<『自己〇〇』は要注意!?>
私は、キリスト教信者として、
足掛け12年信仰生活の中で、このタイトルは、
この世のありとあらゆる人生の営みにまつわる重要なテーマであるから、
これを出来るだけ早く伝えなければという思いが整理出来、また思考もある程度整理がついたところにあって伝えていきたいと思いました。
何故、『自己〇〇』は要注意であるのか!?
<そのことは、大抵、自分を大切にする事だから良い事では無いのですか??>
しかしながら、その認識がまさに人生の生き方の盲点であり、キリスト教の教えとは決定的に違う生き方であるからである。
つまり、
『自己〇〇』は、あくまでも、
<『自分自身とこの世の中』の[価値観基準]>
である。
つまり、<自分自身とこの世の中>の価値観や考え方を考える意味では悪いことではないのだが、
その『方向性の〈向きの違い〉』に決定的な違いがあるのである。
『自己〇〇』は、
つまり、<自己中心>である事にある。
価値観考え方や心の向きが<自分向き>であること。
自分の内面を自ら覗けば、
そこには、メンタルヘルス上でのあらゆる罠が多く潜み含まれている。
その筆頭が、『恐れ、不安、罪責感、プライド』
フィジカル面でのメンタルヘルス上での罠は、
『口と目と耳』
『口』
[言葉や声やメッセージ]
<心の中にある事が口が話すのである。
また〈思考〉〈習慣〉となる>
『目』
[自分と他者と世間と世界]
[外見見映え魅力]
『耳』
『口』から出た[声]の[メッセージや言葉]
<聞き方には十分注意しなさい>
このような心身面からでの罠にかからないために、そして、
罠に含まれる『自己〇〇』は要注意事項なのである。
特にとりわけ心理学で用いられている、
この世の中『自己〇〇』が、
ますます新たに生み出されている事へのキリスト教信者としての懸念を覚えるところである。
そして、
『自己〇〇』の<キーポイント>
『自己〇〇』から『神〇〇』
まず、どのようなことがあるのかを
まず抑え踏まえて整理したいと思う。
『自己中心』⇒『神中心』
<造り主を中心に>
『自己啓発』⇒『神啓発』
<聖書>
『自己愛』⇒『神愛』
<神があなたを愛している>
『自己評価』⇒『神評価』
<神があなたを評価している>
『自己肯定』⇒『神肯定』
<神があなたを肯定している>
『自己受容』⇒『神受容』
<神があなたを受け容れている>
『自己分析』⇒『神分析』
<神を先ず知りなさい、神があなたを啓発し分析している。>
『自尊心』⇒『神尊心』
<神をまず尊ぶ心、神があなたを尊いとしている。>
『自己顕示欲』⇒『神顕示欲』
<心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの主である神を愛しなさい。そのような背伸びをした生き方ではなく私のもとで安らぎを得なさい。>
『自己』と『神』
この相反する関係にあって、
では、あなた方自身の人生は、
どちらを選びますか??
この神さまは、この天地万物を造られた唯一の<造り主>
永遠という昔の中であなたを造るという
神の<計画>
だから、今この地上に存在している。
もちろん、私がこの地上に存在しているのも同様である。
また、私のような者がある日のこと神さまと出会い、キリスト教徒となったことも、私の意思や願いや努力ではなく、
神の[恵み]の<計画>である。
ですから、
この『神計画』と『神愛』によって愛されておられる中で、『自己』と『神』どちらを人生に取り入れて受け容れて選択するかは、あなた次第である、いや、真剣に願うならまず神に相談してみようではないか。
キリスト教徒でなければ、神に祈りが届かないわけではないのである。
むしろ、神さまは私のもとに遠慮要らず声をかけてもらいたいと神さま自らお望みになり招いて下さっているのである。
God bless you!!Amen!!