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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 支援者

 レオナルド・ダ・ヴィンチの存命中において、


        『最後の晩餐』修復後の画像 amazing-trip.xyz 

 すでに ・・・   

修復前の最後の晩餐
       『最後の晩餐』修復前の白黒写真 amazing-trip.xyz   

 崩壊の危機にあった『最後の晩餐』
仕込まれていた巧妙なる「罠」を引き継いだ
絵画が下記に示す3枚の油彩画だったのです。

 

   『モナ・リザ』    『聖アンナと聖母子』    『洗礼者聖ヨハネ』

         

 当時、ダ・ヴィンチが画策した「罠」の存在
を知る弟子は誰ひとりとしていませんでしたが、

 イタリア・ルネサンスの三大巨匠
  
  画像元:www.el.tufs.ac.jp

 同時代の仲間や後世を見渡せば、「罠」
存在に気づき、陰に陽に協力し、「支援者」
たらんとした画家たちの働きがあります。

 その代表が、ルネサンスの三大巨匠のひとり
であったラファエロ・サンティでした。


       ラファエロ・サンティの自画像

 ダ・ヴィンチにとってのラファエロは「罠」
協力者や後継者としても期待されていたのですが、
ダ・ヴィンチが亡くなった翌年に37歳という若さ
で夭折してしまいます。


     画像元:blogs.yahoo.co.jp

 「協力者」としてのラファエロについては、

  url『ダ・ヴィンチの罠 演繹的(改)』

 なかで一部ではありますが記載しています
ので参考にしてみてください。

ダ・ヴィンチとラファエロ
       ダ・ヴィンチとラファエロ 画像元 amazing-trip.xyz

 ところで、

ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像 - Wikipedia
『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』 『白貂を抱く貴婦人』 『ミラノの貴婦人の肖像』 『モナ・リザ』

 ダ・ヴィンチの絵画のほとんどは宗教画
(キリスト教絵画)であって、他は主に女性
の肖像画(一部男性のもの)とされる作品と、

  
  『音楽家の肖像』部分(1485年頃)

 ギリシャ神話に因む『レダと白鳥』

 
  『レダと白鳥』チェザーレ・ダ・セスト模写  

 幾何学的な着想(黄金比)が誘発される
『ウィトルウィウス的人体図』

 
 『ウィトルウィウス的人体図』(1487年頃)

 あるいはまた、

 アンギアーリの戦い』といった
失われた未完成の壁画など、一見、何の脈絡も
ないような単発の作品があるだけですが、


   『アンギアーリの戦い』ルーベンス模写

 これらはすべて「罠」につながる重要
なる方程式を「解」くための「変数」
なり得るものなのです。

 宗教画にしても、ダ・ヴィンチは旧約聖書
の物語をまったく描いていないだけでなく、


    『荒野の聖ヒエロニムス』(1480-1482年頃)

 新約聖書にしても、荒野で苦闘・苦悶する
『聖ヒエロニムス』を除けば、

レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」有名な絵画の複製 ... 聖アンナと聖母子 - Wikipedia 
『聖アンナと聖母子』修復前      修復後

 聖家族(主に聖母子と聖アンナ)及び
洗礼者聖ヨハネに関する事柄のみ

   
 『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』のデッサン

 が対象であり、他は眼中はおろか、意識に
すら上らなかったようなのです。


    『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年 

 「罠」核心にして人類の通史でもある
『最後の晩餐』に隠された人間以外には、

 ダ・ヴィンチの宗教画(キリスト教絵画)に
描かれる人物は、第一義的にはすべて
『新約聖書』に登場する人間ですが、

 それを以って、

 ダ・ヴィンチが『旧約聖書』の物語に
無関心だとするのは余りに早計です。

 第一義的とは『旧約聖書』に登場する
人物たちも構図や配置上においては、出番を
期待されている何者かのメタファとして投影
されていたり兼任されているに他ならならず、

 むしろ ダ・ヴィンチは、『旧約聖書』
のほうを重視していて『新約聖書』
後世、イエスの弟子たちによって捏造・編纂
された眉唾の文書だと看破していたのです。

 要するに、

 『新約聖書』の記述には、何ら信頼に
足る材料もなければ、信用に値する根拠にも
欠けると感じていたわけです。

 その『新約聖書』に、ファリサイ派と
サドカイ派の記述は見つかるものの、それら
と並んで当時、主要なグループ(一派)で
あったはずのエッセネ派についての記載が
一片のかけらも見つからないのです。

 そこで、ダ・ヴィンチは考えました。

 洗礼者ヨハネイエスは下級祭司で
あったザカリヤに、エリサベツ
マリアをそれぞれのとして、この世界
に登場するに至ったとする推理・構想が、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「罠」
構成するプロットのひとつなのですが、


 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 symbol2 ダ・ヴィンチによる推理はこうでした。

 エッセネ派であるクムランの共同体の中で
幼少の頃より一緒だった二人は、互いが兄弟
であることを知らされないままに育ちます。

 クムラン宗団にはユダヤの解放に際し、

 
  『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

 車の両輪の如き「愛」「義」
テーマに、ローマからの解放独立
推進する「二人のメシア」による
ユダヤ解放計画がありました。

 その「二人のメシア」として白羽の矢が
立ったのが、ヨハネとイエスの兄弟だった
というわけです。

 『旧約聖書』の預言における真の意味で
の「救世主」は兄である「アロンのメシア」
(洗礼者ヨハネ)であり、「後継者」として
彼を補佐(サポート)し、 護衛(ガード)
する役目を「イスラエルのメシア」として
の弟イエスが担うという計画でしたが、


 本格的な独立運動を起こすまでの期間は、
それぞれ単独に独自の宣教を行ない、互い
の活動には干渉しないとの約束でした。

 つまりは、

 洗礼者ヨハネイエスがエッセネ派
に属していたか、関係するグループ内にいた
ことを暗に物語っていると推察されるものが
『新約聖書』から読み解けるわけです。

    
      画像元 totai-trip.jp

 そして当時、

  民衆に人気があったのはエッセネ派
彼らはこの世界終末が訪れると考え、
メシアによる救済を待ち望んでいたのです。

 さらに、

 彼らは自らを新たなる契約の民と称し
、この世界の終わりに浄化されて携挙
されるイスラエル選民であると固く
信じていました。

 畢竟

 待望されていた「二人のメシア」
出現はエッセネ派にとっての宿願であり、
成就されなくてはならない「預言」
ひとつでもあったのです。

 ひとりは聖別される大祭司アロンの子孫
として、そして、もうひとりは聖別された
ダビデ王の子孫として ・・・

 要するに、

 アロンの子孫である洗礼者ヨハネは、
預言者にして膏(あぶら)注がれた待望
「アロンのメシア」であり、

 
  イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

 その洗礼者ヨハネから授けられた洗礼
の御力によりイエスがイスラエル(ユダヤ)
の王にして、偉大なるダビデ王の再来として
「イスラエルのメシア」になるという
筋書きだったと思われるのです。 

 ところが、


   『洗礼者ヨハネの斬首』 カラヴァッジョ1608年

 洗礼者ヨハネは、イスラエルの領主
ヘロデ・アンティパスに捕らえられ投獄の
末にサロメの奸言で斬首されてしまいます。

泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介 ...
     『サロメ』 ベルナルディーノ・ルイーニ

 狂ったシナリオのゆえに、イエス
洗礼者ヨハネの正統な「後継者」
して、また、ダビデ王の再来なるメシア
して、ロバの子に乗ってエルサレム
入城するのです。

 
     エルサレムに入場するイエス

 その姿を見た多くのユダヤの民衆は道に
上着や枝を敷き、主に遣わされたメシア
(ユダヤの王)の到来を歓喜の声で迎えたと
いいますが ・・・

 
    画像元:igmtokyo.com  

 来たるべき未来への道を整えるべく咆哮し
続ける洗礼者聖ヨハネ「支援者」
を自認していたイエスは『旧約聖書』
ある預言に従い メシアとして振舞ったと
いうわけなのです。

    「シオンの娘よ、大いに喜べ、
    エルサレムの娘よ、喜び叫べ、
    見よ、あなたの王があなたの
    もとに来られる。 

    この方は正しい方で、救いを
    賜り、柔和でロバに乗られる。     

    雌ロバの子である子ロバに」

     (ゼカリヤ書9章9節)

 こうしてイエスはダビデ王の再来として
ロバの子にまたがり、エルサレム神殿の東門
から颯爽と入城したわけです。

    
    画像元:nanbuchurchga.com

     (マルコの福音書11章)
     (マタイの福音書21章)
      (ルカの福音書19章)
     (ヨハネの福音書12章)


          エルサレムに入城するイエス w.atwiki.jp 

 この後に起こった出来事については、
とうに皆さんの知るところの話でしょう。

 しかしながら、実際のところは ・・・

 

 「裏切ったのはユダではない!」

  
  『サルバトール・ムンディ(救世主)』

 わたしなのだ !!

 
     いや !!


  ダ・ヴィンチによる《イエス・キリストのチョーク画?》 www.artpedia.asia

  
   『キリストの像」 kusanomido.com
  わたしの方だ !!

 どういうこと ・・・

 というわけで、さらなる推理考察
深めてみたいと考えています。

 あえて、タイトルを付けるとすれば、

 葛藤軋轢の果てに!? かなぁ。

  
     何じゃ、なんじゃ、

 「やけに勿体ぶるのぅ」

 
       そだねー!
 
    何々。 ふむふむ

 ならば、この神龍(シェンロン)が 

 

 「願い(知恵の実)を授けてやろう」


 
     「けっ、結構です !!!」

    

   せっかくの

   神龍(シェンロン)からの恵みを断るなんて、
       
        どうかしてるぜ!

  『洗礼者聖ヨハネ』  『モナリザ』 『聖アンナと聖母子』      


    三者三様のフマガッリ(すべてを知る者の笑い)

  … to be continued !!   

  

コメント一覧

小吉
裏切ったのはユダではない、わたしの方だ。

つまりキリストがメシアではない、ということなのですね。

たぶん。
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