“私が助けの手を差し伸べます”と言って手を挙げる人が神様は好きなのです。
“神様どうか助けてください、私は無力なのです”というのは正しい祈り方ではありません。
何故なら“私”は無力ではないからです。
微力ながら力を尽くします、どうか御心に叶いますように!と言った方がまだ良いのです。
神に託すというのは結果を託すのであって、神様に何でもしてもらうということではないのです。
行為の主体は自分なのであって、その行為の主体性まで手放してしまうのは責任逃れの言い訳でしかありません。
肯定的、積極的、主体的であることは神様の好むところです。
そこでは、勇気や決断力のような良い性質も育まれるでしょう。
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