誰のことも神様がめんどうを見ているのだから神様の邪魔をしないようにする。
だから、我意を通そうとせずに神意を承る。
そのためには、神様は真実、正義、善であるという信念が必要。
宇宙が始まって以来、神様に見捨てられた人間は一人もいない。
試練というのは、私達に対する信頼にもとずいており、神様は私達を試練に遇わせる時にも私達を見守っている。
すべては私達の霊的な成長のためであり、私達が神の愛に立ち返るためである。
私達は見返りを求めない神の愛によって互いに結びつけられなければならない。
プルシャスークタムでは、神は一千の頭をもつと言われているが、それは、一千の人間が一つの心をもつという意味である。
ハートは一つ、思考は一千という訳です。
そのハートは、愛のハート、神のハート、至高者のハートです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます