幾度もの過去世に於いて、思いを尽くし心を尽くして神に仕えることによって、“自分は特別な存在だとか、自分は特別な好意を寄せられているとかの思いを卒業している”篤い信仰を持つに至った者には、神ご自身も安心して親しみを示すことが出来ます。
神様は依怙贔屓をして彼らを身近に置いて居る訳ではないのです。
厳しく当たるのも愛であり、優しく慰めるのも愛です。
神様が自分に何をしても、それは愛によるのだということを、ほんの僅かでも疑ってはなりません(教育的指導ということもあります)。
神ごころは親ごころなのです。
良く世間で言われるように、親になってみて初めて親の気持ちが分かったと言うのは、このことです。
同じように、人に優しくしてみて、初めて人に優しくする人の気持ちがわかるのです。
人を愛してみて、初めて人を愛する人の気持ちがわかるのです。
これらのことが、何か特別なことではないことは、誰でも良く知っています。