・・・という、歌友のコメントを読んで。
ああ、そうそう、クラシックはそうだっけ

ふと思った。
クラシックを歌う自分的には絶対にそうなんだけど
実は・・・
ポピュラー感覚の自分としては
「楽譜の通り」ってこと自体が、存在しないと思ってる。
楽譜って、録音がなかった時代に
第三者に伝える、とか自分が忘れないように、という
「記録の手段」として存在したんじゃないかと思ってるのね。
だいたい、鍵盤の音階とピッタリの音が正しいなんて
私には思えなくてさ。
作り手としてもし「こだわる」んだったら
「1/4半音」とか、使いたい時があるかもしれないし(・・・ないか。)
民族音楽、伝統芸能、昔話の語り部、のように
「口伝え」こそ、「伝える手段」だと思うくらいだから。
実際、「楽譜にするとつまんなくなる」って、感じる時があって
(ポピュラー曲のピアノ譜、とか買うとそう思う・・・)
楽譜に表現できない「伝えたい思い」が、存在するなぁと。
(自分の、楽譜を書く技術がないせいだと思うんだけど
時々、楽語や記号にあてはめるのが面倒で
口伝えが一番、と思うわけ。
んだから、私も、何人かで練習してると
指揮者とか、直接指示できるのって便利、と思っちゃう)
・・・けど、これは「感覚」で生きてる「歌の人」である
私の勝手な考えであります(笑)。
音階にはちゃんと周波数とか倍音とか
私にはようわからん根拠があるらしいことは知ってるし
でもそれは「クラシック」という幅広い意味のジャンルのことで
TVで耳にする名手の津軽三味線とか島歌とか
民族的な音楽を聞いた時、
「ピッチがハマってる」感覚とはズレてる気がしてならないし
(それはそれで、ああいう音楽としてとらえて聴いてますが)
・・・という・・・・
とにかく、「楽譜通りに歌うだけじゃつまんない」んじゃなく、
「楽譜にした時点でつまんない」音楽があると
私は「ベツモノ」に思ってるフシがある。
しかし、来週の施設訪問に備えて
里の秋とか赤とんぼを練習している時の自分は
「楽譜どおりに」しかも「音楽として表現する」ことは
何より大事なことであーる。
・・・という「みんなが引く話題」を
またしても熱く語ってしまったわ。
マニアな皆さんにはわかっていただけるかしら・・・。