足らなくなったお酒を買いにコンビニに寄ったら、オニギリもパンも一つもありませんでした。入荷が間に合わない程、売れているそうです。
年末にお参りできなかった私の為だけに、再度、一家総出で菩提寺に墓参りに出掛けます
真如堂奥の院内部の閲覧が許され、案内を受けていて、同じ三井家(三井高利)の菩提寺とは知っていましたが、NHK朝ドラの「アサが来た」のモデルだった京都の豪商小石川三井家の三井高益の墓もここにあるとは初めて知りました。
三井家の家祖・三井高利夫妻の墓などが祀られている京都の古刹・真如堂は三井家の菩提寺として高利夫妻をはじめ三井各家累代の墓があり、300年以上にわたって祭祀が続けられている。
永観2年(984)、比叡山にまつられていた慈覚大師円仁作の阿弥陀如来を遷座して開創された寺院で、天台宗に属する。正式名称は「真正極楽寺」。
真如堂に参詣した高利が自らの墓所に希望したことが由縁で三井家の菩提寺となった。高利が松阪から京都に住まいを移すのは、貞享3年(1686)、65歳になってからのことである。以来、晩年の8年を京都で過ごし、元禄7年(1694)、73才のときに京都で没した。
広大な寺領を有する真如堂は本坊に檀家を持たなかったが、高利の遺言を受け、三井家が話し合い、元禄7年(1694)、塔頭の一寺である真如堂東陽坊の檀家に迎えられた。その後、明治に入って真如堂本坊の大檀家となり、今日に至っている。
墓所には高利夫妻をはじめ、三井各家累代の墓のほか、越後屋奉公人 2321 人の戒名を彫り入れた総墓(供養塔)もある。最古の享保6年(1721)から最も新しい文久3年(1863)に建てられたものまで8基が現存しており、企業の供養塔の先駆けとされている。
奥の東山そのものが涅槃像であることはご存知だと思いますが、庭のそのまま涅槃像になっています。山に見えるのが大文字山です。
1988年、曽根三郎氏によって作庭された涅槃の庭。ガンジス川支流の沙羅の林の中で、北(向かって左)を頭にしたお釈迦さまが入寂され、その回りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子が、石組や白砂、植栽などによって表現されています。垣根に向こうには大文字山などの東山が横たわっています。
2010年、重森千青氏によって作庭された随緑の庭。背後にある仏堂の蟇股に付けられた四つ目の家紋に因んでデザインされました。「随緑」とは、事象が緑に因って様々な現れ方をすることをいいます。