徴を読むとよくいる人のようです。障害と健常との境が分りにくい。そう考えると障害で有る無しに関わらずその人のもって生まれた性質をシッカリ受けとめてあげなければいけないと言うことになるのですね。

そうした上で助言もしていかなければならない、結局園長さんが書いているようにこちらが問われているのですね。ありがとう。教えてくださって。
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Unknown (プリン)
2006-10-19 22:48:14
二回目の投稿です。前回は始めまして?です!

いつも楽しくブログ拝見しています。

(宝塚は全然わからないのですが(^^;))

障害って家族になって初めて分かったり理解できたりする事ってあるじゃないですか。子供のときから家族に病人がいればその病気については看護士より医者より理解していたり、状態が分かったり。昔はそれを人に理解してもらう手段が少なかったんだけれど、今はそれがあらゆる形で出来る時代だと思うんです。ただ残念なことにそれを受け入れる人間性にかけてしまっているのか…?私は昔の人も私たちが美化しているほど受け入れが大きかったわけではないと思っているんです。情報手段が薄い為に情報共有の単位が町や村だったのでは?だから村の人が理解していてくれればそれで幸せに暮らせたんだろうしけど今は行動の範囲も広いし。

でも、私たちも頑張ってみんなが幸せに暮らしていける地域づくりをしなくてはいけませんね。
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