前々記事、前記事から続いて、 某『鳥の雑誌』投稿コーナーに掲載された写真に関して...
この“不可解”な一連について書いたとなると、 併せて示しておくのにも 意味があるのかも?、といったところ。
これ単体は、 もし 『あちら』の“不可解”が「これだけ」だったとしたら、 いちいち書くほどでもなかった程度のこと、ながら...
(1回目にも載せた)応募のメールでは
と、 ホワイトバランスの項目は記載しなかったところ、 『あちら』からのメールで わざわざ
に
と返信して
の やり取りがあった。
のだが・・・
その結果の誌面では...、 どこから湧いて出たのか、の、 この一連の どこにも無かった『WBオート』と記載されている。
この経緯が、 わざわざのやり取りは無くての 応募から直で、なら、 経験的に、 このテの誤記載は どこでも ありがちな事故。
杜撰といえば杜撰... だからといって “重箱の隅を...”のような批判をするのは、 見識として疑問だろう。
明示しても、しなくても、 『撮影データ』の 型式や数値そのものは、 絶対的に確定している。
これは、 写真を見る側にとっても、 経験や知識が少ない部分ほど 有益に活かせる参考情報にもなるところ。
それが 具体的に明記されていると、 その 機械的な絶対値のイメージから 確かなものとして信用してしまいそう、でも...
どこの場でも、 記載されている内容は、 何でも全てを 無思考で真に受けられるほどの確度は無いもの。
参考に活かすのは良くても、 無思考で何でも受け売りするだけでは、 間違った理解で迷走する原因になったりも・・・
そういう撹乱材は、 前々記事、前記事で書いた、 あたかも解っているかのように語られる 自然言語でのお話だけではない。
わざわざのやり取りがあって、でも、 これ「だけ」だったら、 まだ、 何らかのミス、で流して済ませられる程度のこと。
あるいは、 『あちら』の残念ぶりを指摘した後からでも 有効な対応がされていれば、 この部分の意味も違ってくるだろうところ。
実際、 まだ『あちら』が どう対応するのか判断できない段階で送信したメールでは、 この部分を書くのは省略している。
でも・・・
有効な対応がされないのも含めての、 この掲載の一連が ここまで“不可解”“違和感”ばかりの中に、 ここにも、となると...
これも、 それぞれを個別に切り分けた個々の評価とは違う 全体の事情があって表れた1つだったのかも...、 とも見えてくる。
応募に明記したテーマとは違う扱いにした経緯も、 こちらからは判断できない。
『あちら』が、 どこにでも多々いる、 この世の実際とは違う世界が 見えて聞こえて、 現実も言葉も意味を持たない残念さんか...
あるいは、 一連の“不可解”の各所が、 そもそもから 改ざんする明確な意図を持って掲載したのか...
何であれ、 こういう、 『あちら』を“人”として接することへの 根幹的な疑問が深い実例に満ちた対象とは、 関わり難くなる。
・・・ といっても、 この『鳥の雑誌』の事情からすれば 当然、か。
鳥写真では、 殆ど全てほどが 初心から『ヤラセ』に直行するのは、 一般まで広く 公然の常識。
写真は主要目的ではない バードウォッチングでも、 『餌付け』の『ヤラセ撮影会』巡回が お決まりコース。
そのどちらも一体の内輪では、 『餌付け』『ヤラセ』が『優秀な証明』として 公然とご自慢にご熱心。
でも、 その現実では不都合な対外的になると・・・
そこでは、 自身そのものの『餌付け』『ヤラセ』を罵倒してまで、 全てを真っ当に写してきた設定を声高に語るお芝居に興じる。
それを、 そのお姿の残念ぶりには触れずに 表向きは体裁良く応接してもらえるのも、そっとスルーしてもらえるのも、 社交儀礼...
言及されると自身が不都合なことには触れられずに ご勝手に語っていられても、 その残念ぶりに気付かれていない...のではない。
のだが...
その自身は、 バレずに 巧みに演じられている成功率100%の実例を積み上げてきた...つもり。
そんな内輪では、 なりすませているつもりの“極意”を教え合い、 実践し合って、 成功体験として証明し合っていられる。
それが、 得意げでいれば より得意げでいられるほど、 喜々としていればして より喜々としていられるほど...
知的面での いわゆる健常者は、 見せられる(見えてしまう)側の方が恥ずかしい思いをさせられている、 哀しい活況。
それでも、 残念さんと解っているからこそ、 その場は受け流してもらえるのが 世の中の優しさ。
だから、 残念さんは、 その残念ぶりこそ優れているつもりでいられる 同類の残念さんとしか関われない同士だけで集っていく。
そして、 そんな残念さんの知能では、 自身にはご都合が良い虚構を語っては 実体験の記憶に昇華させてしまうのも 定型。
だから、 ますます、 同類の残念さん同士としか 関われない。
でも、 同類の残念さん同士だけで集えば、 ご勝手な妄想を無限に膨らませて 事実として証明し合っていられることでもあり...
その集いの中では、 実在しない経歴を、 実在しない生態のご解説で証明を補強した 妄想世界での実績がご自慢で、 お幸せ。
そんな、 倒錯した残念に満ちた世界では...
この『鳥の雑誌』が、 残念さんに不都合が生じない世界でなければ、 圧倒的多数層に購買させられる営利活動にはなっていない話。
そちら側の内輪相応なら、 現実とは無関係な言動も必然、と受け取るしかない...のだろう。
この“不可解”な一連について書いたとなると、 併せて示しておくのにも 意味があるのかも?、といったところ。
これ単体は、 もし 『あちら』の“不可解”が「これだけ」だったとしたら、 いちいち書くほどでもなかった程度のこと、ながら...
(1回目にも載せた)応募のメールでは
<テーマ:気象> ◆(ここに画題 : 応募の文面では 漢字とカタカナでの表記) 2017年 4月 大阪府内 (ここにレンズスペック) , F4.5 1/4000秒 ISO 200 「気象」のテーマに含まれるのか、は 少々“びみょ~”な感もありつつ・・・ 強風で荒れる水面での捕食行動の一瞬。 自然界では、小さな獲物を捕らえるの にも、曲芸的な能力での大きな労力が 必要です。 |
と、 ホワイトバランスの項目は記載しなかったところ、 『あちら』からのメールで わざわざ
掲載にあたり,添付いたしましたこちらのお写真の ・カメラの機種名 ・撮影地(市区町村まで) ・ホワイトバランスの設定 をお教えいただきたく存じます。 |
に
ホワイトバランスに関しては... 調節が “晴天”“太陽光”からアンバー寄りとか マゼンタ寄り(緑かぶり感を緩和)、というような設定 だったので、 直接に指定した実数ではないですが、 色温度の部分としては「約5350k」が分かり易いでしょうか。 ただ、 そもそも、 メーカーやソフトの違いにも横断的に汎用性がある情報には なり難い感じもあって、 参考になるべき対象ほど むしろ 誤った理解に誘導しそうな割に、 そうならない対象には 情報力は弱く... 簡潔な表記で積極的に記載するのは、 意義は『?』の 功罪ある項目にも思えます。 |
と返信して
ご返信いただきありがとうございます,承りました。 たいへん失礼いたしました。 応募の際に(名字)さまがご提供いただいた情報のみ掲載させていただきます。 |
の やり取りがあった。
のだが・・・
その結果の誌面では...、 どこから湧いて出たのか、の、 この一連の どこにも無かった『WBオート』と記載されている。
この経緯が、 わざわざのやり取りは無くての 応募から直で、なら、 経験的に、 このテの誤記載は どこでも ありがちな事故。
杜撰といえば杜撰... だからといって “重箱の隅を...”のような批判をするのは、 見識として疑問だろう。
明示しても、しなくても、 『撮影データ』の 型式や数値そのものは、 絶対的に確定している。
これは、 写真を見る側にとっても、 経験や知識が少ない部分ほど 有益に活かせる参考情報にもなるところ。
それが 具体的に明記されていると、 その 機械的な絶対値のイメージから 確かなものとして信用してしまいそう、でも...
どこの場でも、 記載されている内容は、 何でも全てを 無思考で真に受けられるほどの確度は無いもの。
参考に活かすのは良くても、 無思考で何でも受け売りするだけでは、 間違った理解で迷走する原因になったりも・・・
そういう撹乱材は、 前々記事、前記事で書いた、 あたかも解っているかのように語られる 自然言語でのお話だけではない。
わざわざのやり取りがあって、でも、 これ「だけ」だったら、 まだ、 何らかのミス、で流して済ませられる程度のこと。
あるいは、 『あちら』の残念ぶりを指摘した後からでも 有効な対応がされていれば、 この部分の意味も違ってくるだろうところ。
実際、 まだ『あちら』が どう対応するのか判断できない段階で送信したメールでは、 この部分を書くのは省略している。
でも・・・
有効な対応がされないのも含めての、 この掲載の一連が ここまで“不可解”“違和感”ばかりの中に、 ここにも、となると...
これも、 それぞれを個別に切り分けた個々の評価とは違う 全体の事情があって表れた1つだったのかも...、 とも見えてくる。
応募に明記したテーマとは違う扱いにした経緯も、 こちらからは判断できない。
『あちら』が、 どこにでも多々いる、 この世の実際とは違う世界が 見えて聞こえて、 現実も言葉も意味を持たない残念さんか...
あるいは、 一連の“不可解”の各所が、 そもそもから 改ざんする明確な意図を持って掲載したのか...
何であれ、 こういう、 『あちら』を“人”として接することへの 根幹的な疑問が深い実例に満ちた対象とは、 関わり難くなる。
・・・ といっても、 この『鳥の雑誌』の事情からすれば 当然、か。
鳥写真では、 殆ど全てほどが 初心から『ヤラセ』に直行するのは、 一般まで広く 公然の常識。
写真は主要目的ではない バードウォッチングでも、 『餌付け』の『ヤラセ撮影会』巡回が お決まりコース。
そのどちらも一体の内輪では、 『餌付け』『ヤラセ』が『優秀な証明』として 公然とご自慢にご熱心。
でも、 その現実では不都合な対外的になると・・・
そこでは、 自身そのものの『餌付け』『ヤラセ』を罵倒してまで、 全てを真っ当に写してきた設定を声高に語るお芝居に興じる。
それを、 そのお姿の残念ぶりには触れずに 表向きは体裁良く応接してもらえるのも、そっとスルーしてもらえるのも、 社交儀礼...
言及されると自身が不都合なことには触れられずに ご勝手に語っていられても、 その残念ぶりに気付かれていない...のではない。
のだが...
その自身は、 バレずに 巧みに演じられている成功率100%の実例を積み上げてきた...つもり。
そんな内輪では、 なりすませているつもりの“極意”を教え合い、 実践し合って、 成功体験として証明し合っていられる。
それが、 得意げでいれば より得意げでいられるほど、 喜々としていればして より喜々としていられるほど...
知的面での いわゆる健常者は、 見せられる(見えてしまう)側の方が恥ずかしい思いをさせられている、 哀しい活況。
それでも、 残念さんと解っているからこそ、 その場は受け流してもらえるのが 世の中の優しさ。
だから、 残念さんは、 その残念ぶりこそ優れているつもりでいられる 同類の残念さんとしか関われない同士だけで集っていく。
そして、 そんな残念さんの知能では、 自身にはご都合が良い虚構を語っては 実体験の記憶に昇華させてしまうのも 定型。
だから、 ますます、 同類の残念さん同士としか 関われない。
でも、 同類の残念さん同士だけで集えば、 ご勝手な妄想を無限に膨らませて 事実として証明し合っていられることでもあり...
その集いの中では、 実在しない経歴を、 実在しない生態のご解説で証明を補強した 妄想世界での実績がご自慢で、 お幸せ。
そんな、 倒錯した残念に満ちた世界では...
この『鳥の雑誌』が、 残念さんに不都合が生じない世界でなければ、 圧倒的多数層に購買させられる営利活動にはなっていない話。
そちら側の内輪相応なら、 現実とは無関係な言動も必然、と受け取るしかない...のだろう。