このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
児童文学作品や日本のアニメでお馴染みの
『フランダースの犬』の主人公ネロ
が憧れていたのが、
16世紀~17世紀にかけて活躍したフランドル
の画家にして外交官でもあった
王の画家にして、画家の王と称される
ピーテル・パウル・ルーベンスです。
ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像
西暦1577年にドイツのジーゲンで生まれた
ルーベンスは、父の死後、両親の故郷である
ベルギーのアルトウェルペンに移り住みます。
14歳になった頃に風景画家として知られた
トビアス・フェルファーフトのアトリエに徒弟と
して住み込み、後に、アダム・ファン・ノールト
やオットー・ファン・フェーンに師事したあとで
画家として独立するのはアントウェルペンに
ある聖ルカ ギルド(画家組合)に登録された
1598年、ルーベンス21歳のときのことでした。
1600年~1608年の間、イタリアに留学した
ルーベンスはルネサンスの巨匠たちの作品
に直接ふれる機会を得ることになります。
Wikipediaによれば、
1600年、古代と近代の巨匠の作品を現地
で学ぶことを目的に ルーベンスは推薦状を
携えてイタリアへと向かった。
最初に訪れたのはヴェネツィアで、
現在のヴェネツィアの景観
ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレット
らの絵画を目にしている。
黄昏時のヴェネツィアの灯
その後、マントヴァへ向かい、マントヴァ公
ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの宮廷に
迎えられた。
ヴェロネーゼとティントレットの色彩感覚と
作品構成は、当時のルーベンスの作品に
即座に影響を与え、後年になって円熟期を
迎えた彼の作品には、ティツィアーノからの
大きな影響が見られる。
とありますが、小生にはわかりません
Wikipediaを続けましょう。
マントヴァ公からの金銭的な援助を受けた
ルーベンスはモンタルト枢機卿への推薦状
を手に、1601年にフィレンツェを経由して
ローマを訪れた。
ローマでは、古代ギリシア、古代ローマの
芸術に触れ、イタリア人芸術家たちの作品
の模写に務めている。特にヘレニズム様式
の彫刻『ラオコーン像』や、
『ラオコーン像』ピオ・クレメンティーノ美術館
(バチカン美術館)
イタリア・ルネサンスの三大巨匠
出典:blogs.yahoo.co.jp
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、
ラファエロの作品が、ルーベンスに大きな
影響を与えた。
出典:www.el.tufs.ac.jp
また、同時代人であり、当時のローマ画壇
で最先端だったカラヴァッジョの作品が持つ
高度な自然主義表現からの影響を受けた。
イタリア滞在最後の年となる1608年には
『洗礼者ヨハネの斬首』 カラヴァッジョ 1608年
『洗礼者聖ヨハネの斬首』
をカラヴァッジョは描いていますが、
この頃ルーベンスはローマで新築された
教会キエ―ザ・ヌオーヴァ(サンタ・マリア・
イン・ヴァリチェッラ聖堂)の主祭壇画制作
という重要な依頼を受けています。
この『ヴァリチェッラの聖母』
が、その時にローマで制作した祭壇画で、
『ヴァリチェッラの聖母』 ルーベンス
古(いにしえ)の
ローマ教皇グレゴリウス1世とローマに
ちなむ聖人たちが、天使が掲げる聖母子
の肖像を見つめている姿を描いています。
以上、Wikipediaをベースに加筆して
構成しました。
ところで、先に紹介したカラヴァッジョは、
『洗礼者ヨハネの斬首』 カラヴァッジョ 1608年
『洗礼者聖ヨハネの斬首』
の絵画だけに限らず、
『ホロフェルネスの首を斬るユディット』
(1598-1599年)
『洗礼者の首を持つサロメ』(1605年)
『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』(1609年)
『ゴリアテの首を持つダビデ』(1610年)
など、何気に切り取られた首に執着する
かのような作品を残しています。
これにはある推測が成り立ちますが、
ここでのテーマからは逸脱しますので
割愛して、別の機会にお話しします。
ただ、
イタリアに滞在中のルーベンスが
アッシリアの将軍ホロフェルネスを籠絡し
、泥酔して寝込んだ彼の首を斬り落とす
ヘブライ人寡婦のユディトを描いた作品
『ホロフェルネスの首を斬るユディット』
(1598-1599年)
や洗礼者聖ヨハネの斬首された印を
受け取るサロメの様子を描いた作品、
『洗礼者の首を持つサロメ』(1605年)
さらには、復活したイエスをいぶかる
『聖トマスの懐疑』などの作品を
『聖トマスの懐疑』カラヴァッジョ(1599年頃)
目にしていた可能性は高く、その時に
一種異様なインスピレーションと
出典:www.salvastyle.com
出典:www.salvastyle/com
出典:www.salvastyle/com
同時に、
「裏切ったのはユダではない」
「おまえたちだ !!」
という、
ダ・ヴィンチからのスピリチュアルな
エナジー・パワーとしての「罠」の
根幹に係わるメッセージを受け取って
いたのではないかと思われるのです。
そして、それらの
絵画に触発されるが如くに描いた
作品が、イタリアからの帰国後に最初に
手掛けることになった大規模な祭壇画の
『キリスト昇架』(十字架昇架)と
『キリスト昇架』 ルーベンス(1610年)
『キリスト降架』(十字架降架)で
『キリスト降架』 ルーベンス(1612年)
冒頭でのネロが憧れ続け、見たくて
見たくて仕方のなかった作品なのですが、
そもそも、『キリスト昇架』の方は、
ノートルダム大聖堂のための
祭壇画ではなく 川岸のステーン城近くの
聖ワルブルガ教会 (シント・ヴァルブルヒス
区教会)の主祭壇として描かれたもので、
1817年に、
聖ワルブルガ教会が取り壊された為に
その前年(1816年)に大聖堂へと移管され
キリストの「昇架」と「降架」とで
対を成すかたちで展示されることになって
いたのでした。
1601年にフィレンツェを経由してローマに
向かう以前やイタリア滞在の8年間に幾度
となくミラノを訪れ、『最後の晩餐』を
始めとして、『岩窟の聖母』などを
堪能し、フィレンツェでは『受胎告知』
などのダ・ヴィンチの作品を十二分に鑑賞
しただろうと思われるルーベンスですが
彼の優れた観察眼が『最後の晩餐』
での不可解なペテロの右手や、
出典:kubogen.com
顔と手だけの登場のトマスの怪 ・・・
「あなたがたのうちの一人が
わたしを裏切るでしょう」
『受胎告知』での書見台の脚に現れる
不気味な三本指の肢や不自然
な衣装のうねりに気づかぬはずはなく、
そこにルーベンスが一定の答えを
見い出さないわけがないのです。
而して、
ルーベンスの『最後の晩餐』では
『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
ユダが座る椅子の脚に犬が咥える
骨の如く、頑丈な獅子足を隠し描いて
ダ・ヴィンチのメッセージに応えています。
イエスの話に関心を示さず、ただ一人、
何事かを問うように口元に手をやり、
「アンタに真実が分かるかい」
とでも言いたいのか、不敵にこちら側を
見つめるユダの目がそう語りかけている
ように見えるのは小生の思い過ごしの所為
なのでしょうか
テンペラによるレオナルド・ダ・ヴィンチの
壁画 『最後の晩餐』は、
ルーベンスに多大な影響を与えていて、
彼はそれを模写したエッチングを制作し、
全面的な登場人物たちの感情の表現の
解明にメスを入れようとしていたのです。
さて、再度、Wikipadiaに戻れば、
1603年にルーベンスは、マントヴァ公から
スペイン王フィリペ3世への贈答品を携えた
外交官としてスペインを訪れた。
このスペイン滞在中に 先代のスペイン王
フィリペ2世が収集していたラファエロと
ティツィアーノの厖大なる作品群
を目にしている。
このスペイン訪問が、その後ルーベンス
が果たしていくことになる「外交官」と
しての最初の役目となった。
ルーベンスは1604年、イタリアへと帰還し
マントヴァ、ジェノヴァ、ローマを転々とした。
とあります。
ルーベンスが何処で、ラファエロ
の『聖チェチリア』のサイン(鷲の肢)
『聖チェチリア』 ラファエロ・サンティ
に気づいたのかはわかりませんが、
その答えは、ルーベンスの同名の作品
『聖チェチリア』に見つかります。
聖チェチリアが奏でるオルガンの脚に
細工されたスフィンクスの獅子足と
右隅に寝そべる犬の三本指の足です。
同時に、これらの
犬とスフィンクスはルーベンスの
『最後の晩餐』での骨を咥える犬や
ユダの座る椅子に描かれた獅子足
とも対応するものなのかもしれません。
なお、
ラファエロの『聖チェチリア』での
三本指の持ち主が、単に使徒ヨハネを
象徴する鷲だけを意味しているのではなく、
対象を代えた「テトラモルフ」である
ことをルーベンスは見抜いたわけです。
つまり、
福音書記者 マルコ(獅子)、マタイ(人間)、
ルカ(雄牛)、ヨハネ(鷲)を象徴しているの
ではなく、聖チェチリアのまわりを囲む
聖人たち、左から使徒パウロ、使徒ヨハネ
、使徒ペテロ、マグダラのマリアを表象する
「テトラモルフ」だということです。
『エゼキエルの幻視』 ラファエロ
ところで、
自身の『最後の晩餐』に不敵な
ユダと犬を登場させたルーベンスは
『受胎告知』に猫を登場させますが、
ラファエロの『聖チェチリア』での
シグナル・サインに対して 彼が自身の作品
『聖チェチリア』で応答したのと同様
に、ルーベンスは『受胎告知』での
メッセージに対しても、彼自身の作品である
『受胎告知』を介して返答しています。
『受胎告知』 ルーベンス
その答えが、
『受胎告知』には、似つかわしくない
猫の描写であり、しかも天上よりの使者
である大天使ガブリエルの降臨にも
動ぜずに泰然自若の体(てい)でスヤスヤ
と寝息を立てている風情ですから、かなりの
大物感を漂わせているわけです。
ダ・ヴィンチの『受胎告知』における
メッセージ・シグナルである謎の三本指
の肢と衣装の異様なうねりに対する
ルーベンスが辿り着いた答えのひとつが、
先に解説した『最後の晩餐』での
真実を言いたげに振り返るユダの姿と
骨を咥えた犬の描写に椅子の脚
に刻まれた獅子足なのですが、
さらに、そこには、
ペテロとヨハネのヒソヒソ話に
振り向くユダとをオーバーラップさせる
ことでダ・ヴィンチの『最後の晩餐』
をオマージュしているわけです。
そして、いよいよ、
『受胎告知』では犬に代わって、
猫の登場となるわけですが ・・・
まずは、
ルーベンスが『受胎告知』に
猫を登場させた理由(わけ)の説明と
その他の作品のなかに見つかる「罠」
の欠片のいくつかを、
次回では、探してみたいと思います。
ちなみに、
『ダ・ヴィンチの罠』に対する
ルーベンスの最大の答えと言うか、
本質に迫った作品はヴェッキオ宮殿の
五百人大広間に描かれていた失われた
壁画、『アンギアーリの戦い』
の模写のなかに隠されているのですが
『アンギアーリの戦い』ルーベンス模写
それはまた、別の機会に、順を追って
解説したいと考えます。
王の画家にして、画家の王と
称えられ、7カ国語を操る外交官の
ピーテル・パウル・ルーベンス
とは、いったい何者なのか
もう、お分かりですね
ヨーロッパ諸国を股にかけて渡り歩き、
古今東西の芸術と情報に接触する
ことが可能であった外交官 ・・・
それは、ルーベンスが、
諜報員(スパイ)としても超一流
だったという証(あかし)かもしれません。
・・・ って、おいおい、
(ホンマかいな)
畢竟するに、「何じゃな」
外交官とは、言わば密命を帯びた
「スパイなんじゃよ !!」
そだねー!
おっ
「スヌーピーってわけね?」
マジで、めっちゃ、
イケてる。
そうかなあ?
(違うと思うけどな)
『聖告(受胎告知)』 ルーベンス
ルーベンス、もう一枚の『受胎告知』
ここ重要です。
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
出典:shanti-phuia.net
『キリスト降架』 ルーベンス(1612年)
… to be continue !!
『聖家族』 ピーテル・パウル・ルーベンス