透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 コピー

 16世紀の初めにレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる
油彩画『糸巻きの聖母』(または 『糸車の聖母』)が
来年、ヨーロッパ以外では 初めて東京で一般に公開される
ことになったというニュース報道(6月16日)が流れたばかり
ですが、(くだん)の絵に関しては個人的には魅力の薄い
(罠や秘密の少ない)部類に属する作品であるとして、歯牙
にもかけずにいたのですが …


 それもあってか、『ダヴィンチの罠 聖母像』
ではまったくもって取り上げずにいたわけですase2

 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/415.html

        

 しかし、ニュース等で広く世間に告知されてしまった以上、

 タイミング的にも、雰囲気的にも、そうもいかないような
無視できない様相ですので、自説の解明に利用できない
作品には見向きもしないなどという謂(いわ)れのない誤解
を避ける意味からも少しだけ触れることにします。

       
 

 興味が湧かなかった理由としては、コピーも含めて同じ
構図の油彩画が10点余りも残されていて、ダ・ヴィンチの
真筆か否かについても、何かと取り沙汰されることの多い
作品でもあったからですが …


 『糸車の聖母』(通称 バクルーの聖母)1501年 個人所蔵

          
              コピー作品


『糸車の聖母』(通称ランズダウンの聖母)1510年 個人所蔵

 真贋はともかくとして、今回あらためて見直してみると、
これらの作品にもダ・ヴィンチの主張がかなり強く反映され
ていると感じるに至ったのです。

 現在、同じようなバリエーションの油彩画が数多く存在し、
そのうちの2点が ダ・ヴィンチの作品であるとされている
ようですが、日本での公開が決まったのは、スコットランド
のバクルー公爵家が所有する『糸巻きの聖母』
(向かって左側)でサイズはタテ48.3cm、ヨコ36.9cmです。

      


         

 イエスが戯れている「糸巻き棒」は、糸を紡ぐための
道具で、聖母マリアのアトリビュート(象徴する持ち物)でも
あるのですが …

 それをイエスに持たせ、不安そうに見守る聖母マリアの姿
「糸巻き棒」が将来の受難を予感(十字架を連想)
させるものであると 勝手に鑑賞者が錯覚し、誤認する
ように仕向けられたアリバイ工作であって、その
では自らの主張巧妙に刷り込んだのある作品で
あると気づいたのです

 ダ・ヴィンチの弟子たちや後世の画家が借用した構図の
バリエーションは一説によると40点近くも現存するそうで、




 要するに、周到に用意されたプロパガンダですね。

 この絵のコピーがやたらと多いことも、そのことと決して
無関係ではありませんが、仮に、ダ・ヴィンチの真筆が2点
あるのだとしたら、そこにも 頑健なダ・ヴィンチの主張
存在をより強く感じさせるものがあるはずです。

 他に2枚ある本物の絵と言えば、『岩窟の聖母』
1480年代に制作されたパリ・ルーブル版と1500年代の作品
であるロンドン・ナショナルギャラリー版です。



 前者は完全にダ・ヴィンチの手によるものですが、後者は
ダ・ヴィンチの工房で弟子たちの手により制作されたという
のが専(もっぱ)らの定説です。

 そもそも、『糸車の聖母』の制作の動機としては、
『岩窟の聖母』ルーブル版でのトラブルに起因する
イエスと聖ヨハネとの「入れ替わり事件」
発するものと考えています。

 この事件の詳細については、

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 指芝居』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/403.html

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 妄想癖』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/418.html

 などを参考にしてください。


 さて

 『糸車の聖母』にもダ・ヴィンチの巧妙なる
仕掛けられていると思ったのは、聖母マリアを象徴する
持ち物である「糸車」でイエスを遊ばせながら、何故に
不安げな表情をしているのかという素朴な疑問からです。

 不安そうな面持ちは1501年版に比べると、



 1510年版ではかなり薄らいでいますが、不安を表している
のは面持ちだけではありません。


 (かば)うようにして、   
 心配そうに(かざ)している右手表情です。

         

 『岩窟の聖母』での手翳しと『糸車の聖母』
での手翳しは左右の手の違いに加えてシチュエーションも
異なるものの意味合いとしては同じものだと考えます。


         『岩窟の聖母』 ルーブル版

 つまり、『岩窟の聖母』ルーブル版でのイエスは
向かって左側の幼児であり、聖母マリアが右手でイエスを
庇いつつ左手で聖ヨハネに執り成しを求めているのです。



 執り成しとは、要はへの仲介であり、加護
のためのものですが、『岩窟の聖母』ルーブル版で
のダ・ヴィンチの制作意図の中には明確に聖ヨハネによる
「イエスの洗礼」がイメージされていたのです。

 ところが、作品の完成が納期に間に合わなかったことに
かこつけて教会は契約金の一部しか支払わずに裁判沙汰
となって気づけば20年もの時間が経過してしまったのです。



 賃金未払いの理由は、表向きには納期の遅れとされて
いますが、実際にはイエスと聖ヨハネに区別がないことや
大天使ウリエルの指をさす手や意味深な目の表情などが
教会側の気に障ったものと思われます。

 そこで、依頼主である教会側との間に起こった20年に
及ぶ裁判に業を煮やした弟子たちが金銭の支払いを目的
『岩窟の聖母』ロンドン・ナショナルギャラリー版を
制作し、教会側へ納品(1506-1508年)してしまうのです。


    ロンドン・ナショナルギャラリー版の修正部分

 執り成しとは、前述のようにへの仲介のことですが、
教会への配慮として、十字架をかたどった杖を持つ幼児
を洗礼者聖ヨハネとし、祝福のポーズをとる幼児をイエス
であるかのように入れ替えて、光輪のある聖母子たちを
要望通りに配置したために、聖母マリアの執り成す手の
意味がイエスの受難を表わしているとか、イエスに
加護を祈っているとか、果ては、イエスを威嚇する仕草で
あるとか … 意味不明解釈がまかり通るように
なってしまったのです


   『岩窟の聖母』 ロンドン・ナショナルギャラリー版

 当然のことに大天使ウリエルの流し目も意味ありげな
手の仕草も完全に取り払われてしまいましたが ・・・

  

 先に

 『岩窟の聖母』でのイエスと聖ヨハネとの入れ替え
問題が『糸車の聖母』の制作動機にあって、それが
代金の未納や裁判に対するある種のプロパガンダとしての
バリエーション作品(コピー)の量産につながったと分析した
わけですが、

 制作の時期をみれば想像がつくように、裁判中の1501年
制作の『糸車の聖母』では、糸巻きで遊ぶイエスを
不安げに眺めていた聖母マリアも、『岩窟の聖母』
ロンドン・ナショナルギャラリー版に差し替えて納品したあと
の1510年の作品では不安げだった表情は和らぎ、心なしか
安堵の微笑みを浮かべているようにも感じとれます。

       

 幼児イエスが「糸巻き棒」を立てて遊んでいる右下
の丸みを帯びた岩は『聖アンナと聖母子』での
足場にあたる地面の様子と地質学的にも同質のもので、


           『聖アンナと聖母子』

 この場合に、「糸巻き棒」子羊に置き換えると、
2枚の絵画がまったく同じ世界観を演出しているということ
が理解できると思います。

         

 「糸巻き棒」に模した「葦の十字架の杖」
(聖ヨハネの持ち物)をイエスに持たせることで象徴的
に見えざる存在としての聖ヨハネを厳然と知らしめて
いるのだと思われるのですが …



 そのことは『聖アンナと聖母子』子羊として
登場する聖ヨハネや、その下絵となったデッサン画としての
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』での
イエスと聖ヨハネとの関係を弥が上にも連想させます。

 さらに、

 この絵には『岩窟の聖母』でのアンチテーゼ以外
にもデッサンを介して『聖アンナと聖母子』へ …

       
            『洗礼者聖ヨハネ』

 そして、『洗礼者聖ヨハネ』にも肉迫する
ようなに彩られた秘めたる作品だったというわけです。 


『糸車の聖母』には、
聖ヨハネの姿は描かれていませんが、「糸巻き棒」
持つイエスの左手のかたちと聖アンナの左手
類似性に加え、「糸巻き棒」を下で支えるイエスの
右手のかたちと聖ヨハネを祝福するデッサン画における
イエスの右手のポーズに注目してください。


 symbol2 何かが見えてきませんか


 さて、さて

 ほんの少しだけのつもりでいたものが、随分と大仰
展開となってしまいましたが、

 『糸車の聖母』 でのマリアの右手はイエスを庇う
ためのものではなく、象徴として存在する「糸巻き棒」
としての聖ヨハネにとの仲立ち、すなわち、執り成しを
希求していることがわかってもらえたと思います。




 それにしても

 コピー作品のオンパレードとは、ダ・ヴィンチの弟子たちも
後世の画家たちもイマジネーションに乏しいだけの

「おんぶに抱っこに糸車」だねぇ~



 「おい、おい、おい !!

  「糸車と肩車も分からぬようじゃ」

     

  「謎が口車に乗って火の車だぜ !!





 … てか

 それこそが『ダ・ヴィンチの罠』なのですがpeace


 … to be continue !!

コメント一覧

蒼いカラス
いや、かなりというか、異様に長くね!
透明人間2号
ルーブルの方というと、「岩窟の聖母」での聖母マリアがイエスの肩を抱く右手のことでしょうか?
なるほど、面白いところに目をつけたというか、よくぞ気づいたと思いますね!

これこそが『ダ・ヴィンチの罠』のひとつでもあるのですが、そのことに触れるのはもう少し先になりそうです。
小吉
ルーブルの方の右手が長いような気がするのは気のせいでしょうか
透明人間2号
餃子ライスさんと同様にダ・ヴィンチにも秘密は一杯あるのです。

むらさき納言さんの趣味がなんとなくわかるような気がします。
「リッタの聖母」にも罠らしきものはありますよ。
悪戯っぽい目をしたイエスとか、ヒヨコの正体とか、物でも持つ
ようにイエスを抱く聖母マリアの腕や手とか …
機会があったらチャレンジしてみます。
むらさき納言
「糸車の聖母」は好きな作品のひとつでしたが、まさかの謎に
びっくりです。

イエスに乳をあげている優しい表情の「リッタの聖母」も
大好きですが、こちらにも秘密があるのでしょうか?
餃子ライス
やっべぇ、ダ・ビンチには秘密がいっぱいありそうだゎ!
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