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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 非常識

 「非常識」と言えば、よく耳にする言葉のなかに、

 「日本の常識は世界の非常識」

 という言い回しがあります。

 日本の閉鎖性や特異性を印象付けるために用いられる
ある種の常套句のようなもので、「だから日本は ・・・」とか
、「それ故、日本人は ・・・」とか、どちらかと言うと自虐的な
ニュアンスで使われるケースが多いようですが、各国各様
常識が違うのはあたりまえの話であって、それぞれの
文化が異なっているのですから無理からぬことなのです。

 ところが、

 ここが日本人の常識なのか非常識なのか、大抵の
場合、日本や日本人の慣習や特質を揶揄する意図
もってネガティブに語られるわけで、必ずしも当を得るもの
ではありません。

 「郷に入っては郷に従え」ということで言えば、
海外への旅行などで外国に出掛けた場合に、安全に胡坐
(あぐら)をかいた平和ボケした島国の常識は当然
のことに通用しないわけで、それはそれで海外での常識
留意することは心得としては必須です。

 たとえば
 

 自動販売機は世界的に見れば非常識です。

      

 夜間に中身の商品も売上金も釣銭もごっそりと盗まれる
のが世界の常識で、夜道のひとり歩きなど、ご法度中の
ご法度です。



 身包(ぐる)み剥がれて路上に放り出されるのがオチで、
殺されないだけまだマシのカモネギなのですから ・・・

 そもそも日本は四方を海に囲まれた島国で、良くも悪くも
独自の文化・風習の際立つ国ですから、むしろ世界での
「非常識」当然であって、大いに結構なことだと

 小生はそう思うのですがねぇ ・・・


 でもまあ、さすがに、

    これは「非常識」かも ・・・

    
         出典:アンサイクロペディア


 ところで

 そんな「非常識」とはケタ違いの「超非常識」
地でいく男がレオナルド・ダ・ヴィンチで、彼が受けたという
啓示人類創世「罠」としては極めつけの
部類に属するトンデモ系ヨタ話です。

 結論から言えば、

 ダ・ヴィンチが見た天空からの訪問者でした。



 それは現代で言うシリアの難民のような超古代における


 異星人(宇宙難民たち)の地球への来訪が、


 その起源であるというものですが、繰り返しの記事だと
紙面や時間の無駄使いとして、いま話題の「舛添」する
非難されるのがオチですので、詳しくは、

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 訪問者』および
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/457.html

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 新天地』などを
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/458.html

 参考にしてみてください。

 ダ・ヴィンチが常識人でないことは、その作品や行動から
も推測されますが、現代的な感覚で言えば、品行方正では
ないし、墓場荒らしや仕事上の契約不履行もあたりまえの
鼻持ちならないタイプだったのかもしれません。

 せっかく父親のセル・ピエロの口利きでもらった祭壇画と
しての『東方三博士の礼拝』は制作の途中で
放り出したままミラノへ旅立ち、以後、まったく目もくれない
状態でしたし、『岩窟の聖母』パリ・ルーブル版
賃金トラブルの他にも依頼内容にそぐわない描写があると
して、結局20年以上に及ぶ裁判沙汰の末にもう1枚、別の
『岩窟の聖母』ロンドン・ナショナルギャラリー版
を納品して、なんとか示談に持ち込んだような次第で、
フィレンツェ政庁からのサン・ベルナルド礼拝堂の祭壇画の
依頼も下絵の段階で放り出し、フィレンツェ郊外の修道院
からの祭壇画の仕事も素描の途中で放棄する始末です。

 そんなこんなの体たらくな性格が災いしてか、ローマ教皇
シクストゥス4世がシスティーナ礼拝堂の壁画制作
のためにフィレンツェからはボッティチェッリなど若手
の画家たちを招聘しましたが、案の定、ダ・ヴィンチには
何の声も掛からないような有様でしたase

 とかく若い頃の彼は、溢れ出る才能を鼻にかけるだけの
嫌味なヤツだったのかもしれませんね

 さて

 今回、俎上に上げる『岩窟の聖母』は宇宙開闢
の後、およそ1億年が経過した頃に起こった恒星の誕生と
それからさらに137億年を消化して誕生した人類創世
「謎」「罠」に挑んだ作品ですが、



 前述のように、この絵画には本物とされる2枚
作品存在します。

 ダ・ヴィンチの筆によるパリ・ルーブル版(1483-1485年)と
賃金回収の目的から弟子たちの主動により 依頼主の意向
に沿うかたちに修正されたロンドン・ナショナルギャラリー版
(1506-1508年)ですが ・・・
 


 依頼主であるミラノのサン・フランチェスコ・グランデ教会と
の度重なるトラブルにより完成から納品までに23年の歳月
を費やすという受難の作品となってしまった理由(わけ)は、

 表向きには作品の完成が納期限に間に合わなかったこと
を口実に依頼主が支払いをケチったというのが発端であり、
契約金の4分の1しか受け取れずに裁判沙汰となって20年
が経過してしまったことはすでにお話したとおりです。

 しかし、

 実際には、作品のテイストが依頼主である教会の求める
内容とは大きく食い違っていたからで、それぞれの作品を
見比べれば一目瞭然にその違いがわかると思いますが、



 ダ・ヴィンチが最初に仕上げた作品には宗教的な小道具
(十字架や光輪)が描かれていません。

 それもそのはずで、この作品は物質の創造と人類の誕生
「罠」がテーマですので、そこに「神」介在
一切ないというのがダ・ヴィンチの主張ですから、



 端から教会の気に入る作品に仕上がるはずもなかったの
ですが、それこそが非常識を意に介さないダ・ヴィンチ
のダ・ヴィンチたる所以なのです。 

 まったく以って不本意ながらも裁判の解決(賃金の回収)
手段として、やむなくナショナルギャラリー版 を制作させた
ダ・ヴィンチでしたが、このことが結果的には 「罠」
精度密度を高めることに貢献しただけでなく、作品が
2枚あることで、その主旨目的をより明確に比較
し得ることになったわけで、「転んでもただで起きない」とは
こういうことを言うのでしょう。

 そのあたりの事情の一端を知るには、

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 指芝居』などが
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/403.html

 参考になると思います

 ひょっとしたら、

 これすらも巧妙に仕組まれたダ・ヴィンチ流の「罠」
のひとつだったのかもしれませんが ・・・


 はてさて

 ナショナル・ギャラリー版では教会側の要望に沿うように
十字架を持つ洗礼者聖ヨハネと聖母子に光輪が描き
加えられましたが、大天使ウリエル(一説ではガブリエル)
の頭上には何もありません。



 ダ・ヴィンチのせめてもの抵抗として、御使いとして
「天使」存在(霊性)に疑問符を打つことで
聖家族否定したかったのかもしれませんね。



 おそらく、そこだけはどうしても譲れなかったのでしょう nose7

 なぜなら



 彼が見た幻影での洗礼者聖ヨハネは海から出現した
半人半魚姿をしていたし、聖母マリアは蛇族の娘
と宇宙難民のリーダーのひとりであった龍族の若者との間
に生まれたレプティリアンのハイブリッドでイエスは地球
の未開人であったブタとサルとカッパの合いの子の末裔、

       

 つまり、



 宇宙難民が労働力の確保として奴隷化のために自らの
DNAを利用して土着の生き物との間で異種交配
(遺伝子操作)を繰り返し、試行錯誤の末に誕生したのが


    『アダムとイブ』 アルブレヒト・デューラー画

 スーパー・ハイブリッド種としてのアダム(プロトタイプ)
であり、イヴ(パイロットタイプ)であったというわけです。



 そして、彼らの末裔にあたる優秀DNAを有する
男の精子とレプティリアン同士のハイブリッドであるマリア
の卵子による人工授精(処女懐胎)で生まれたのが、



 イエス・キリストであったというでした。



  話が突飛過ぎて着いて来れない方は

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 D N A』および
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/453.html

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 西遊記』などを
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/454.html

 まずは先に参照してみてください。

 それにしても、

 これを「非常識」「悪夢」と言わずして、
何をそう呼べばいいのでしょうか

 通常ならば、

 奇妙不思議「夢」を見たということで大して
気にも留めずに忘れてしまうものですが、ダ・ヴィンチには



 それが大いなる「天啓」だと思われたのです。



 太古の地球に期せずして押し寄せた宇宙難民たちは

      

 一種族ではなく、龍族や蛇族、牛族、鷲族、獅子族など



 多種多様な風貌の持ち主で、それは人間での民族間に
おける人種の違い以上のインパクトはあるものの、互いの



 生殖は可能で、姿かたちや大きさの違いも程度の差こそ
あれ地球の犬種のように種々雑多なだけで、



 起源としての「種」としては統一されていたのです。

 言わば、

 「天使」とは原初人類から見た一般の宇宙難民の
ことで「神」とはリーダー(指導者)たちとその家族
のことを指していましたので、如何な大天使ウリエルと
言えども光輪を描きたくはなかったのだと思われます。

 さらに(ダ・ヴィンチの流儀をもってして言えば)、イエスが
「神の子」とされる所以には、母であるマリアの父親が
リーダーのひとりであったことから、その家族の一員として
「神の家」子供とされていたのかもしれませんが、

 敢えてダ・ヴィンチが、

 「神」と呼ぶのに相応しい人物を探すとすれば、

  

 それは幻影のなかに現れた半人半魚姿をした
洗礼者聖ヨハネであり、ダ・ヴィンチはイエスより
聖ヨハネの方を上位に見ていたものと思われます。



 それは作品に登場する2人の位置関係や仕草のなかに
それとなく表現されていますが、ここでは割愛します。

 こうして、おぼろげだった「罠」輪郭がうっすらと
見え始めてきたところで、それらを踏まえたうえで、

 次回では

 地球生命誕生してから現在までを一日
(24時間)とした場合に、我々、人類出現することに
なった最初時点にまで遡ってみると、その時刻
午後11時59分56秒になるわけですが、

 そこを起点として、

 つまり、午前零時4秒前に何が起こったのか

 そして洗礼者聖ヨハネは何故に半人半魚
姿をしてダ・ヴィンチのに現れたのか

 まずは、そこからを起こしてみたいと考えていますが、

 4人登場人物が織りなす『岩窟の聖母』
世界に仕組まれた「罠」の数々がそれらの
解明してくれることを期待したいと思いますpeacepeace


 「4秒は非常識じゃな、それじゃ、
   カップラーメンも出来ゃしない
!!

     

 「おいおい、また、それかい」

 冒頭の画像(カップ麺の自販機)がマズかったかase2

 ホントの

 「非常識」はアンタと米国の原爆投下なんすけどねぇ ・・・


    

     

 … to be continue !!

    




     「苦っ、苦しい !!」





 「あっちがイエス・キリストですよ」

コメント一覧

小吉
 二枚「存在」する、というところがおもしろいですね。
 そういえば『聖書』の中でエヴァをそそのかした蛇は「楽園」の中では立って人間の顔をしていたんでしたっけ? 罰として腹を地に這うようになったのだとか。
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