透明人間たちのひとりごと

夢の履歴と魂の履歴書

 よく夢を見ますが、ここ数年は、やたらと有名人が身近な
知人や関係者として登場してくるかと思えば、見覚えのない
連中が親友だったり仲間だったりと …

 夢から醒めて、暫し首を傾げることが多いのです。

 さもない役柄でしばしば登場する有名人は、俳優だったり、
政治家だったり、お笑いタレントだったりと多岐に亘っていて
まったくジャンルを問いません。

 しっかりと目が覚めたあとでも、内容を鮮明に覚えていて、
入れ代わり立ち代りのようにして 次々に何本立てもの夢が
録画された脳裏から再生されるのですが …

 それも一過性のもので … 上書きされるか、時間を置くと
消えてしまうようで記憶の欠片も微塵もないのです。

 それからは、妙な喪失感と違和感だけが後に残ります。

 とは言っても、何かの拍子にその断片と断片がジグソーの
ピースのようにつながって、夢の一部が再々生されることも
ありますが、大抵はプロットに関係のないディテールだらけ
のパッチワークです。

 それでも、こうした作業が生きていくうえでは必要不可欠な
ことだとかで …

 何でも、睡眠は脳のメンテナンス・タイムなどと言われます
が、「生き抜く」 ために必要な情報の整理をする時に、
その情報の雑処理に伴って生まれるのが 「夢」 であると
考えることができるのだそうです。

 記憶の断片がアトランダムに出現しては、想像だにしない
奇想天外なストーリーが始まるのもそうした所為で、一瞬に
して舞台装置やシチュエーションが変わっても、何の違和感
もないままにあたりまえのように夢は進行していきます。

 時間も空間も一緒くたで、まるで四次元の世界ですね。

 現実では支離滅裂な出来事も夢の世界では理路整然と
しているようにノープロブレムで夢は展開していきます。

 no problem 本当に何の問題もないのでしょうか

 そう言えば、先ごろ日本の研究チームが人が見た夢の
中身の解読に成功したというニュースが流れました。

 脳の活動形態から夢の内容を分析して読み取るという、
まさに夢のような技術に 「夢」 が広がりますが …

 本当に見る夢のすべてがあからさまに解読されてしまうと
なると何だか「夢のない話」 にもなりそうです

 人間が無意識のうちに要求するものは、他人から見たら
無価値で他愛のないものばかりですから …

 夢に登場する人物や構成が、現実社会といかに矛盾して
いても些(いささ)かも気にならないように …

 人間が本当に必要としているものほど世間一般からしたら
無価値でガラクタのようなものなのかもしれません。

 さて、

 透明人間2号 である自分は、このブログにおいて
前世とは言い難いものの前世と言っても差支えのない別の
人生を共有するという履歴をもっていることになっています。

 共有という表現が妥当でなければ、

 吸収・合併・融合・合体・同化 … とでも言うのでしょうか

  「進化は伝染病である」 とする何とも刺激的な言葉から
始まる 「ウイルス進化論」 という説がありますが、
これは正式な学説として認められたものではありません。

 かなり有名な説ですが、所謂(いわゆる)、仮説であって、
学会のなかではトンデモ系の俗説の域を出ないものです。

 しかるに、ウイルスが人間のDNAに関与し、進化に影響を
及ぼしてきたこともまた事実であって 自分5号の経験
はそうした関係性に似ているのかもしれません。

 そう言われても ピン と来ない方がほとんどでしょう。

 何故に、我らが 透明人間2号5号 になって
しまったのかの経緯・変遷を辿るには …

 『アダムとイヴのへそ』 <1>~<12>
 知ることができます。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/239.html(参照)

 デカルト先生ならずとも 「我思う故に我あり」
と思ったのは我なのか  それとも、我と自らを認識して
いる我のなかの脳ミソがそう思っているのか

 つまり、

 「我とは何かquestion2」 との問いに 「我とは脳である」 と答えた
場合に、答えたのは 「我」 なのか 「脳」 なのか

 いや、そのどちらでもなく、それは 「魂」exclamation2 とすると
、ストンと 腑に落ちる わけですが、

 意識や自我があてにならない夢のなかの世界で、無意識
や深層心理を跋扈させる脳内作業に 「魂」 は無関心です。

 かの 9・11同時多発テロ事件 の渦中に、男は世界貿易
センター84階のオフィスにいました。

 踊り場に逃げ出すも、煙が充満していて、意識を失う人が
多数を占めたそのときでした。

 突如 「立ち上がれexclamation2」 と叫ぶ男の声が聞こえ、はっきりと
した存在を感じたのです。

 その声に支えられながら、炎の中を階下へとたどり着いた
ロン・ディフランチェスコは最後の脱出者となったのです。

 極限状態において、人間は 「別の存在」 を見ることがまま
あるといいます。

 絶望的な状況下に陥った人間の前に現れて、生存へと導く
案内人となる 「謎の存在」 の話は しばしば耳にすることが
ありますが、ジョン・ガイガー氏は、そうした不思議な存在を
第三の人(サードマン)」 と命名し、その解明を試みたのが
『奇跡の生還へ導く人』 という本です。

 不可知領域への探求書とされる書籍ですが、残念ながら
読んだわけではありません。

 古い新聞の切り抜きを整理していた時に同書を紹介する
ノンフィクション作家 後藤正治氏の書評的な内容の記事を
平成22年10月31日の静岡新聞 特集欄に見つけたのです。

 たまたま目に留まった文面には …

 登山家、極地探検家、夜間飛行の冒険家、海の漂流者、
捕虜収容所からの脱走者 …。 彼らが極限状態に陥った
とき、「サードマン」 が出現し、生存へと導く  ― 中略 ―

 神か幽霊か幻想か。  それにしては「守護天使」の像は
あまりにリアルなものだった。

 文献を渉猟(しょうりょう)し、生存者の証言をあたり、生理
、神経、心理学の専門家の見解を求めていく。

 寒さ、酸素欠乏、疲労困憊(こんぱい)、孤独感 … などが
脳に変調をもたらし幻覚を生み出すことは容易に想像しうる
けれど、健康人でも、夜間、一人歩きをしている際、誰かが
ついて来ているような気配はよく知覚する。

 「第三の人」 が現れやすい要件として、著者は、肉体的な
衰弱に加え、隔絶感、単調さ、喪失感などの心的要素 …

 そして 生存への強い意志 などをあげている。

 終章 近くでは、「脳機能の衰えによる副産物」 ではなく、
人が潜在的に宿す 「進化的適応」 という見方を取り
あげている。

 そうなのもしれない。  ただ、仮説をはみ出す事例もある。 

 そもそも 「慈悲深い幽霊」 が、なぜに知覚の周縁を歩き
回るのか。 謎は残る。 … と評し、解明がまた次の
謎を生んでいく。 その輪廻のなか、「第三の人」
この列に加わっていくテーマなのだろう。  と結んでいます。

 この記事に興味を惹かれたのは、

 「在るのにない」 とされる自分5号の存在
「無いのにある」 とされる手足などを失った人の
大多数が体感認知する <幻肢> という 知覚現象
が、「サードマン」 と類似すると直感したからです。

  「映すとも 水も思わず
    映るとも 月も思わず 猿沢の池」


 柳生新陰流の極意を表すとされる歌ですが、水面に映る
月は、別に映ろうと思ってはいないし、池の水も映している
とは思っていない。 

 そう思っているのは人の心だけなのです。

 そうかと思えば、

 「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味

 「心 焉(ここ)に在らざれば、視(み)れども見えず、
     聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず


 出典:『大学』 ということにもなりかねません。

 しかし、そうなると心にこそ源(みなもと)があり、心が作用
しなければ対象も事象も意味を失い 「なくてもある」 と錯覚
したり 「あってもない」 と誤認することになってしまうのです。

 そこで 「サードマン現象」 に対する2号の結論としては、
少なくとも 「サードマン」 は 「守護天使」や「守護霊
ではないと思っています。

 夢のなかの整合と同じく、何の脈絡もないものどうしの結合
が、たとえ 「」 や 「」 が合わさらなくても、余剰する部分
は 「あっても見えず」に、不足するところは 「なくてもある
かのように補正加工するときに、便宜上、脳が、時宜に適う
かたちで本人の代わりに他者としての 「何か」 や 「誰か」を
遣わすのではないか と考えるわけです。 

 絶体絶命の窮地に陥った人々には、大なり小なりに必要と
される彼や彼女たちのすべての前に、彼や彼女の分身たる
サードマン」 が必ず現れていたはずなのです。

 ただ奇跡的に生き延びることができた人間にしか、そうした
現象を語るべき言葉を持たないので、結果、生還への正しき
方向へと導く存在として クローズアップ されることになった
のが 「サードマン」 ではないでしょうかquestion2

 もっと端的に、あるいは、辛辣かつ冷徹に言ってしまえば、

 「脳機能の衰えによる副産物」 ではないものの、絶望的
な死を前にしての恐怖や苦痛を和らげる「脳」の 防衛機能
鎮静作用 であって、おそらくは、それ以上のものでも、
それ以下のものでもないでしょう。

 こうして、

 「最後の最後」 に必要となるものを突き詰めてしまえば、
何か」 という 「希望」 と 「誰か」 がいるという 「安心」 で
あって、普段の生活においても、人間が本当に必要とする
ものは、それくらいのものなのかもしれません。

 そして、人生の 最期の最期 における …

 夢の履歴 は、自由自在に 改竄 できたとても

 魂の履歴書 だけは、誰にも 詐称

 は許されないのです

 それは、それこそが未来につながる …

 希望(みなもと)だからなのです

コメント一覧

バイトのガードマン
「透明人間のガードマンのことをサードマンと呼ぶ」
なんちゃって!
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