aCappella好き♪

正気に戻った。

ペットボトルカバーを編んだあと、
なーにも編まず、
毎日ただひたすら新聞を読んで
ボーっと過ごしていた義母。

これじゃダメだ、私も頑張らないと、と
時々奮起するのだが

「何か編んでみるかな、毛糸たくさんあるんだから。」
という割には、
基本、自分ひとりでは何もできないのだ。
本を眺めても「これだ!」というデザインもなく
結局、進展もないまま三週間ほどが経ち

(その間に、見かねて私が図書館から何冊か本を借りてきて
それはあっという間に読破して、また退屈な日々に・・・)

義母が編み物をしないと、
私の自由度はこんなに増すのかと改めて感じ

相変わらず二階までは登って来られないおかげで
縫い物の仕事はそこそこ進んだ。


編み物をしていた時の義母は、
今言ったことも覚えず、記憶がかなり曖昧だった。

本を読んだのが良かったのか、
編み物、というものへの自信のなさが混乱させたのか、

編み物をしなくなってからの義母は、頭がハッキリして
傍についていて教えないと出来なかった「ソリティア」(トランプ)も
ひとりで出来るようになっていた。

・・・編み物、しない方がいいじゃん。


正気に戻った(?)義母は、優しくなった。
私に対しても気遣いをみせるようになり
「私のことはいいから、るかさん、仕事あるんでしょ。」と
以前のように上品な物言いで
私を手放してくれるようになった。

あれほど付きっ切りで教えても
私の仕事のことなんかお構いなしに
お礼の一言もなかった義母、がである。

先日、洋裁を習いに来ていた友人を
「Yさん、そのセーター素敵ね。」と
名前で呼んでいてびっくりした!

私があんなにカリカリ苛立っていた義母の行動は
認知症とも疑われる症状が原因だったのか?

いたわっても気遣ってももらえない、ことが
ずっと私のモヤモヤの根源だった気がする。
相手が正気だと思っていたら理解できないことも
今なら納得できる。

義母の無表情、無感動。
してもらえることを当たり前だと思うなよ!と
私は何度も心で叫んだ。

(編み物以外の時はしっかりしている義母だから
何かにつけ、私に張り合ってくる)


さて、昨日から、とうとう編み物を再開。
今後どうなるのか~(汗)

今回は、自分にも編めそうなものを選んでくれた。
そして
編み図の見方を聞いては覚えようとしている。

今の感じの義母だったら、仲良く暮らして行けそうよ。

「今日は腰が痛い。」と
朝からこたつに横になっている。
今までだったら、意地でも絶対に寝なかったのに。


優しく出来るかどうかは、相手次第。
家族によくしてもらいたければ、
私も人に好かれるお年寄りにならなければ。

肝に銘じよう。


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