人びとが体験するのは、信じていたもの、あるいは信じていたことが実在したという体験です。
ご先祖様を信じていた人は、死んでご先祖に会います。
イエス様やマリア様を信じていた人は、死んでイエス様やマリア様に会います。
阿弥陀様を信じていた人は、死んで阿弥陀様に会います。
観音様を信じていた人は、死んで観音様に会います。
そこでの、バーヴァ(気持ち)が通じあっているという確かな実感が、生き返った後の人生に決定的な影響を与えます。
百千の議論に参加することは終わり、疑念に苦しめられることも無くなります。
これは臨死体験ですが、同じことが瞑想や悟りの体験でも起こります。
いずれの場合も霊の世界にアクセスすることで実現するからです。
“あなた達は、信者が神を探し求めているのだと考えていますが、真実は異なります。真実は神が信者を探し求めているのです”
ーサイババー。
サイババ様はかつて真実私の信者だと言える者は一人も居ないと言ったことがあります。
帰依するということに関して、神様が設定したレヴェルはとても高いのです。
イエス様は駱駝が針の穴を通ることのほうが簡単だとも言いました。
そんな中で神様の愛に圧倒されてひれ伏してしまうことが最も簡単な方法なのです。
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