嫌だなと思う神の言葉こそ、聞くべき神の言葉なのでした。
聞きたくないなと思う良心の声こそ、聞くべき良心の声なのでした。
従いたくないなと思う神の言葉こそ、従うべき神の言葉なのでした。
従いたくないなと思う良心の声こそ、従うべき良心の声なのでした。
このような優良な促しに反発しているのは、私達の中の未熟な人格だからです。
神による促しと私達の未熟な人格とがせめぎあって不快感を生じさせています。
その不快感を打ち消す為に私達は他者を非難したり批判したりしているのです。
その結果、私達は裸の王様になっているのです。
紛い物の優越感に浸り王様気分を味わうことでやっと心が鎮まるという有り様です。
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