透明人間たちのひとりごと

過信と焦りの三島由紀夫

 先日(4月10日)、朝鮮労働党は 「労働新聞」 の紙面で、
日本列島を戦場にと … 東京、大阪、横浜、名古屋、京都
などを名指しして標的とする威嚇を発表(掲載)しましたが、

 さらに一昨日(12日)には、朝鮮中央通信の論評で …

 「(北朝鮮のミサイルの)射程圏内には常に日本が入って
おり、もしも日本が一瞬でも動きを見せれば戦争の火花は
まず日本で散ることになる」 と威嚇を強めています。

 確か去年の今頃も北朝鮮の人工衛星と称する長距離弾道
ミサイルの発射に 右往左往 させられていたように記憶
していますが、この切迫した状況下で頼らざるを得ないのは
米軍の存在です。 

 米国自身が強調しているように、日本も韓国も米軍による
核の傘の中で守られていることは否定できない事実です。

 こうした好戦的な隣国からの脅威と威嚇を目前にしても、
我が国は、米軍の力なしに自国を守る術を持てないでいる
というのが実際であり、三島由紀夫が憂(うれ)いの果てに
決起を促した 「三島事件」 の当時も、あれから40数年が
経過した現在の日本も、結局のところは何ひとつ変わって
いないというのが現実なのです。

 そこで 5号 の記事 『三島由紀夫と北朝鮮』
に関してですが …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/297.html(参照) 

 多少なりとも誇張して語ったいくつかの陰謀論を 5号
真に受けたわけではないのだろうから、ああいう茶化し気味
オチで終わらせたのだろうけど、内容は肝心なところが
抜け落ちていて中途半端な表現がかえって誤解を生む恐れ
があるので 、三島事件における1号 の推理をあらためて
ここに書き記(しる)しておきたいと思うのです。

 結論から言えば、

 三島由紀夫は 「自決したのではなく、自刃させられた
のではないか
」 ということなのですが …

 世上で喧(かまびす)しく語られる究極美としての自己陶酔
による殉教的な死やクーデターの失敗による覚悟の死では
なく、詰め腹を切らされたというのが1号 の見解です。

 つまり、三島事件は、三島由紀夫と 『楯の会』 4名の単独
による行動ではなく、他にも共謀する存外の者たちの存在が
疑われるという意味です。

 他の関与を疑る理由は、三島たちの計画行動が余りにも
性急で短慮・短絡に映るからです。

 まがりなりにもクーデターの決起を促すのであれば、もっと
周到であってしかるべきだし、明晰な頭脳の持ち主である筈
の彼らにそれができないわけがないのです。

 要は、そこなのです。 そこが腑に落ちないのです。

  『三島由紀夫割腹余話』 によると …

 exclamation http://www.geocities.jp/kyoketu/6105.html(参照)

  【事件のあらまし】

  死についての三島の計画の立てかたは、その小説
  の結構と同様、手が込んでいた。 彼は細心の注意
  を払って、身辺をきれいに整理した。 ― 中略 ― 


 それはその通りでしょう。 もとより死は織り込み済みです。

 当然、死についての準備も身辺整理もできていた筈です
が、それは取りも直さず非合法の武力行使に対する責任を
とる意味での武人しての切腹を想定したものです。

 しかし、そこにはクーデターの成功という大望が叶うという
前提が必要で、目的が成就せずして負け犬が如き割腹劇
など演じたくはなかった筈なのです。

 だとしたら、

 バルコニーから檄文を撒き、ともに立ち上がろうと隊員ら
に呼びかけるだけでなく、蹶起(けっき)を促すための事前
の下慣らしや惹起させるための方策というか、クーデターの
成功までの青写真やシナリオなどがあったはずで、そうした
用意に対する周到さというものが死に対する準備と比べて
微塵も感じられないという点が不思議でならないのです。

 ただ、やみくもに義憤というか、「憂国の激怒」 に駆られた
だけの稚拙な行動にしか見えません。

 1号 が何かを知っているわけでもありませんが …

 ちょっとしたデモでも、何事かを要求するための集会でも、
拡声器やメガホンの類は準備するでしょうし、大勢の人々に
訴求して喚起を誘おうとするなら、マイクのひとつやふたつ
の用意は場所柄から言っても可能だった筈です。

 つまり、持ち込みは不可能なので現地調達をするわけです
が、切なる思いを訴え、蹶起(けっき)させようとするならば、
なおさらのことではないでしょうか

 一事が万事ではないですが、段階の差こそあるにしても、
不自然に思えることがいくつもあるのです。

 紙幅の都合上、すべてを検証する余裕はありませんが …

 たとえば、前述の 『― 割腹余話』 では …

  ― 三島と若い部下たちは、車で市ヶ谷の陸上自衛隊
  東部方面総監部に向った。 ― 中略 ―

 (東部方面総監 益田兼利陸将に面会を申し込んであった)

   到着すると直ちに総監室に通された。二、三分雑談
  したあと、前もって打ち合わせておいた合図に従って、
  なんの疑念も持っていなかった益田総監に飛び掛って
  縛りあげ、机や椅子などで部屋の入口を塞いだ。

 symbol2 ここからは他の資料も交えて時系列で振り返ります。

 ★ 午前11時30分頃、総監室の窓ガラスを破り、窓越しに
 説得を試みた吉松陸将補、功力一佐、第三部長 川久保
 一佐らに対し、日本刀を振りかざしながら、四つの要求を
 書いた紙をドアの隙間から廊下に投げ出した。 

 ☆ 「攻撃行動、妨害行動を加えなければ、総監に危害は
 加えない。十二時までに隊員を集めろ。もし要求を容れな
 ければ、総監を殺害して自決する」

 三島は幕僚たちに要求書を出して、これらの要求が容れら
れなければ総監を殺し、自分も切腹すると脅迫したわけです
が、彼の美学にそぐわないと思いませんかquestion2

 もちろん、これは脅しであって三島に総監を殺す意図など
まったくないのは明白ですが、自決のシナリオは展開次第で
如何様にも加筆修正される余地のあるものだったのです。

 いずれにせよ、暴漢となった作家の一行が本気であること
を知った幕僚たちは要求を受け入れたわけですが、この時
にマイクなり拡声器なりの要求も十分に可能だったのです。

 なぜなら幕僚たちは三島の演説を聞かせるために駐屯地
の全隊員を正午前に集合させることと午後一時十分までは
何が起こっても妨害しないことに合意していたからです。

 ★ 午前11時50分頃、森田、小川は要求項目を書いた垂幕
 二本を総監室前バルコニーから垂らし、檄文をを多数撒布
 した。 三島は(制服に身を整え「七生報国」の鉢巻をきりり
 と締めて関の孫六の抜き身を持ち)、バルコニーに立つ。

 ★ 午後0時きっかりに、三島は足元に集まった隊員たちと
 膨れ上がってきた報道陣に顔を向けた。 高揚する意識が
 そうさせるのか、芝居染みた身振り手振りもぎこちなく演説
 は始まった。 隊員を前にマイク無しの肉声で、真の「国軍」
 として目覚め、われわれの決起に参加せよexclamation2と訴えた。

 しかし、演説の大半は頭上を旋回する警察のヘリコプター
の騒音にかき消され、かすかに聞き取れる言葉も、隊員たち
の野次と怒号にまみれていた。

 ☆ 「お前ら聞け、聞けぇexclamation2よく聞け、聞け、聞け、聞けいexclamation2
 よく聞け、よく聞け、よく聞けい、静聴せいexclamation2男一匹が命を
 賭けて諸君に訴えているんだぞ。 … そこでだ、俺は四年
 待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる
 日を。 … そうした自衛隊の … 最後の三十分に、最後の
 三十分に … 待ってるんだよ」

 symbol2 三島は最後の30分に何を待っていたのだろうか

 q これが最大の謎ですが

 ☆ 「… … まだ諸君は憲法改正のために立ち上がらない
 と見極めがついた。 これで俺の自衛隊に対する夢はなく
 なったんだ。  それではここで俺は天皇陛下万歳を叫ぶ。
 天皇陛下万歳exclamation2 天皇陛下万歳exclamation2 天皇陛下万歳exclamation2

 ☆ 三十分間予定されていた演説は、七分間の茶番劇で
 終わった。  天皇陛下万歳を三唱した後、三島は森田と
 ともに総監室に戻ります。

 ★ 午後0時10分頃、「二十分間ぐらい話したんだな、あれ
 では聞こえなかったな」 と独り言。 (総監には) 「恨みは
 ありません。 自衛隊を天皇陛下にお返しするためです。
 こうするより仕方がなかったのです」 と言って制服を脱ぎ、
 正座して短刀を両手に持つ。  森田に 「君はやめろ」 と
 三言ばかり殉死を思いとどませようとした。

 三島は割腹し、結果、森田も後を追って自害するわけです
が、森田の首が介錯人(古賀)の手によって首の皮一枚残す
手練の一太刀で切り落とされているのに比べ、三島の首は、
何度も打ち下ろされた形跡を示す解剖所見となっています。

 以上は生き残った証人たちの証言をもとにしていますが、
すべてが事実でしょうか、偽証の疑いはないのでしょうか

  綿密に調べたわけではないので的外れの疑問を呈する
ことになるのかもしれませんが …

 まず、

 q1 総監室で日本刀(軍刀)を振り回していますが、どう
    やって持ち込んだのでしょうquestion2
 q2 益田総監とは事前になんらかの接点があり、暗黙の
    了解が交わされていたのではないかquestion2
 q3 学校の朝礼でも使うのに、決起を促す大事(演説)に
    なぜマイクを要求しなかったのかquestion2
 q4 演説の最終部分 「最後の30分に待っている」 とは
    どういう意味なのかquestion2
 q5 7分の演説を20分とカン違いするほど、動揺していた
    のに戻った直後に冷静な割腹が可能だろうかquestion2
 q6 森田の手による介錯となっていますが、三島の切腹
    の作法と数か所の首の傷の意味するものはquestion2
 q7 1970年(昭和45年)11月25日を決行日としたことには
    何か意味があったのかquestion2
  

 これら7つの疑問から総合的な判断を下すと、周知されて
いない事実が隠されたまま深い闇の中に葬られてしまった
事件のような気がすると 5号 たちに語ったわけなのです。

 推理を要約すると …

 決行日は、偶然にも昭和が始まった日でもあり、昭和天皇
を迎えて第60回臨時国会の開会式が参議院本会議場にて
午前11時から行なわれる日でもあったのです。

 計画では、午前11時に別働隊による国会占拠から始まり、
治安出動となって戒厳令が発動される。 この段階をもって
初めて日本の国体が明らかとなり、自衛隊は国軍となる。

 別働隊の一部ないし全部が市ヶ谷に終結、その旨を演説
する三島に告げることで、正規軍としての市ヶ谷の自衛隊員
を巻き込んでのクーデター(昭和維新)蹶起という青写真を
三島は描いていたと思うのです。 そしてそれをベースにした
いくつかの段階的なシナリオがあったquestion2ということです。

 総監だけでなく幹部たちの中にも気脈を通ずる者がいたの
で武器の所持が可能であり、総監室にも入れたが国会占拠
は実行されなかった。そしてそのことは益田総監も承知して
いたのではないでしょうか。

 これで、q1q2q7 の疑問は解消されます。

 実は、時系列で振り返る以前の午前10時6分頃に、三島は
伊達宗克と徳岡孝夫という知り合いの記者たちに、「ご面倒
ですが、11時に市ヶ谷会館においでいただけませんか、そこ
に楯の会の者がおり、田中か倉田という者がご案内します」
という電話をしているのです。

 さらには、来てもらった記者たちに 「何事もなく終わることも
ある。その時は私は11時40分に出てくるから」 その場合に
は何も書かないでくれ、と釘を刺しています。

 つまり、死なないシナリオも用意されていたということです。

 それは国会での占拠(クーデター)が遂行されずに、何事も
起こらなかった場合の話です。

 ところが、三島は行動を起こしました。 それは国会占拠が
予定通りに始まったとカン違いしたからです。カン違いさせた
張本人は益田総監と幹部たちだったのかもしれません。

 なぜなら、その当時は携帯電話はありませんので誰かが
知らせるしか方法がないのです。

 しかるに、すでに三島たちは総監室に入っているわけです
から他に知る術がありません。

 おそらくは 「国会占拠、予定通り始動、決行されたし」 と
いうような連絡があって初めて三島隊が動き出す手筈だった
のではないでしょうか。

 そして、そう伝えたのが総監たちか、あるいはクーデターの
断念を三島に促した結果が凄惨な事件の端緒となったか

 その辺りの判断は微妙ですが、いずれにしても …

 計画通りに事が運べば演説はセレモニーのようなもので、
三島は隊員が静聴するもの考えていた。 

 いや、むしろそれが前提だったからこそ彼は肉声で演説を
始めたのです。いかに見栄え良く見えるか、マイクは邪魔者
以外の何ものでもなかったのです。

 ところが、演説を開始するや、野次と怒号の嵐に面食らい
焦る顔から血の気が引いてパフォーマンスだけがやたらと
大袈裟になってしまいます。nose4

 (何故だquestion2)三島はそう訝(いぶか)ったに違いないのです。

 総監以下、通じていた幹部たちは何をしていたんだ

 話が違うじゃないかeq  ここに至っても裏切られつつある
ことに三島はまだ気付いていません。

 三島は撒布した 「檄文」 の原稿に沿って30分かけて
説明するつもりでいたのですが、聞く耳を持たない隊員たち
を前に7分で打ち切っています。

 傍らにいた森田には、うすうす感ずるものがあったのかも
しれませんが、忠実なる部下の責務を全うします。

 これで q3 の肉声だった疑問も消えましたね

 仮に決行の断念を知らされた場合の引くにひけない状況で
の逆上による暴挙という線も考えられないこともありません
が、そうであれば、やはりマイクどころではなかったでしょう。

 しかし、その可能性は限りなく小さいもので、その場合には
雑談を交わして11時40分までには出て行くというシナリオで
したから何か不測の事態があったということでしょう。

 さて、q4 が、もっとも大きな疑問点であり、意味深かつ
謎のフレーズです。

 「自衛隊の最後の30分に … 待っているんだよ

 素直に聞けば、自衛隊の決起を4年間待ったが、ぎりぎり
最後の30分待っているという意味でしょうが、ならば、30分
ではなく通常5分とか、最後の1分まで … という表現になる
のが普通でしょう

 撒布した 「檄文」 に沿ったかたちでの演説だった以上
、その中身が重要です。

 問題箇所を抜粋しますが、まずは URLを貼っておきます
ので檄文を参考にしてください。

url http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html(参照)

 「われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。
 もう待てぬ。  自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
 しかしあと三十分、最後の三十分待とう。 共に起って義
 のために共に死ぬのだ。 日本を日本の真姿に戻して
 そこで死ぬのだ … 」

 檄文では4年待ち、熱烈に1年待ち、最後の30分
待っているという文脈で、助詞 は 「を」 か 「は」 です。

 しかし演説では、「最後の30分 … 待っているんだ」 と
「てにをは」 は 「に」 です。 「を」 は単なる直接的な対象で
しかありませんが、「に」 は対象を舞台とする「目的舞台」
を現し、期待を表現するニュアンスを持ちます。

 直接的な 「を」 に対して目的を期待する 「に」 です。

 つまり檄文と演説での「最後の30分」 とでは、断然に
期待値が違うわけで意味も異なるということです。

 打てど響かず、笛吹けど踊らない姿を目の当たりにしても
なお、いったい何に期待をしていたのでしょうquestion2

 それは、援軍の到着です。  

 国会を占拠し、治安出動で戒厳令下となる知らせです。

 それが、「最後の30分に …」 の意味なのです。

 q5q6 は切腹に関する疑問です。

 「日本を真姿に戻して、そこで死ぬのだ」 とは、本来ある
べき姿に戻った日本を見てから死ぬということです。

 演説をあきらめた三島が総監室に戻り、「あれでは聞こえ
なかった」 と情けなく肩を落して、7分間の演説を20分にも
感じてしまうようなうろたえを示したのです。

 そんな男が、その直後に見事な割腹劇を演じられますか

 大いなる疑問です。

 牛込署の検視報告では三島の短刀による傷はヘソの下
4㎝ぐらいで、左から右へ13cmも真一文字に切っています。

 深さは約5cmで、腸が傷口から飛び出していたそうです。

 日本刀での介錯による傷は、首のあたりに3か所、右肩
に1か所あったそうです。

 森田は腹に10cmの浅い傷があったが出血はほとんどなく
、首は一刀のもとに切られていたそうです。

 symbol2 前出の 『― 割腹余話』 から抜粋すると …

  三島の切腹で一つだけ<奇異な感じを抱かせられた
 のは あの腹の切り方は一人で死ぬ場合の切り方であった
 ということである。 ― 中略 ― しかし三島はこの挙に出る
 前に、森田あるいは古賀が介錯することを打合わせている
 のである。  そうだとすれば、他人による介錯、すなわち
 <斬首>ということを予定した腹の切り方をすべきではな
 かったか。 ― 中略 ― 三島は生前、映画「憂国」を製作
 したさい、二・二六事件で決起に遅れて自宅で割腹自殺を
 とげた青島中尉(「憂国」のモデルといわれる)の割腹現場
 に駆けつけた軍医から、そのときの実見談を聴取していた
 といわれる。そして青島中尉が割腹後五、六時間たっても
 なお死にきれず、腹から腸を飛び出させたまま意識を失い
 、のたうちまわっていた有様をよく知っていた。 したがって
 介錯がなければ切腹が見苦しい死にざまを曝すおそれの
 あることを十分に認識しており、そのために介錯を予定し
 たことは正しい計算であった。それなのに敢えてあのような
 深い腹の切り方をしたのは、なぜなのであろうか …。三島
 ほどの綿密な計算をする人にも、 切腹後の肉体的変化ま
 では計算しえなかった千慮の一失なのであろうか。<奇異
 な感じを抱かせられた
>と述べたのはそのためである。

 … とあります。

 1号 には演説後の三島に死ぬ覚悟はなかったと思われ
てなりません。  失態に終わった演説に失望しているという
よりは、むしろ未練タラタラといった様子が窺えるからです。

 少なくとも三島の頭の中では捲土重来というか、この屈辱
に雪辱を期す臥薪嘗胆を考えていたふしがあるのです。

 そうでなければ 「あれでは聞こえなかった」 という繰り言
めいたトンチンカンな独り言(未練)を呟くわけもありません。

 しかしながら、三島は自刃した。 そうせざるを得ない状況
や事態が発生したからです。

 それは彼が思うかたちやタイミングでの割腹ではない

 三島には自刃する覚悟も準備もあったけれど、あくまでも
それは悲願成就の生贄として捧げるための命です。 

 そこで

 無い知恵を絞り、想像を逞しくして再現するとすれば

 総監室に戻った三島は愕然とします

 縛った筈の益田総監の代わりに楯の会の3名が捕縛され
ていたのです。 総監の背後には屈強な複数のエージェント
(秘密破壊工作員)が立っています。

 「どういうことだ nose6 eq と詰め寄ろうとする三島を
取り押さえた工作員たちは有無を言わさず「割腹」を迫った。

(嵌められた)そう察知したたからこそ、

 それを知らしめるために斬首(介錯)を想定した腹の切り方
をせずに一人で死ぬ場合の切り方をしたのではないか

 そこで思い出して欲しいのですが、幕僚たちは三島の演説
のために全隊員の招集と午後1時10分までは何が起こって
も妨害しないことで合意をしています。

 演説は正午にスタートしておよそ30分を予定していました。

 残り40分は何のための時間だったのでしょうか

 常識的に考えれば、切腹と介錯などに費やすための時間
ということになるのでしょうが …

 それは、クーデター成就の暁における最後の仕上げである
武人としての死にざまを完成させる時間だったのです。

 先の解剖所見や検視報告からも明らかなように三島の首
は何度も何度も斬り付られて、漸(ようや)くにして離れます。

 この世への未練と裏切りに対する最後の抵抗がそうさせた
ようにも感じてなりません。

 「君なら僕がやろうとしていることを十分理解してくれる
  と思う。  だから何も言わない。  僕はずっと前から、
  文人としてではなく武人として死にたいと思っていた」

 三島と親交のあったドナルド・キーン(コロンビア大学教授
・日本文学研究家)宛に投函された最後の手紙より mail2

 「これで俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ … 」 

 決行の11月25日は昭和が始まるひと月前の日にちです。

 真の日本に還すための 「昭和維新」 は成りませんでした。

 これは畢竟(ひっきょう)、過信と焦りの北朝鮮を思わせる
弱者の恫喝のような一面もあるけれど、 ある意味では三島
に似つかわしい面目躍如だったのかもしれません。

 「益荒男が たばさむ太刀の 鞘なりに
                幾とせ耐へて 今日の初霜

  
 「散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて
                 散るこそ花と 吹く小夜嵐


 三島の辞世の句とされる2首です。

 「限りある命ならば永遠に生きたい」 というメモ書きが、
事件の翌日に三島の自宅の部屋で見つかりましたが …

 おそらく、日本という国が存在する限り、三島由紀夫は
永遠に生き続けるだろうと思います。 ― 合掌clapnose1

コメント一覧

江戸川ドイル
「昭和維新」って、ニニ六事件を言うんじゃないの?
ってか、クーデターにしちゃ、チャチ過ぎるでしょ!
ただ、三島のメモ書きはいまのところ成就されているようだし、一応、労作には拍手を惜しまないことにしてますんで、1拍手を進呈します。
餃子ライス
事の大小にもよるけど、引っ込みがつかないだろう事態や場面には度々遭遇する。
そんな時、ケツをまくっちゃうか、シラーっとスルーするか、ごめんなさいするかで、その人のプライドや矜持が分かりますよね。
この場合には、桁がいくつも違いすぎますけど…
そして、妄想と想像力と推理力の違いも、同様に指摘しておかなくてはならないでしょう。
バカボンのパパのパパ
日本の現状を見た三島由紀夫は「これでいいのだ」って言えるだろうか?

わしは「それでも、これでも、どっちでもいいのだ!」
ココナン
可能性は否定しないけど、ちょっと穿ち過ぎでは…?
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