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人生ぼっち半世紀ACキリスト教徒のblog

私は、AC〈アダルトチルドレン〉
これまで半世紀近く人生ぼっちの
『孤独』から『孤高の人生』として
書き綴り証しする。

朝に思うこと。『朝活』『祈り』『賛美』『聖書』『委ねる』『喜び』『平安』『神への思い』

2023-06-30 03:48:30 | 日記

さて、今日の朝活

(まだ朝でもない(笑))

何から取り組もうかな?😆


このワクワク感も毎日日々楽しみで楽しい😆🤗😁


まあ、聖書とOnfirejapan〈賛美と祈り〉しか

ないがな😁🤗😆



『朝活』


<あのキリストでさえ、

朝の時間を大切にして

静かな場所で

神に祈りを捧げていたのである。>


だから、

目覚めの始まりは、

もちろん神への<祈り>!!!!


神への<祈り><賛美>


私の生活人生を神に<任せる><明け渡す>

<手放す>


これをキリスト教の教えでは


『委ねる』と呼ばれる


神への信仰と人生変えられる祝福の

キーポイント


『祈り』『賛美』『御言葉』『委ねる』


人生変わる変えられる!!


最も難しいのは『委ねる』だという点。


口や言葉で教えられても、やはり、


それも


<経験、体験>が必要だ。


それも長い時間必要だ。


何故なら、信者になって救われたにしても、

そこにこびりつく罪の性質。


神に〈委ねる〉が出来ない理由要因。


<自己中心><プライド、高慢>


[自分のやり方、自分の方法、自分の考え、

自分の理解に、自分の気持ち思い感情感覚、

神愛より自己愛、

より〈頼る〉〈自分優位〉]

などの自分信仰の罪。


<自分中心>の<高慢、プライド>を

自分の心弱さと魂を〈砕く〉のは

自分の力〈自力〉ではほぼ不可能、

ほぼ無理である。


〈砕かれた〉という経験があったにしても、

いつの間にかまた芽生えるという

やっかいな性質『高慢』


<こすってもこすっても出てくる垢>のようなものである。


人間関係によく見られる高慢とも

またその意味は次元が違うのだ。


私たち人間は神に対して『高慢』なのだ。


神に対して、恐れ敬わず、


人間の神に対する<パワハラモラハラ>をしているようなものだ。


人間は、皆、自己中心の性質で残念ながら、

一致する。


どんなに言葉を並べ立てたにせよ、

そこには弁解の余地は一切無いのは当然の話である。


だからこそ、この自己中心の『罪』の問題を

処理せねばならない、


だから、神が必要であり、

キリストの存在が必要である。


そして、人間皆、宗教が必要なのである。


いや、人間は皆宗教人。


なにかに依存し信じる対象が無ければ

一人では人生生きられない理由の所以である。


なにより


『自信』という<自分信仰>が

あるではないかと。


今朝の朝活、結局していた(笑)


朝のコラム、『ありがとう』の言葉が、


まず自己肯定感アップの秘訣


反対に、自己肯定感低い人は


『すみません』


そして


<朝活>


この静寂の時の活動


人生変わる変えられるの秘訣だ!!







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