私達は誰でも、色々なことを覚えていたり忘れていたりしますが、覚えているにしろ忘れているにしろ其れには自然な理由自然な原因があります。
しかし、覚えていることが苦しみをもたらしたり、忘れていることが苦しみをもたらしたりするときに、その苦しみにも自然な理由や自然な原因があると見なす人は居ません。
私達人間は本来的に苦しみは不自然なことだと感じているからです。
今現在の出来事によって生じている苦しみでさえ、こんなのは何か変だ、こんなのは何か間違っていると感じるのですから。
ヒンドゥーの聖典では、その理由を私達は本来的に至福に満ちている自己(アートマーナンダ)だからだと説いています。
アートマの至福が私達人間の真実本質であるが故に、苦しみの存在を自然なものだと認めることが出来ないのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます