迎えました。
「現在及び将来の臣民に対し此の不磨の大典を宣布す」
との文言からか、大日本帝国憲法は 不磨の大典 と
言われ、GHQ の影響下で日本国憲法が施行されるまで
一度も改正されることはありませんでした。
1947年5月3日に施行された日本国憲法も、2013年の現在
に至るまで一字一句たりとも改められてはいないのですが、
現憲法は不滅の大法典という意味での「不磨の大典」には
当たりません。
真に必要があれば、時代の要請に合わせて見直すことに
何の躊躇もありませんが、強い支持率を背景に、安倍首相
は改憲に強い意欲を示し、まずは96条の改正(衆参両院で
3分の2以上の支持が必要な改正の要件を過半数に緩める
など)を公約に掲げ改憲に向けて前のめりの姿勢です。
こうした「96条先行論」には、大坂城の外堀を埋めさせた
家康的な思惑が垣間見えてどこかすっきりしません。
政局絡みの観測も含めてそれらの疑念を払拭するには、
正々堂々と中身の議論をするべきです。
ボク には一般の法律と憲法の違いを正しく説明すること
はできないけれど、国を代表(規定)する最高の法規である
ということぐらいは分かります。
だとしたら、その改正には高いハードルがあってあたりまえ
で、厳しい要件を課すのは当然だと思うのです。
安倍首相も改憲を目指すのならば、困難な要件に挑戦して
堂々と打ち破るべきで、先にハードルを低くするなど改正の
ルールを変える考え方には賛成できません。
自民党の憲法改正草案をベースに、もっと議論することが
先決ではないでしょうか
さて、日本を代表するものと言えば、「富士山」 ですが
世界文化遺産に登録する勧告がなされたと伝えられました。
「三保の松原」 の除外や 「武家の古都・鎌倉」 の見送り
は残念ですが、静岡県民として素直に喜びたいと思います。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際
記念物遺跡会議(イコモス)の登録勧告で、「富士山」
の世界文化遺産登録が大きく前進したわけですが、日常に
おいて富士山を仰ぎ見て、励まされ、憧憬し、時に畏敬の念
を持って、自らの居ずまいや佇(たたず)まいを正す。
霊峰富士は日本人の精神文化の源にあるのです。
全国の各地の地名や町名や橋などに富士見という名前が
あるように、およそ、山体との距離などは無縁なのです。
単なる展望地としての審美的な意味合いではないのです。
構成資産としての「三保の松原」の価値が、十分に正確に
世界遺産の評価委員(専門家)たちに伝わらなかった理由は
その辺りにあるのでしょう
あるいは、
イコモスの評価委員から不要物や不用品として判断され、
「断捨離」 されてしまったのかもしれませんが …
そう言えば、
1年ほど前に 『もったいない断捨離』 という
タイトルの記事をアップしましたが、おかげさまで3日に1度
の頻度で直接そのページへのアクセスがあるようです。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/264.html(参照)
ボク は否定的なのですが、一時の流行は去ったものの
相変わらず「断捨離」に負のイメージは少ないようです。
そもそも 「断捨離」 とは、何事においても、
執着を 断つ、執着を 捨てる、執着から 離れる。
そうした心持ち、気持ちであって、
ヨガの行法哲学 断行、捨行、離行 から
出た言葉だとか …
そうなると 「もったいない」 に付随する節約 とか
、倹約 とか、とは接点がないようですが、不要な物の流入
を断つという意味からも、欲を断つ、欲を捨てる、
欲から離れる とすると以外に共通点がありそうです。
節約 には、倹約 と 吝嗇(りんしょく)があります。
倹約とは、単にモノやお金の無駄遣いをしないことです。
吝嗇は、その行為の結果、他人を不愉快にさせる場合が
多いとされますが、きちっとした定義はあるのでしょうか
倹約に 「ケチ」 というイメージはそれほどありませんが
、吝嗇を一言でいえば 「ケチ」 そのもののイメージです。
「過度に物惜しみをする人のこと」 や 「必要なモノの購入
でもお金を出さない人のこと」 を 吝嗇家 と呼びます。
しみったれで強突張りの守銭奴のように扱われていますが
お金に絡む事柄の場合が多く、肯定的な意味で用いられる
ことは少ないようです。
もっとも主観的に語られる場合が大多数であり、必ずしも
客観的な事実を指しているわけではありません。
倹約家 の場合には、たとえ値段が安くても必要なモノ
以外は買わないのです。
ボク としては、これが本来で普通の姿だと思うのですが
、それこそが デフレ の正体だと1号 さんは言います。
「断捨離」 が流行ったのもデフレ経済下にあったから
起きた現象だと言い切ります。
質素・倹約にして、キレイ好き(ここはボクとは違います
けど) … 昔の日本人的な感性というか感覚ですね。
節約ブームは正直、経済の行き詰まりの証明で、古くても
、古くなくても、使えても、使えなくても、物を処分し、大いに
新しい物品を購入して、世の中にお金を回すべし … とする
のが、ある意味で経済の閉塞を打破するアベノミクスの矢
のひとつなのです。
高度成長期に喧伝された 「消費は美徳」 というやつです。
… ですが ボク には、たとえば映画でも、やたらと派手に
物を壊すハリウッド物はどうも性に合いません。
いくら保険によって損害分の賠償が約束されているとして
も、どこか釈然としないのです。
実際に物が破壊され、むざむざとその価値が喪失している
ことにかわりはないからです。
娯楽として映画を見た人たちのストレスの解消や爽快感と
いった別の価値に変換されて等価交換以上の効果を生んで
いることもあるから、「それでいいのだ」 とバカボンのパパ
のように1号 さんは言いますけれど …
やっぱり ボク は 貧乏性 なのでしょうか
本当は、お金持ちにどんどんと湯水のように使ってもらえば
いいのでしょうが、「金持ち」って、概して 「倹約家」
や 「吝嗇家」 なんですよね
酷い言い方だと、「銭ゲバ」 の 「守銭奴」 です。
だから、老子はアラームを鳴らすのです。
何事も度を過ぎると、その行動は 「奇」 となり 「妖」 に
なりますよ … ってね
そんな金持ち連中こそ、思い切って 「断捨離」 を
しちゃいましょうよ。 日本には 不要 ですから
なんちゃって … ねっ
さて、
倹約・吝嗇・断捨離 と聴くと、一方で物を大切に
したり、金銭を惜しんだり、他方で不要な物を捨て去ることを
思い浮かべますが、倹約 や 吝嗇 などの 節約系 と
断捨離 に代表される 処分系 の言葉にしても、本来
はもっと包括的で深い意味を持った言葉だと思うのです。
相反する両極的なものだと捉えがちですが、ムダな行為や
行動を控え生命活動を維持するエネルギーを蓄えるための
合理的な言葉だと考えると案外、根は一緒かもしれません。
GWも後半戦に入りますが、早くも世界遺産効果で富士山
周辺は行楽客で溢れかえっているそうですが …
いずれかの日に、たとえ富士山が噴火しようとも、日本国
憲法が改憲されようとも、日本人の富士山に対する愛着や
憲法に対する信奉と平和を希求する本質は永遠に不変に
して普遍なのです。
それにしても、 ボク たち静岡県民は、世界文化遺産と
なる富士の山を朝な夕なに仰ぎ見られることに誇りを覚えて
、感謝の気持ちを忘れないようにしなくてはいけないのだと
あらためて思いました。
Forever Peace 終わりなき平和を …
富士の麓で、憲法記念日の夜に記(しる)す
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