小アジア(現在のトルコあたり)にフリュギアという王国が
ありました。
あるとき、この国の王が亡くなったのですが、困ったこと
に世継ぎがいませんでした。
そこに、神のお告げ(ご神託)が下ります。
「新しい王は牛車に乗って来るであろう」
「へえ、牛車でねぇ~」
人々が訝(いぶか)る只中にタイミングよく通りかかった
のが牛車に乗った貧しい農民のゴルディウスでした。
荷車の轅(ながえ) 長柄の意で馬車や牛車などの前方
に長く突き出ている棒状の柄には、何故かこの日に限って
一羽の大きな鷲がずっと止まっていたのです。
当時、鷲は神鳥(神の使い)とされていたものですから、
新しい王はこの方に違いないと人々は思いました。
お告げ通りに牛車に乗って、しかも鷲(神の使い)を伴って
いるように見えるゴルディウスは、こうしてフリュギアの王に
なったのでした。
そこでゴルディウスは、神への感謝のしるしにその荷車を
奉納することにしたのです。
それは樹皮を水に漬したものを精巧に縒(よ)り合わせて
作った紐を用いて特別な結び方(結び目の始まりと終わりの
見分けがつかないかたち)で神殿の柱にしっかりと括(くく)り
付けられていたのでした。
一説には荷車の轅と軛(くびき) 轅の先端に渡して牛や
馬にひかせる横木とを縛った結び目とも謂われているが …
果たして、
これが伝説に聞く 「ゴルディオンの結び目」
で (ゴルディウス、ゴルディアス、ゴルディアン)の結び目
とも呼ばれているものなのです。
曰く、「結び目を解いた者は全アジア(東方)オリエント
を治める大王となるであろう」 というものでした。
以来、数百年にわたり、数多(あまた)の勇者、知恵者たち
が挑戦しましたが誰一人として解くことができませんでした。
とにかく、難解で誰にも解けない結び目だったのです。
このことから Gordian Knot と言えば、難題・難問、
手に負えない、手詰まりの状態を指す言葉となりました。
時代は下り、紀元前333年の春に東方への遠征の途中
で、フリュギアの首都ゴルディオンに到着したマケドニアの
若き王は神殿に奉納されている荷車の伝説に興味を示し、
結び目の謎解きに挑みますが、特殊な結び方を解くのには
時間がかかると見るやいなや剣を抜き一刀両断、たちまち
のうちに結び目を真っ二つに断ち切ってしまったのです。
予言は見事に成就します。
その後、インドまで遠征し全東方の覇者となった彼こそが
「大王」 の称号で讃えられる アレクサンドロス
(アレクサンダー)その人なのです。
それまでのやり方にとらわれずに、新しい考え方で一気に
問題を解決するという、いかにも、彼らしいエピソードです。
ごちゃごちゃ考えるよりも、ほどけなければ切ってしまえ
何だか、「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」 のよう
でもあるけど、織田信長のそれとは似て非なるものです。
破壊的で傲慢な信長よりも、むしろ、既存の概念や常識に
囚われない 『コロンブスの卵』 的な発想でしょう。
何でも1号 さんによると、コロンブスの逸話は作り話で
本当は 『ブルネレスキの卵』 らしいのですが …
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/191.html(参照)
それはさておき、
このように 「常識を超えた手段や方法で難事を一気に
解決する」 ことを To Cut The Gordian Knot
と言います。
まさに 「難題を一刀両断に解くが如し」 という意味です。
ペルシャの支配に苦しむ国々を自由にして、世界をひとつ
の国にしようと夢見たアレクサンドロスは東西世界の融合を
はかるためにマケドニアの貴族の男性とペルシャ女性との
集団結婚式を行うなど、古い秩序や因習に囚われることなく
古い時代を終わらせて新しい時代を築こうとしたのでしたが
マケドニアへの帰路の途中、ペルシャの大都市バビロンで
高熱に襲われ突然の死を迎えます。
王の中の王という意味で「大王」と呼ばれ伝説となった
アレクサンドロスですが、あと少しのところで「世界をひとつ
にする」という壮大な夢は実現しませんでした。
固執した考えを脱し柔軟な思考で問題解決に挑まなくては
新たな展望は開けないのはいつの時代でも同じでしょう。
旧来の手法で、ああでもない、こうでもないと色々いじくり
まわしてみても解決の糸口が見つからないような場合には、
古い発想を捨てて、まったく新しい切り口でアプローチして
みることも大事ですよね
ところで、アルジェリアで起きたイスラム武装勢力による
人質事件で、プラント大手の「日揮」は、昨日(21日)深夜に
日本人7人、外国人3人、計10人の従業員が死亡したこと
を明らかにしました。
我々、日本人にとっては 「痛恨の極み」 で最悪の
結末だったとも言えます。
日本人的な感覚から言えば、たとえテロリストを逃がした
としても人命が優先されるという考えの方が一般的ですが、
世界的にはテロリストに対峙して断固として屈しないことが
人命よりも優先されるのです。
ましてや、アフリカ … しかもアルジェリア人にとっては、
テロに対する恐怖の経験がトラウマとしてあり、テロに厳しく
対処して公共の治安を守るということは国家としての正当性
を主張し体制を維持するための生命線でもあったのです。
おそらくは日本で同様の事件が起これば、政府や警察は
もちろん、法律の壁(自衛隊法の不備)が仇となり自衛隊も
ただ右往左往するだけで、― Gordian complication ―
とにかく 困った ということで、Gordian Knot の状態
が当面のあいだ続くことになったでしょう。
その後どうなるかは、ご想像にお任せしますが …
今回のアルジェリアでの結果は、決してベストではなかった
けど、ベターだったと考えるしかありません。
事件の顛末がどのようになったかは誰にもわかりません。
もっともっと悲惨な結末さえ予想されることだったのです。
拙速な対応であり、もう少し慎重に対処すべきだったとする
意見や非難もありますが、これは人質救出作戦では
なく 現状を打開するための難問解決手段だったのです。
悔しく無念ではあるけれど難題を一刀両断にしたのです。
要するに、これは、
Cut The Gordian Knot なのです。
そう思うしかありません。 そう思わなくては犠牲者は
浮かばれませんし、遺族の心は癒しようもないのです。
そして、日本でも 「ゴルディオンの結び目」
ゴルディアン・ノット のように複雑で難しい体罰の
問題に切り込んだ人がいます。
大阪私立桜宮高校の体育系の入試中止問題です。
今日(22日)現在では非難轟々の嵐が渦巻く状況ですが、
橋下市長のスタンスは評価に値します。
受験生には罪はないとか進路が決まっている時期に中止
するのは大きな混乱を招くだけで、百害あって一利なしだと
言って騒いでいますが、2号 としては根本から見直すべき
だとする考えに賛同します。
基本的に教育上の体罰は容認する側の立場なのですが、
この場合は体罰ではなく暴力そのものです。
このまま、旧態依然 として入試を受け入れたなら、
「ああ、不幸な事件が再び起こり残念だ」 と誰もが思い、
そしていつしか忘れられて、また、同じような事件が何度も
何度も繰り返されることになるのです。
その意味からは1号 さんが記事にしていたアメリカの
銃規制の問題も同じです。
ですから、単に入試がなくなったら受験生がかわいそうだ
と非難するのは容易いけれど、根本から糺(ただ)すことの
可及的な迅速性と重要性を認識すべきだと思うのです。
但し、教育委員会によって決定された普通科としての入試
の受け入れ案はいかにも玉虫色で中途半端な結論です。
いくら橋下市長が 「教育的視点からもすばらしい決定」
だと言っても誰にも理解されないでしょう。
どうやら 「ゴルデイオンの結び目」 を強引に
一刀両断しようと切り付けたところまではよかったんだけど、
妙にくんずほぐれつに絡み合ってしまったようです。
ちなみに、漢字では 「組んず解れつ」=「組みつ解れつ」
だから正確には 「くんづほぐれつ」 だとか …
おいそれとは、Cut The Gordian Knot という
わけにはいかないようですね
つまり、常識を超越した手法は時に必要ではあるけれど、
突出した人物を除いては、複雑に絡んだ結び目を解くには、
力ではなく、根気よく丁寧に解くしか方法はないのかも …
けだし、真理なり
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