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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 異端児

 いわゆる天才と呼ばれる人たちは、突飛で独創的で
局所的な決まり事などはまったく意に介さずに広角的かつ
多面的でグローバルな発想ができる人間です。

 こうした人間は一般からはなかなか理解されずに異端者
や変人・奇人扱いをされるのがオチなのですが、それでも
頭角を現すのが天才の天才たる才能なのです。

 ダ・ヴィンチが天才の中の天才と言われる理由には色々
とありますが、個人的には頭の中で認識できる時間と空間
や次元の幅が常道を逸していて、ニュートンよりもはるかに
昔の人間にして、すでにニュートン力学的な絶対空間
の枠から脱していたのではないかと思われるのです。

 言わば、アインシュタイン的な概念を漠然としながらも
掴んでいたということです。

 出来上がったものを論理的に辿っていくことは我々の
ような凡人にもできます。

 特殊相対性理論にしても理解できないことはありません。

 特に難しい計算式が必要でも論理的にややこしい理論の
展開があるわけでもなく、我々が日常的に常識としてきた
見方を変えるだけでイメージすることが可能だからです。

 ところが、

 それまでなかったものを一から創リ出すとなると、これは
もう発明でも理論でも同じことだと思われますが、その前提
には大胆で奇抜で大掛かりな発想転換必要で、
それこそコペルニクス的な大転回が行なわれるわけです。



 現代人にとって、地球が太陽の周りを自転しながら
回っていることは常識ですが、数百年前には非常識
も甚だしい言説でそんなことを言ったら馬鹿にされるだけ
ではなくキリスト教国では火あぶりの刑に処せられてしまう
可能性(危険性)すらあったのです。

 昨日の常識は今日の非常識、今日の常識
も明日にはきっと非常識となる運命なのかも

 我々に見えているもののすべてがイミテーション
だとされる未来が訪れないとも限りませんしねぇnose8

 まあ、そんなトンデモな妄想はその辺にして置くとして、
 
 今日(こんにち)であれば「一般相対性理論」
ともかくも「特殊相対性理論」解説を聞けば、
理系の人間でなくてもなんとなくは理解できます。

 しかし日常生活の中で、あるいは学校で学んだ物理学の
世界の物の見方を通してでは、とてもじゃないけどイメージ
することは困難です。

 地球上での常識の世界が邪魔をするからです。 

 「理解する」とは通常、「論理的に考えてわかる」ということ
ですが、「分かる」には直観が作用する場合があります。

 よく小学生の頃に算数の答えが直観でわかるのだけど
、計算式を使って解かなくてはならないことが苦痛でした。

 その場合に答えは〇〇になるとパッと閃くわけですが、
それを解答欄に記入しても正解とはならず教わった数式を
使って計算し、答えを導き出さねばならないわけです。

 19世紀最大の数学者のひとりに数えられるガウス
有名は逸話があります。

             
         カール・フリードリヒ・ガウス

 ある時、教師から1から100までの数字をすべて加えると
いくつになるかという課題が出されました。

 小学生の子どもたちは、1+2+3+4 … と懸命になって
計算を始めます。

 するとガウスは、ろくすっぽ計算もせずに、a 5,050
なると即答したのです。

 驚いた教師が理由を聞くと、

 彼は、1+100=101、2+99=101 … … 50+51=101
だから 101が50個(101×50)で 5050だと答えたのです。

 この方式で解答欄だけに、a 5,050と記入した場合に
日本の小学校ではどうでしょう

 おそらくは正解とはならずに減点されるか、さもなければ
零点にされるかもしれません

 この1から任意の自然数までの合計は、n×(n+1)÷2
の公式で求められます。

 ちなみに、任意の数(X)から任意の数(Y)までの合計は、
(X+Y)×(Y-X+1)÷2 で得られます。

 しかし、公式や決められた数式があって、こういう計算を
したら、こうした結果が出てくるということでは、その事柄を
本当の意味で理解しているということになるのでしょうか

 それは単に計算能力や演算技術があるかないかのこと
で直観的にその問題の本質が見えたからこそ、なんとなく
答えがわかるということもあるのではないでしょうか。

 ガウスの場合にはそうした数学全般に関するヒラメキの
素養があったわけですが、論理的な組み立てや理論の
道筋がはっきりしていていなくても正しい答や所定の解答
を得ることができる人たちがいます。

 極めて限定的で、特定の分野に限ってのことですが、
非常に優れた能力を発揮する「サヴァン症候群」
の人たちです。
 
 アインシュタインモーツァルト、さらには、エジソン
ダ・ヴィンチ「サヴァン症候群」一種では
ないかと言われていますが、果たしてそうなのでしょうか。

 そのように疑われても仕方のないほどに特異な能力
(天才ぶり)を各自が各様に見せているのは確かですし、
それぞれの分野においてもかなりの異端児であった
ことは否めません。

 それまでの宇宙観や自然観、時間や空間の概念に挑戦
をしたのはなにもアインシュタインだけではありません。

 彼と同じく、実に鮮やかな発想の転換から大宇宙を眺め、
自然を読み、時空を超えて未来俯瞰するかのような
予測のもとに大胆緻密「罠」を仕掛けた人間が
いたのです。

 そうです。

 「サヴァン症候群」かもしれないと疑われている
レオナルド・ダ・ヴィンチ、その人です。

 彼の仕掛けた「罠」「謎」綿密な計算のもとに
実行されていて、事実上のデビュー作『受胎告知』
始まり、死の間際まで筆を入れていた『モナ・リザ』
考慮に入れると実に半世紀近くに及ぶ超ロングランという
壮大にして緻密なる驚くべき代物です。

         

 到底のことに、そんな彼が「サヴァン症候群」だと
はとても思われませんがnose7

 さて、ダ・ヴィンチを語るうえで欠かせない「謎」のひとつ
「鏡文字」があります。

 「鏡文字」とは、通常の文字を反転して書いた文字で
に写すことで判読することが可能となります。


 ダ・ヴィンチの鏡文字と『立ったまま性交する男女の解剖図』
     1492年~93年頃(ウィンザー王室図書館蔵)

 彼が残した手稿のほとんどが鏡文字で記されていること
からも、彼が左利きだからとか、秘密の暗号として綴って
いたとか言われていますが、「罠」謎解きの方法を
示してくれているとも考えられるのです。

 こうした解剖図がダ・ヴィンチのあらゆることへの探究心
の強さをあらわしている一方で …

 「考えられる方法をすべて試してみよ。
   さすれば何か見つかるであろう」


 ありきたりの方法では「謎」「罠」が解けないばかり
か、「謎」「罠」の存在にさえ気づけないのです。

 「罠」に嵌まってもらうには、まずは「謎」興味
もってもらわなくてはなりません。

 「鏡文字」は、そのための「呼び水」です。

 そもそもを使えばにでも判読できるのならば、
暗号もあったもんじゃありません

 これはダ・ヴィンチ流のヒント(仕込み)のひとつで「罠」
を見つけるにはを使えというシグナルなのです。

 に映し出された世界は、左右反転していても
上下(天地)はそのままです。

 上下も反転してしまうとそれはまったくの異次元であり、
別世界になってしまいますが、鏡写しとは裏返しの世界、

 つまり

 秘められたもうひとりの自己や他者、「善と悪」
「正と邪」「清と濁」が渾然一体化する人間の
本性自分自身も気づいていない「表の顔」
「裏の顔」などを意味していて、

 同時にそれが彼の絵に登場する人物たちに投影(混淆)
されていると仮定してみたらどうなるのでしょう。



 そうした観点から見た場合に、『最後の晩餐』での
イエスの姿を反転して合成したスーパーインポーズ画像が
示すメッセージは何を物語り、何を意味するのでしょうか


      どこか生気のないイエスの顔が ・・・

 カラス天狗や高下駄を履いた修験者のような顔になり

 第三の目を持つガンダーラの釈尊か、レプティリアンか

 はたまた、ライオンや悪魔のような顔をみせるのです。

  
  
  
  
  まさに、百獣の王ライオンか、悪魔や神の形相です。

 こうしたミラー・イメージングされた映像がダ・ヴィンチの
脳裏に映し出されていたとするなら、やはり、常人の業では
ない神がかり的な能力としての「サヴァン症候群」
の一種を疑ってみてもいいかもしれません。

 さもなければ、先の算数の答えと重複しますが、
 
 我々が数学の問題を解く場合になんとなく答えがわかる
ことがあります。

 ハッキリとは見えてこないけど何かぼんやりとはイメージ
できるわけで、それを掘り起こしていく作業が計算であって
、最終的には計算によってイメージでわかっていたはずの
答えを数式で確認をして証明(解答)となるわけです。

 「論理(計算)でわかる」とはデジタルで、
「直観でわかる」のはアナログです。

 最終的な「解」に辿り着くにはそのデジタルとアナログの
両方がともに必要で、アナログ的な大局的な情報の把握と
細部を掘り起こして理詰めで穴埋めしていくデジタル情報の
共同作業が「謎解き」なのです。

 但し

 そのことを最終的に他者に伝える手段となると論理的に
説明しないと他人にはわからないわけでアナログ的な情報
のままではなかなか理解も納得もしてもらえないということ
になるわけです。

 そこで論理的な記述をせざるを得ないわけですがそれで
本質を説明できるわけもなく、むしろ遠ざかってしまうような
解説に終始することになってしまうのですが ・・・

 だからと言って諦めるのは愚の骨頂ですので、物的証拠
(論理的説明)とはいかないまでも状況証拠の数々を解説
してみます。

 人を食ったような『受胎告知』での悪戯(謎の肢)や


    『受胎告知』 1472年~75年  
 
    書見台の脚に描かれた謎の三本指の肢


url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/405.html(参照)
 

 down_slow    『東方三博士の礼拝』 1481年~82年頃   down
           

 ダ・ヴィンチ自身と思われる若い男性と不思議な老人の姿
や中東風の雰囲気が漂う情景など遊び心が満載で、


   



 人差し指で意味ありげにを指す「謎のポーズ」
初登場する『東方三博士の礼拝』にしろ、

url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/404.html(参照)

 イエスに指を立てる『最後の晩餐』のトマスといい、



 幼児聖ヨハネを祝福する幼いイエスの指に呼応するかの
ように天に向けて突き上げられた聖アンナの左手や



   『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』デッサン画

 


 最後の作品とされる『洗礼者聖ヨハネ』がみせる
不気味な微笑みとともに指し示される「謎のポーズ」
 
        

url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/402.html(参照)
url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/403.html(参照)

 しかし、これらは前述したように状況証拠でしかなく
物証と呼べるものではありません。

 何かを意図していることは間違いありませんが、すべてが
同じ意味とも限りません。

 ルネサンスの巨人のひとりであるラファエロ・サンティ
『アテナイ(アテネ)の学堂』という古代ギリシャの
哲学者(偉人・賢人)たちを描いた作品があります。


     ラファエロ 『アテナイの学堂』 1509年

  プラトン(ダ・ヴィンチ)とアリストテレス(ミケランジェロ)
      
      プラトン(ダ・ヴィンチがモデルとされる)

        

 この場合にはプラトニズムでいう(二つがひとつになる)と
いうことをあらわしていると推察されますが、ダ・ヴィンチの
描くポーズも同じだとは限りません。
   
       

 それぞれの絵でポージングするシチュエーションが異なる
からです。

 物事の本質、この場合には、ダ・ヴィンチの真実ですが、
おそらく一般の常識人には見当もつかないでしょう。

 異端(天才)の中の異端児(大天才)であるダ・ヴィンチが
仕組んだ壮大「罠」です。

 我々では、とても見破れるものではないかもしれませんが
だからこそ、挑戦(チャレンジ)する価値があるのです。

 symbol2 異端には異端の眼で ・・・ 

 つまり、非常識で型破りで常軌を逸していなければ「罠」
の存在に気づくことはできないのです。

 ライオンマン(ライオンレディ)

 
  ドイツで発見された後期旧石器時代の象牙彫刻

 放射性炭素年代測定で、およそ32,000年前のものとされ、
動物(ライオン)に人間の性質を擬した擬人化であると解釈
されていますが、「神」を表現しているという説(可能性)
もあります。

 当初は男性像とされていましたが、後に見つかった破片
のいくつかを検討した結果、雌ライオンの頭部を持つ女性
であると判定されました。

 おそらくは男性生殖器の有無などから判断したのでしょう
が、科学的な裏付けがあるわけではありません。

 世界最古の擬人化された動物像とされるのが一般的です
が、今回のサブタイトル「異端児」に因(ちな)んで言及
すると映画『プレデター』のようなライオンに似た顔の
ヘルメットに戦闘服あるいは宇宙服を着用していた「神」
(異星人)という可能性も皆無ではないでしょう。

  

  『黙示録』のライオンに似た生き物に呼ばれて登場
する白い馬に乗った騎士はイエス・キリストだと言われて
いますが、3万年以上も前の旧石器時代にライオン人間の
像がマンモスの牙に掘り込まれていたとは ・・・

      


 … to be continue !!

  
 「わしゃあ、ライオン人間の性別には興味はないが …」

    「お前さんが、男か、女か」

     

   「そこが問題なのじゃ !! 

コメント一覧

小吉
 ライオンマンとプレデターが出てきたところでオカルトに走りそうになりました。
「石器時代の人間が神と崇めたのは宇宙人とか、未来人」とか、、、(笑)
 最後のおじさんのセリフはハムレットみたいですね。
透明人間2号
デッキブラシさんとむらさき納言さんのコメントに意を強くして、
次回では宇宙人がらみの記事での構成を考えてみます。
むらさき納言
日本の遮光土偶や法隆寺のレプタリアンぽい像(動物頭の侍者像)
といい、大昔に宇宙人が地球に来ていたことが疑われますね。
デッキブラシ
確か、「レインマン」でしたよね。
サヴァンの主人公を描いた映画ですが。
言われれば、プレデターとライオンマンも似ているような気が
しないでもないけど・・・
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