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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 猫物語(改)

 「猫物語」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 猫物語 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 猫物語』 

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで36作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 猫物語(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 ルーベンスの作品にはかなりの頻度で
バイプレーヤー的に「犬」が登場します。


 『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
         up_slow
 『最後の晩餐』不敵ユダ
を登場させたルーベンスは、


       『受胎告知』 ルーベンス

 『受胎告知』の中にを描きますが、

  

 「猫」の登場場面は『受胎告知』
他にはなかなか見つけられないでいました。

 そんな折、彼の『バッカス』をパロディ
にした「デブ猫」の画像を見つけます。



 あえて言えば、

 この肥えたバッカス(ディオニュソス)
に足蹴にされているトラが大きな「猫」
であるとも言えなくもありませんが、


      『バッカス』 ルーベンス(1638-1640年)

 多作で知られるルーベンスであって
「猫」は容易に見つかりません

 このことは、ある意味で聖書における
「犬」「猫」の扱いとも類似します。

 以前に

ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改) - 透明人間たちのひとりごと

「メス猫」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改)』

 の記事にも記したように、

 旧約・新約の両方の聖書を合わせても、
「猫」は、旧約聖書の中にただ1度のみ
登場するだけで、都合54回の記載がある
「犬」とは雲泥の差をみせています。

      
     犬と猫 wannya365.jp

          犬と猫 president.jp  写真提供 amanaimages

 この数字だけでも伝統的にキリスト教が
いかに「猫」を忌避し斥けてきたかが
判ろうというものですが、


     『受胎告知』 ルーベンス

 あろうことか、ルーベンスは神聖なる
『受胎告知』の場面に「猫」
登場させたのです。



 とは言え、『受胎告知』の絵画に「猫」
を登場させたのは、ルーベンスが最初では
ありません。

 美術史家でも、その道の専門家でもない
シロウト(小生)の調べでは些かの確証も
持てませんが、


     『受胎告知』 ヤン・デ・ビア(1520年頃)

 年代的に最も古いのはヤン・デ・ビアの
『受胎告知』(1520年頃)かもしれません。


      『受胎告知』部分 ヤン・デ・ビア

 目を閉じがちに端然と佇んでいる白い猫
と左奥の黒いネズミは何を意味するのか?

 続いては、聖書の預言箇所に目を落とす
マリアの後方奥にある暖炉の前からそれと
なくこちらを見つめる猫を描いたガロファロ
の作品で1528年頃のものです。
 

        『受胎告知』ベンヌート・ティシ・ダ・ガロファロ(1528年)

  さりげない登場ですが、意味もなく顔を
出すわけもなく、と十字架を担ぐ天使
(精霊question2)の姿や白いユリを捧げ持った
大天使ガブリエルと対比させるがごとく
に置かれた瓶差しの赤い(バラ)など、


        画像元:www.arch-club.net

 寓意と象徴に溢れた画面の中で、ジーッ
と見つめる猫の目力はなかなかで特別の
意図を負っていると思われてなりません。

 次いで、

 同じ1528年の作とされるロレンツォ・ロット
の『受胎告知』は、実にユニークで、


   『受胎告知』 ロレンツォ・ロット(1528年)

 宗教の枠を飛び越えたパワフルで世俗的
な表現手法は漫画チックとも劇画タッチとも
違う現代的な雰囲気を滲ませています。


      (ゲロゲロ ・・・)

 「いったい誰だ、こいつ」とばかりに
怪訝そうに大天使ガブリエルを睨み返す
「猫」の驚いた素振りと、



 「そんな、ヤダ~」という風に
逃げ出すマリアの動作と表情は、

 およそ世のある『受胎告知』のなかでも
空前絶後の一品と言えるでしょう。

 続いて紹介するフェデリコ・バロッチには


 『受胎告知』 フェデリコ・バロッチ(1592-96年頃)
    down_slow
  

 2つの種類の『受胎告知』がありますが、
そのどちらにも「猫」が登場します。

 
     出典:www.arch-club.net
  
     出典:www.arch-club.net

 こうした『受胎告知』の絵における「猫」
 の考察については、先にご案内の

 url『ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改)』

 の他にも、 

ダ・ヴィンチの罠 帰納法(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 帰納法(改) - 透明人間たちのひとりごと

「帰納法」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 帰納法(改)』 

での記事も参照してみてください。


 おそらくは、宗教画に最も多く「猫」を
登場させたのはフェデリコ・バロッチでは
ないでしょうか。


     『聖家族(猫の聖母)』フェデリコ・バロッチ(1575年頃)

 幼児の聖ヨハネが手にする小鳥(受難
の象徴question2)に興味津々に後ろ足立ちする
「猫」の様子は意味深長ですが、

 
     出典:www.arch-club.net

 明るい色調と笑顔に溢れた微笑ましい
光景がその懸念(預言)を打ち消すかの
ように描かれていますね。

 他にも

 『聖家族』がモチーフの絵画には聖母
と「猫」との組み合わせは多く、


  『聖母の猫(La Gatta della Madonna)』フェデリコ・バロッチ

    『聖母の猫(Madonna della gatta)』フェデリコ・バロッチ

 などの作品がありますが、

 キリスト教で忌避されていた「猫」が
ルネサンス以降の宗教画に描かれるよう
になったキッカケとして考えられるのが、

 イエスが誕生した時に厩(うまや)で
メス猫が子猫を産んだという逸話です。

      

 この逸話(俗説)が人口に膾炙する端緒の
ひとつとしてレオナルド・ダ・ヴィンチの手
によるプロパガンダを思わせる類のデッサン
の存在があったのです。

 同時刻に同じ厩で子猫を出産したという
メス猫の伝承(言い伝え)の根拠は乏しく、
この逸話に関する文献や出典は明らかに
されていませんが、


    『猫のいる聖母の素描』 1478-1481年

 「猫」を抱きかかえたイエスを膝の上
に乗せて、優しく微笑む聖母の姿を描写
した『猫のいる聖母の素描』
の他に聖母子が「猫」とともにいる素描
をダ・ヴィンチは6枚も描いています。

 たとえば、

 それらのデッサンの存在が人伝えに流布
していく中で、その解釈を巡っていつしか
人々の間に広まった話が前述の「メス猫」
に関する逸話であったとか ・・・



 あるいはまた、ダ・ヴィンチが意図して
流した作り話だったのかもしれませんが、

 少なくとも、聖母子と「猫」を最初に
結び付けた張本人がダ・ヴィンチ自身で
ある可能性を否定することはできません。

 しかしながら、

 その場合においても後世の画家のなかで
、ダ・ヴィンチが意図した「猫」の寓意を
察知できたと思われるのは、


   ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 ルーベンスとシャンパーニュくらいで、


  フィリップ・ド・シャンパーニュの肖像(制作年・作者不詳)

 ビアによる白い「猫」と奥のネズミにも、


     『受胎告知』 ヤン・デ・ビア(部分)

 ガロファロの見つめる「猫」にも何らか
の意味やメッセージ性は感じるものの、


       画像元:www.arch-club.net

 ダ・ヴィンチの意図したそれとは別物で
あるような気がします。

 但し、ガロファロの「猫」の場合には、
前足の不自然さとシミのような黒い影が
気になると言えば気になるのですが、

 驚きながら逃げ出すロットの「猫」は
言うに及ばず、


 『受胎告知』の猫  ロレンツォ・ロット(部分)

 聖母子と幼児の聖ヨハネとの絡みが多い
バロッチの「猫たち」にいたっては単純に
猫が大好きなだけの

   

 愛猫家としか思えません。

 
    出典:www.arch-club.net

 その違いは、

 ダ・ヴィンチからのシグナル・サインに
応えているかどうかで分けられます。

 ルーベンスの場合には、

  
 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 ダ・ヴィンチの描く『受胎告知』での
書見台の脚に現れる

 不気味三本指や不自然に
曲がりくねった衣装のうねりに対して、



 ルーベンスは蓄積された知見の中から
一定の答えを用意します。

 それが『受胎告知』には不釣り合いな
「猫」の描写であり、


     『受胎告知』 ルーベンス

 しかも

 天上よりの使者である大天使ガブリエル
の降臨にも動ぜずに泰然自若の体で
スヤスヤと寝息を立てている様子からは、
かなりの大物感が漂ってくるわけですが、

 

 ルーベンスの回答はズバリ「猫」
尻尾にあります。

  この尻尾の形状(かたち)ですが、
どことなくおかしくはありませんか

 

 尻尾にしては妙に長いし、どこから
つながっているかもよく分かりません。

 尻尾の付け根や後ろ足との関係性
が非常に曖昧なのです。



 ダ・ヴィンチのシグナル・サインである
不気味な三本指や不自然に曲がり
くねる衣装のウエーブに対するルーベンス
の知見からの結論は、

 それを龍蛇系の生き物の尻尾
あるとしたわけですね

 そこで、



 ルーベンスは「猫」の尻尾に見せかけた
隠し絵「蛇」を用いて、


     

 ダ・ヴィンチのサインに応じたのです。



 而して、さらに、

 『最後の晩餐』の場面においては、


 『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
            up_slow
 ユダが座る椅子の脚にが咥える
の如く、頑丈な獅子足を描くことで



 三本指サインに応えます。

 イエスの話に関心を示さず、ただ一人、
何事かを問うようにアゴに手をやり、



 「この真実がわかるかい」

 とでも言いたいのか、不敵に鑑賞者を
見つめる目がそう語っているようですが、

 さて

 ダ・ヴィンチが仕組んだ「罠」
潜在するエナジーを敏感に感じ取っていた
画家たちの代表格であると思われるのが、
ルーベンスとシャンパーニュですが、

 他にもヤコポ・バッサーノやカラバッジョ、
ガロファロやジョン・コリア、あるいはまた
ベクシンスキーらも無意識のうちに受信する
周波数を確保していたのかもしれません。

 中でも幾久しく同調していたと思われる
のが同時代のラファエロ・サンティです。

  イタリア・ルネサンス期の三大巨匠


     出典:blogs.yahoo.co.jp
 
  
    出典:www.el.tufs.ac.jp

 ルーベンスが何処で、ラファエロが描く
『聖チェチリア』のサイン(鷲の肢)


  『聖チェチリア』 ラファエロ・サンティ

 に気づいたのかはわかりませんが、

 その回答も、ルーベンスの同名の作品
『聖チェチリア』の中に見つかります。


       『聖チェチリア』 ルーベンス

 聖チェチリアが奏でるオルガンの脚に
細工されたスフィンクスの獅子足と



 右隅に寝そべるの三本指の足です。


        『聖チェチリア』犬の前足(部分)

 同時に、これらの犬とスフィンクスは
ルーベンスの『最後の晩餐』における
骨を咥える犬やユダの座る椅子の獅子足
とも対応しているのかもしれません。

 何故ならば、


     『受胎告知』フェデリコ・バロッチ(部分)

 愛猫家らしきバロッチの描くスヤスヤ
と眠る猫を思わせる獅子(ライオン)を
ルーベンスも描いているからですが、


   ルーベンスの描くライオン

 それが、『聖チェチリア』における
「犬」の足、すなわち、獅子足を意図
するものと思われるわけです。

     

 ダ・ヴィンチの『受胎告知』における
シグナル(三本指の肢と衣のうねり)に

  対するルーベンスの返答のひとつは
『最後の晩餐』での思わせぶりなユダの

  

仕草と骨にかぶりつく「犬」と椅子の
脚に彫刻された「獅子足」であって、

 

 さらには、『受胎告知』での「猫」
の尻尾に投影された「蛇」の姿であり、
スヤスヤと眠っている「猫」そのもの
でもあるのです。   

 『聖書』の中に、ただ1度きりしか
登場しない「猫」をルーベンスもまた、
彼の描く絵画に1度だけ登場させます。


     『受胎告知』 ルーベンス
  


 それも、『受胎告知』の場面にです。

 

 それは『聖書』の中での「猫」の持つ
意味合いや「犬」との関連性を抜きには
到底のことに語れません

 1度っきりの「猫」の登場シーンは
「エレミヤの手紙」で、

 
   『エレミヤ書』wikipedia

 『バルク書』(外典)哀歌」における
後続小編6章21節でのくだりの部分です。

 詳しくは

 url『ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改)』

 を参照してみてください。

 そこでは、

 偶像のもとにツバメやコウモリとともに
「猫までやってきます」という魂を持た
ない偶像を崇拝する愚かさと同時に、


    画像元: magtaranomaria.blog.fc2.com

 偽預言者や偽のメシアの出現を「猫」
に重ねる文脈のなかでの登場でした

    
     画像元: ameblo.jp

 この『聖書』における「猫」の寓意と
眠る「猫」の尻尾に「蛇」を隠し描いた

ルーベンスの意図は、ダ・ヴィンチの
それとほとんど同じものだと思われます。

 そこで、次回では、

 
  『聖告(受胎告知)』ルーベンス

 2種類に描き分けたルーベンス
『受胎告知』における

    
    『受胎告知』 ルーベンス

 黄枠内の天を指す右手の隠された意図と
聖母マリアの手許にある読みかけの『聖書』
のページの内容について、


 聖告(受胎告知)のページと受胎告知のページ

 ダ・ヴィンチの描く『受胎告知』での
聖母マリアの場合と比較しながら考察に

 

 検討を重ねてみたいと考えますが、 


「考察に検討と言ってものぉ」

  

 「ページが分からんじゃろ」 

 それじゃあ、まるで、

   
    画像元:www.salvastyle.com
   
    画像元:www.salvastyle.com
   
    画像元:www.salvastyle.com

 「疑りのトマスですね」


        『聖トマスの懐疑』カラヴァッジョ(1599年頃)

 … to be continued !!

    

コメント一覧

小吉
ネコがいるだけで作品に味がでるのかもしれない。
家にネコがいるだけで朗らかになるし、村上春樹の小説にネコが出てくるとなんかあんしんする。
それと同じように、絵画の中にネコを登場させると「ほっこり」するのかもしれない。
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