“私”は万人の内に宿る“私”である。
“私”は名前も姿形も持たない“私”である。
“私”が存在するから万物が存在する。
“私”は存在そのものであり、意識そのものであり、至福そのものである。
“私”は究極であり、絶対であり、遍在であり、永遠である。
“私”はあなたであり、彼であり、彼女である。
“私”は名前を持たないが“私”に名前をつけて呼ぶことを許す。
“私”はあらゆる思いを越えているが、“私”に名前と姿を与えて“私”を崇めることを許す。
何故なら、人びとは神を実感することをとうして“私”というものを知るからだ。
あなた方のサーダナ(スピリチャル プラクティス)は神の実感の実現のためにこそあるのであり、あなた方は“私”を知り“私”に帰入するために生まれて来たのだから。
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