これまた8月のお話ですが、8月19日(金)に高橋一生氏の一人芝居である「舞台2020」に行って参りました!
場所は大阪城の近くにある森ノ宮ピロティーホールです。
去年もヘタミュ見に、この辺来ましたっ!
会場は別のホールでしたが、あのときは私としてはヘタミュ初見でグッズ販売に並ばないといけなかったので
全然周辺を見て回れなかったのですが、
今回は時間がたっぷりありましたので、大阪城始め、いろいろ見て回りましたv
大阪城は人生初です。
こんなに何回も大阪に来ているのに、、、
大昔、仕事で大阪来たときに寄ろうと思ったら工事中で入れなかったので、
そのときからずっと来たかったんですが、なかなか来れず・・・。
意外と駅から歩くし登りますね、、、
老体には堪えました。
以前、青葉城址に行ったときもそうでしたが、
城って本来は高くて登る場所にあるものですよね、、、(神社も然り)
地元の名古屋城(熱田神宮もですが)は平地で駅から歩いてすぐなので、
わざわざ登るのってワタシ的には結構ハードル高いです。
体鍛えなきゃv
あとは、大阪歴史博物館も行ってきましたv
大阪の歴史を事細かく解説されていて、非常に興味深かったのですが、
今回、特にワタシのテンションを上げてくださったのは、これですっ!!
難波宮の大極殿っ!!
そして、難波宮跡地っ!!
(ワタシのシルエットが、、、)↓
難波宮全体(博物館より撮影)↓
難波宮って、跡地あったんですねっ!!!
今回初めて知りました。
この跡地の発掘についての記事も博物館にありましたv
山根先生(発掘した先生)、ありがとう!!
里中満智子センセの「天上の虹」「女帝の手記」の世界ですよっ!
跡地の内裏部分に立ったときに、古代の大王や皇子たちも同じ場所に立ってたんだなぁ・・・
と感慨深いものがありました。
なお、特別展は和菓子の歴史をやってて、ご飯食べずにまわってたんで、これまた空きっ腹には堪えました(笑)
そして、この日は友人宅にお泊まりさせていただき、翌日に久々にひとりじゃないカラオケしてきましたv
そして、この日の最高得点はこちらですv
県別の順位の図が見慣れた逆さまの蟹さんの形ではないのがムズムズします(笑)
そうだよ!大阪で歌ってんだから、今のワタシは大阪の人・・・。
・・・とまあ、ビフォーアフターはこのくらいにして、
本編の舞台2020についての感想です。
(前置きが長くてスミマセン)
座席は真ん中よりも後方でしたが、それほど広いハコではなかったので、表情まで肉眼でよく見れました。
装置はシンプルに多くの白い箱が積まれたものが、場面場面によって形を変えていく・・・そんな幻想的とも言える世界観です。
バックも白い箱の壁でしたが、ボルタリングみたいに登ったり、映像での表現で、凸凹したところが動いたり箱が落ちて穴が空いたり・・・不思議な仕掛けでした。
内容はタイトルの通りコロナ元年の2020年を起点としたストーリーで、
主人公の一生さんは何百年も転生をくりかえし、2020年から遙か未来までなお転生し、最後の人類となった人間とのこと。
ダンサーの橋本ロマンスさんは彼のカゲ的存在として、寄り添いながらも終始無言で場面が展開されていきます。
一生さんの語る台詞が何せ抽象的すぎて、このお芝居がとてつもなくスゴイお芝居だということはビンビン感じとれたのですが、
ここのシーンが一体何を表現しているのか、それを考え始めるとストーリーが上手く追えなくて・・・
そんな試行錯誤を繰り返しながら見ておりました。
たとえば、ゴリラのこんな話がありました。
ゴリラを閉じ込めて、食べ物は十分に与えるが、それ以外は何もない状態で置いておいたら自殺したが、
同じ状態で閉じ込めた部屋に深い穴(飛び降り自殺可能なくらいの)があったら、ゴリラは死ななかった。
そんな話が一生さんから語られるのですが、これはワタシなりの解釈ですが、今の人間社会そのものを表しているなぁ・・・と。
物には満たされた世界だが「人はパンのみに生きるにあらず」の言葉の通り、生きる意味を見いだせないと、
かえって豊かで安全な世界のが生きにくくなりますよね。
それよりは、深い穴=死と隣り合わせ(たとえば戦争とか)の状況の方が、生きること自体が人生の目的となるので、
その方が生きていられる皮肉な世を説いたお話だなあと。
そもそも他の動物は人間みたいに「生きる意味」なんて考えずに、ただ生きることが目的であるもののがほとんどなので、
現代は豊かにはなったけど、それはいわゆるマズローの五段階欲求の上位の欲求を求める段階まできてしまっているから、
その分、欲求が満たされにくくなり、結果として生きる力そのものに影響が出ているんだろうなぁと思います。
自分もそうですが、昭和の時代の自分だったら平気だっただろうなぁと思うことに不安になったり怯えたり、
(若さもあったかもしれませんが)
でもそれはそういうことに社会全体が怯えている側面もあって、
個別には何かが違うと感じていても、大多数の人は声を上げずに、
その中に身をゆだねて、そのまま生きている。。。
一生くんの役は転生を繰り返しているのですが、その時代時代での社会の状況に身をゆだねて、
それを打破しようとしない人たちが「肉の海」という表現で表されているんですよね。
冒頭での台詞「沈黙は金なり」という言葉が劇中でもくりかえし出てくるのですが、
意識しているつもりはなくとも、実際には大勢はそのように動いていますね。
今回のコロナもそうですが、マスクの効果ってもう疑問視されていると思うのですが、
(マスクしてても感染増えましたよね)
それでもまだほとんどの人がマスクを手放せずに生活していますよね。
客席でもみんな当然ですがマスクをしていて、そんなこちらに向かって、
その全体主義的状況を揶揄する台詞もチラホラ飛び出してきて、ドキリとさせられたり。。。
終始、一言一言が重みや深みを持っていて、ついていくのに必死でした。
もう一度見たいっ!円盤でないかなぁ・・・。
ドラマもいいですが、舞台なりの演出や表現もあるので、本当に楽しかったです。
(っていうのも変な感想かな??話の内容的に)
ヘタミュもそうでしたが、お客さんも舞台の一部になりますので、
その日その日の客席の反応でも、同じことやってもガラッと変わったりしますものね。
だから直に観に行くことに価値があるのかなぁと思います。
その瞬間、その場にいる人しか味わえない感情、感覚をもらえますので。
とまあ、今回はかなり特別な舞台だったので、なかなか解説するには自分の力量不足の面が
大きくて、こんな程度しか語れませんが、それだけスゴイ舞台だったということですっ!
この日は舞台終了後に抽選で舞台裏を語る的なワークショップが開かれてまして(もう忘れた、、、)
当然申し込みはしましたが、自分ではなく隣席の人が当選していて、メチャクチャ残念でした。
ついつい最初のヘタミュの当日券並んだときのこと思い出しましたよ。
あれも自分の前の人が当たってて、自分は外れたんですよね、、、
でも、あと一息っ!!1
運よ、来いっ!!!
と色んなところで叫びつつ、今回はこの辺で。
長々とおつきあいいただき、そして遅めのレポにおつきあいいただき、
ありがとうございます。
先月も某舞台に行きましたので、次回はその辺について語りたいと思います。
場所は大阪城の近くにある森ノ宮ピロティーホールです。
去年もヘタミュ見に、この辺来ましたっ!
会場は別のホールでしたが、あのときは私としてはヘタミュ初見でグッズ販売に並ばないといけなかったので
全然周辺を見て回れなかったのですが、
今回は時間がたっぷりありましたので、大阪城始め、いろいろ見て回りましたv
大阪城は人生初です。
こんなに何回も大阪に来ているのに、、、
大昔、仕事で大阪来たときに寄ろうと思ったら工事中で入れなかったので、
そのときからずっと来たかったんですが、なかなか来れず・・・。
意外と駅から歩くし登りますね、、、
老体には堪えました。
以前、青葉城址に行ったときもそうでしたが、
城って本来は高くて登る場所にあるものですよね、、、(神社も然り)
地元の名古屋城(熱田神宮もですが)は平地で駅から歩いてすぐなので、
わざわざ登るのってワタシ的には結構ハードル高いです。
体鍛えなきゃv
あとは、大阪歴史博物館も行ってきましたv
大阪の歴史を事細かく解説されていて、非常に興味深かったのですが、
今回、特にワタシのテンションを上げてくださったのは、これですっ!!
難波宮の大極殿っ!!
そして、難波宮跡地っ!!
(ワタシのシルエットが、、、)↓
難波宮全体(博物館より撮影)↓
難波宮って、跡地あったんですねっ!!!
今回初めて知りました。
この跡地の発掘についての記事も博物館にありましたv
山根先生(発掘した先生)、ありがとう!!
里中満智子センセの「天上の虹」「女帝の手記」の世界ですよっ!
跡地の内裏部分に立ったときに、古代の大王や皇子たちも同じ場所に立ってたんだなぁ・・・
と感慨深いものがありました。
なお、特別展は和菓子の歴史をやってて、ご飯食べずにまわってたんで、これまた空きっ腹には堪えました(笑)
そして、この日は友人宅にお泊まりさせていただき、翌日に久々にひとりじゃないカラオケしてきましたv
そして、この日の最高得点はこちらですv
県別の順位の図が見慣れた逆さまの蟹さんの形ではないのがムズムズします(笑)
そうだよ!大阪で歌ってんだから、今のワタシは大阪の人・・・。
・・・とまあ、ビフォーアフターはこのくらいにして、
本編の舞台2020についての感想です。
(前置きが長くてスミマセン)
座席は真ん中よりも後方でしたが、それほど広いハコではなかったので、表情まで肉眼でよく見れました。
装置はシンプルに多くの白い箱が積まれたものが、場面場面によって形を変えていく・・・そんな幻想的とも言える世界観です。
バックも白い箱の壁でしたが、ボルタリングみたいに登ったり、映像での表現で、凸凹したところが動いたり箱が落ちて穴が空いたり・・・不思議な仕掛けでした。
内容はタイトルの通りコロナ元年の2020年を起点としたストーリーで、
主人公の一生さんは何百年も転生をくりかえし、2020年から遙か未来までなお転生し、最後の人類となった人間とのこと。
ダンサーの橋本ロマンスさんは彼のカゲ的存在として、寄り添いながらも終始無言で場面が展開されていきます。
一生さんの語る台詞が何せ抽象的すぎて、このお芝居がとてつもなくスゴイお芝居だということはビンビン感じとれたのですが、
ここのシーンが一体何を表現しているのか、それを考え始めるとストーリーが上手く追えなくて・・・
そんな試行錯誤を繰り返しながら見ておりました。
たとえば、ゴリラのこんな話がありました。
ゴリラを閉じ込めて、食べ物は十分に与えるが、それ以外は何もない状態で置いておいたら自殺したが、
同じ状態で閉じ込めた部屋に深い穴(飛び降り自殺可能なくらいの)があったら、ゴリラは死ななかった。
そんな話が一生さんから語られるのですが、これはワタシなりの解釈ですが、今の人間社会そのものを表しているなぁ・・・と。
物には満たされた世界だが「人はパンのみに生きるにあらず」の言葉の通り、生きる意味を見いだせないと、
かえって豊かで安全な世界のが生きにくくなりますよね。
それよりは、深い穴=死と隣り合わせ(たとえば戦争とか)の状況の方が、生きること自体が人生の目的となるので、
その方が生きていられる皮肉な世を説いたお話だなあと。
そもそも他の動物は人間みたいに「生きる意味」なんて考えずに、ただ生きることが目的であるもののがほとんどなので、
現代は豊かにはなったけど、それはいわゆるマズローの五段階欲求の上位の欲求を求める段階まできてしまっているから、
その分、欲求が満たされにくくなり、結果として生きる力そのものに影響が出ているんだろうなぁと思います。
自分もそうですが、昭和の時代の自分だったら平気だっただろうなぁと思うことに不安になったり怯えたり、
(若さもあったかもしれませんが)
でもそれはそういうことに社会全体が怯えている側面もあって、
個別には何かが違うと感じていても、大多数の人は声を上げずに、
その中に身をゆだねて、そのまま生きている。。。
一生くんの役は転生を繰り返しているのですが、その時代時代での社会の状況に身をゆだねて、
それを打破しようとしない人たちが「肉の海」という表現で表されているんですよね。
冒頭での台詞「沈黙は金なり」という言葉が劇中でもくりかえし出てくるのですが、
意識しているつもりはなくとも、実際には大勢はそのように動いていますね。
今回のコロナもそうですが、マスクの効果ってもう疑問視されていると思うのですが、
(マスクしてても感染増えましたよね)
それでもまだほとんどの人がマスクを手放せずに生活していますよね。
客席でもみんな当然ですがマスクをしていて、そんなこちらに向かって、
その全体主義的状況を揶揄する台詞もチラホラ飛び出してきて、ドキリとさせられたり。。。
終始、一言一言が重みや深みを持っていて、ついていくのに必死でした。
もう一度見たいっ!円盤でないかなぁ・・・。
ドラマもいいですが、舞台なりの演出や表現もあるので、本当に楽しかったです。
(っていうのも変な感想かな??話の内容的に)
ヘタミュもそうでしたが、お客さんも舞台の一部になりますので、
その日その日の客席の反応でも、同じことやってもガラッと変わったりしますものね。
だから直に観に行くことに価値があるのかなぁと思います。
その瞬間、その場にいる人しか味わえない感情、感覚をもらえますので。
とまあ、今回はかなり特別な舞台だったので、なかなか解説するには自分の力量不足の面が
大きくて、こんな程度しか語れませんが、それだけスゴイ舞台だったということですっ!
この日は舞台終了後に抽選で舞台裏を語る的なワークショップが開かれてまして(もう忘れた、、、)
当然申し込みはしましたが、自分ではなく隣席の人が当選していて、メチャクチャ残念でした。
ついつい最初のヘタミュの当日券並んだときのこと思い出しましたよ。
あれも自分の前の人が当たってて、自分は外れたんですよね、、、
でも、あと一息っ!!1
運よ、来いっ!!!
と色んなところで叫びつつ、今回はこの辺で。
長々とおつきあいいただき、そして遅めのレポにおつきあいいただき、
ありがとうございます。
先月も某舞台に行きましたので、次回はその辺について語りたいと思います。