さて、今日の朝活
(まだ朝でもない(笑))
何から取り組もうかな?😆
このワクワク感も毎日日々楽しみで楽しい😆🤗😁
まあ、聖書とOnfirejapan〈賛美と祈り〉しか
ないがな😁🤗😆
『朝活』
<あのキリストでさえ、
朝の時間を大切にして
静かな場所で
神に祈りを捧げていたのである。>
だから、
目覚めの始まりは、
もちろん神への<祈り>!!!!
神への<祈り><賛美>
私の生活人生を神に<任せる><明け渡す>
<手放す>
これをキリスト教の教えでは
『委ねる』と呼ばれる
神への信仰と人生変えられる祝福の
キーポイント
『祈り』『賛美』『御言葉』『委ねる』
人生変わる変えられる!!
最も難しいのは『委ねる』だという点。
口や言葉で教えられても、やはり、
それも
<経験、体験>が必要だ。
それも長い時間必要だ。
何故なら、信者になって救われたにしても、
そこにこびりつく罪の性質。
神に〈委ねる〉が出来ない理由要因。
<自己中心><プライド、高慢>
[自分のやり方、自分の方法、自分の考え、
自分の理解に、自分の気持ち思い感情感覚、
神愛より自己愛、
より〈頼る〉〈自分優位〉]
などの自分信仰の罪。
<自分中心>の<高慢、プライド>を
自分の心弱さと魂を〈砕く〉のは
自分の力〈自力〉ではほぼ不可能、
ほぼ無理である。
〈砕かれた〉という経験があったにしても、
いつの間にかまた芽生えるという
やっかいな性質『高慢』
<こすってもこすっても出てくる垢>のようなものである。
人間関係によく見られる高慢とも
またその意味は次元が違うのだ。
私たち人間は神に対して『高慢』なのだ。
神に対して、恐れ敬わず、
人間の神に対する<パワハラモラハラ>をしているようなものだ。
人間は、皆、自己中心の性質で残念ながら、
一致する。
どんなに言葉を並べ立てたにせよ、
そこには弁解の余地は一切無いのは当然の話である。
だからこそ、この自己中心の『罪』の問題を
処理せねばならない、
だから、神が必要であり、
キリストの存在が必要である。
そして、人間皆、宗教が必要なのである。
いや、人間は皆宗教人。
なにかに依存し信じる対象が無ければ
一人では人生生きられない理由の所以である。
なにより
『自信』という<自分信仰>が
あるではないかと。
今朝の朝活、結局していた(笑)
朝のコラム、『ありがとう』の言葉が、
まず自己肯定感アップの秘訣
反対に、自己肯定感低い人は
『すみません』
そして
<朝活>
この静寂の時の活動
人生変わる変えられるの秘訣だ!!