人生ぼっち半世紀ACキリスト教徒のblog

私は、AC〈アダルトチルドレン〉
これまで半世紀近く人生ぼっちの
『孤独』から『孤高の人生』として
書き綴り証しする。

朝思うこと。朝活の究極『JesusChrist』

2023-07-01 03:33:01 | 日記




JesusChristは、


<朝早く>


<まだ暗いうちに>


<人里離れた場所へ出て行き>


『一人神に祈っておられた。』


Jesusは、


この時間をなにより大切にしておられた。


ということは


我々人間も同じだ。


キリストが我々人間をお造りになられた。


キリストのコトバでこの天地万物を造られた。


朝活の究極『JesusChrist』


<一日の始まりの朝>


今日という一日が


吉と出るか凶と出るか


この先の人生、将来に直結する


大事な大切な生活習慣


『朝活』


この神に向き合う時間を


キリスト教用語で


『ディボーション』


と呼ばれる。


Wikipediaでは、


<ディヴォーション(devotion)は、

英語で献身、愛着、信仰などを意味する>











朝に思うこと。『朝活』『祈り』『賛美』『聖書』『委ねる』『喜び』『平安』『神への思い』

2023-06-30 03:48:30 | 日記

さて、今日の朝活

(まだ朝でもない(笑))

何から取り組もうかな?😆


このワクワク感も毎日日々楽しみで楽しい😆🤗😁


まあ、聖書とOnfirejapan〈賛美と祈り〉しか

ないがな😁🤗😆



『朝活』


<あのキリストでさえ、

朝の時間を大切にして

静かな場所で

神に祈りを捧げていたのである。>


だから、

目覚めの始まりは、

もちろん神への<祈り>!!!!


神への<祈り><賛美>


私の生活人生を神に<任せる><明け渡す>

<手放す>


これをキリスト教の教えでは


『委ねる』と呼ばれる


神への信仰と人生変えられる祝福の

キーポイント


『祈り』『賛美』『御言葉』『委ねる』


人生変わる変えられる!!


最も難しいのは『委ねる』だという点。


口や言葉で教えられても、やはり、


それも


<経験、体験>が必要だ。


それも長い時間必要だ。


何故なら、信者になって救われたにしても、

そこにこびりつく罪の性質。


神に〈委ねる〉が出来ない理由要因。


<自己中心><プライド、高慢>


[自分のやり方、自分の方法、自分の考え、

自分の理解に、自分の気持ち思い感情感覚、

神愛より自己愛、

より〈頼る〉〈自分優位〉]

などの自分信仰の罪。


<自分中心>の<高慢、プライド>を

自分の心弱さと魂を〈砕く〉のは

自分の力〈自力〉ではほぼ不可能、

ほぼ無理である。


〈砕かれた〉という経験があったにしても、

いつの間にかまた芽生えるという

やっかいな性質『高慢』


<こすってもこすっても出てくる垢>のようなものである。


人間関係によく見られる高慢とも

またその意味は次元が違うのだ。


私たち人間は神に対して『高慢』なのだ。


神に対して、恐れ敬わず、


人間の神に対する<パワハラモラハラ>をしているようなものだ。


人間は、皆、自己中心の性質で残念ながら、

一致する。


どんなに言葉を並べ立てたにせよ、

そこには弁解の余地は一切無いのは当然の話である。


だからこそ、この自己中心の『罪』の問題を

処理せねばならない、


だから、神が必要であり、

キリストの存在が必要である。


そして、人間皆、宗教が必要なのである。


いや、人間は皆宗教人。


なにかに依存し信じる対象が無ければ

一人では人生生きられない理由の所以である。


なにより


『自信』という<自分信仰>が

あるではないかと。


今朝の朝活、結局していた(笑)


朝のコラム、『ありがとう』の言葉が、


まず自己肯定感アップの秘訣


反対に、自己肯定感低い人は


『すみません』


そして


<朝活>


この静寂の時の活動


人生変わる変えられるの秘訣だ!!






『自己〇〇』についてのお話。

2023-06-29 12:59:03 | 日記

<『自己〇〇』は要注意!?>


私は、キリスト教信者として、


足掛け12年信仰生活の中で、このタイトルは、


この世のありとあらゆる人生の営みにまつわる重要なテーマであるから、


これを出来るだけ早く伝えなければという思いが整理出来、また思考もある程度整理がついたところにあって伝えていきたいと思いました。


何故、『自己〇〇』は要注意であるのか!?


<そのことは、大抵、自分を大切にする事だから良い事では無いのですか??>


しかしながら、その認識がまさに人生の生き方の盲点であり、キリスト教の教えとは決定的に違う生き方であるからである。


つまり、


『自己〇〇』は、あくまでも、


<『自分自身とこの世の中』の[価値観基準]>


である。


つまり、<自分自身とこの世の中>の価値観や考え方を考える意味では悪いことではないのだが、

その『方向性の〈向きの違い〉』に決定的な違いがあるのである。


『自己〇〇』は、

つまり、<自己中心>である事にある。


価値観考え方や心の向きが<自分向き>であること。

自分の内面を自ら覗けば、

そこには、メンタルヘルス上でのあらゆる罠が多く潜み含まれている。


その筆頭が、『恐れ、不安、罪責感、プライド』


フィジカル面でのメンタルヘルス上での罠は、

『口と目と耳』


『口』


[言葉や声やメッセージ]

<心の中にある事が口が話すのである。

また〈思考〉〈習慣〉となる>


『目』

[自分と他者と世間と世界]

[外見見映え魅力]


『耳』


『口』から出た[声]の[メッセージや言葉]

<聞き方には十分注意しなさい>


このような心身面からでの罠にかからないために、そして、

罠に含まれる『自己〇〇』は要注意事項なのである。


特にとりわけ心理学で用いられている、

この世の中『自己〇〇』が、

ますます新たに生み出されている事へのキリスト教信者としての懸念を覚えるところである。


そして、


『自己〇〇』の<キーポイント>


『自己〇〇』から『神〇〇』


まず、どのようなことがあるのかを

まず抑え踏まえて整理したいと思う。


『自己中心』⇒『神中心』


<造り主を中心に>


『自己啓発』⇒『神啓発』


<聖書>


『自己愛』⇒『神愛』


<神があなたを愛している>


『自己評価』⇒『神評価』


<神があなたを評価している>


『自己肯定』⇒『神肯定』


<神があなたを肯定している>


『自己受容』⇒『神受容』


<神があなたを受け容れている>


『自己分析』⇒『神分析』


<神を先ず知りなさい、神があなたを啓発し分析している。>


『自尊心』⇒『神尊心』


<神をまず尊ぶ心、神があなたを尊いとしている。>


『自己顕示欲』⇒『神顕示欲』


<心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの主である神を愛しなさい。そのような背伸びをした生き方ではなく私のもとで安らぎを得なさい。>


『自己』と『神』


この相反する関係にあって、


では、あなた方自身の人生は、


どちらを選びますか??


この神さまは、この天地万物を造られた唯一の<造り主>


永遠という昔の中であなたを造るという

神の<計画>


だから、今この地上に存在している。


もちろん、私がこの地上に存在しているのも同様である。


また、私のような者がある日のこと神さまと出会い、キリスト教徒となったことも、私の意思や願いや努力ではなく、

神の[恵み]の<計画>である。


ですから、


この『神計画』と『神愛』によって愛されておられる中で、『自己』と『神』どちらを人生に取り入れて受け容れて選択するかは、あなた次第である、いや、真剣に願うならまず神に相談してみようではないか。


キリスト教徒でなければ、神に祈りが届かないわけではないのである。


むしろ、神さまは私のもとに遠慮要らず声をかけてもらいたいと神さま自らお望みになり招いて下さっているのである。


God bless you!!Amen!!




<あなたのその苦しみや試練>

2023-06-28 02:14:40 | 日記

<あなたのその苦しみや試練>の意味は、

『人生を一旦立ち止まり考えてみなさい』

という警告だったりする。

どういうことなのか?

<[生き方や考え方]を見つめ直してみなさい。>

という人生の自分自身への修正。

それは、『感謝と謙遜』を学ばせようとする時なんだ。

神さまは、我ら人間を悪く思っている訳ではなく、悪く考えている訳でもない。

〈不幸わざわいを与えよう〉としているわけではない。

むしろ、それはまったくの逆だ!

聖書にはこのように書かれている。

<わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。>
エレミヤ書 29:11 新共同訳
https://bible.com/ja/bible/1819/jer.29.11.新共同訳

(ちなみに、私が最も好きな聖書の言葉)

<平和と将来と希望>を与えようとする神さま。

そして、『神は愛』である。

それは聖書全体を貫く核となる本質である。

<愛することのない者は神を知りません。
『神は愛』だからです。(略) わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。 『神は愛』です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。>

ヨハネの手紙一 4:8‭, ‬16 新共同訳
https://bible.com/ja/bible/1819/1jn.4.8-16.新共同訳

神さまは聖書キリスト教では、

[父]とも呼ばれる。

そして私たちはその子ども

[神の子ども]である。

人類皆、[神の子]である。

だから、父なる神は『愛』が故に、時にその子どもをしつけたり、懲らしめたりもする。

我が愛する子をしつけない親がいると思いますか?

<あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを[子]として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。>
ヘブライ人への手紙 12:7 新共同訳
https://bible.com/ja/bible/1819/heb.12.7.新共同訳

<もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。>

ヘブライ人への手紙 12:8 新共同訳

https://bible.com/ja/bible/1819/heb.12.8.新共同訳

<神は真実なお方ですから、あなたがたに耐えられないほどの試練をお与えにはなりません。>

(聖書/コリントの信徒への手紙第一

10章13節)


競泳池江璃花子さんや羽生結弦さんがこの聖書の言葉を用いて世に発信、試練乗り越えるきっかけとなったのは有名な話である。

<神さまはどこまでも『真実』

どこまでも『愛』

どこまでも『希望』>


苦しみ試練の時、

自分の身に何が起きているのか分からない状況の時、

是非、一度、

この『神は愛』『神は真実』『神は平和と将来と希望』である事を思い出し振り返ることにしよう!!

<自己肯定感>めちゃ上がらない!?😆(笑)めちゃ上がった!!😆😆

(いや、『〈神〉肯定感』

[神はあなたを肯定して下さっています]

この話はまた次の続きで)




はじめまして!Shinya@孤高の旅情編です

2023-06-27 11:38:20 | 日記
はじめまして!

Shinya@孤高の旅情編と申します。

このブログは

日記をメインに書きたいと思い始めました。

『孤高のキリスト教徒』と呼べば聞こえは良いだろうが、

『孤高でいいじゃないか!!』

孤独と考えるか孤高と考えるかでは大違いなのだ。

ちなみに、『孤独』にも意味は二種類ある。

〈ロンリネス〉と〈ソリチュード〉

その話をすればまた話は長くはなるが、

その違いのどちらを選択するかでは大違いなのだ!

今後これからの生き方、

アダルトチルドレンという

これまでの人生で、

影を落としてきた黒歴史人生にありながら、

<孤高のキリスト教徒>としての人生の旅を証しする。

2023/6/27~開始