我慢にも、体力にも、能力にも、限界というもの
があります。
堪忍袋の緒が切れるのは、我慢の許容範囲を
超える事態に至った場合で、積み重なった出来事や不始末
が許容量をオーバーした時に見られる現象です。
限界点までの許容量(限界量)あるいは許容力(包容力)
といったものには個人差があって、それがその人物の器や
度量の大きさを示す秤にもなるわけですが ・・・
地球にも我慢や体力や能力などの限界点が
あり、その許容の範囲、つまり堪忍袋の緒が切れる
までの時間は年々短くなってきているようなのです。
何に対する堪忍袋なのかというと、
地球に巣食う人類が、天然資源を食い荒らし、危険
物質を垂れ流し、排気ガスやPM2.5等の微小粒子状物質
を撒き散らし、二酸化炭素や他の温室効果ガス放出する。
言わば、そうした節操のなさに対する地球の怒り
の堪忍袋にも許容量の限界点が近づいていて
その巾着口を辛うじて縛っている緒が切れかかっている
のが現実なのです。
国際シンクタンクである
「グローバル・フットプリント・ネットワーク」
(GFN)によると、
「アース・オーバーシュート・デー」 1年分の地球資源を
使い果たした日が、今年は8月13日になるのだそうで、僅か
8か月足らずで今年1年分の再生可能資源を使い果たして
しまった計算になります。
森林を伐採し、二酸化炭素(CO2)を排出し、魚や動物を
食べるという人間の活動が、自然の許容範囲内に収まって
いれば、森の木が光合成によってCO2を吸収し、魚や動物
は一定数の子孫を残すべく、その数を増やしてくれます。
要は、地球(元本)そのものに手を付けずに生態系と
いう循環システム(再生=利子)の範囲内に収めていれば、
温暖化や森林破壊、漁業資源の減少といった環境問題は
ほとんど起こり得ません
利子だけで生活できるからです。
★ アース・オーバーシュート・デー ★
2000年 10月 4日
↓ ↓
2011年 8月27日
2012年 8月23日
2013年 8月20日
2014年 8月17日
ところが、
今年はその利子のすべてを使い果たし、元本にまで手を
付けることになった日が8月13日だというわけです。
借金生活となる日時は年々早まり、1961年の時点では、
地球の生態系が1年間に供給する自然資源の3分の2
程度の消費量だったものが、現在ではほぼ2倍に増加し、
人類の生活を支えるのには地球が1.6個ほども必要に
なるのだそうです。
世界各国での規制や削減努力もままならない現状では、
地球がもう1つ必要となる日も時間の問題なのです。
もっとも、その前に人類の滅亡のほうが早く訪れて
しまうのかもしれませんが ・・・
さて、早晩のことではない遠い未来での出来事にしても
「水の循環」についての考察からそのことを500年も
前に察知したダ・ヴィンチは 警告をしても意味を為さない
産業革命以前のレネサンス時代から、警鐘を鳴らすべき
時代である現代社会(未来)に向けて 『モナ・リザ』を
はじめとする、終生、手もとの置いていた3枚の油彩画や、
『聖アンナと聖母子』 『モナ・リザ』 『洗礼者聖ヨハネ』
『最後の晩餐』、『アンギアーリの戦い』
などの壁画を介して、メッセージとアラームを発し
続けているわけですが、
『アンギアーリの戦い』 ルーベンスによる模写
その点については過去のページを参考にしてください。
たとえば、こんな暮らしや習慣をつづけていたら、破産や
倒産の憂き目を見ることを知ったならば、個人や企業家は
どうするでしょう
地球人類の「環境破産」 「絶滅の危機」を
避けるために、CO2の排出を可能な限り削減し、天然資源
の利用量を減らして、一刻も早く借金生活から抜け出そうと
努力するはずですよね。
ところが、
そのこと(環境破壊)に気づいても、このこと(警告)には
無視を決め込むのが、拝金主義と物質社会に
溺れる悲しい人間の性(さが)であり、業(ごう)なのです。
ダ・ヴィンチの考える災厄(終末)を未然に防ぐ地球鎮護
を込めたアミュレット(Amulet)やタリスマン(Talisman)を
兼ねた護符的な『モナ・リザ』の制作も空しく、時代は
このまま『黙示録』の預言が成就する未来へと
突き進んでしまうのでしょうか
「地球1個分」で十分に足りる暮らしの実現は
無理なのでしょうか
そのためには、『モナ・リザ』の背景に秘められた
意図を理解して、ダ・ヴィンチの労作に報いなくては
なりません。
前回までに、『モナ・リザ』には太古の地球と未来
の地球の姿の他にも『ヨハネの黙示録』の世界
が描かれていることを解説しました。
使徒ヨハネは、『黙示録』の預言の成就のために
陰陽五行の神秘術として、白、赤、黒、青 の
順にそれぞれの色の馬に乗った「四騎士」をライオン、
雄牛、人間、鷲に似た四つの生き物に「来なさい」と
呼ばせてから登場させるというストーリーを採用します。
この場合の「ライオン=白」、「雄牛=赤」、
「人間=黒」、「鷲=青」の順番が陰陽五行説で
いう「相剋」の流れとは逆の順番になっていることに、
ダ・ヴィンチは気づいたのです。
「相剋」では、赤(火)は白(金)に勝(剋)つ
、つまり、白い馬の騎士である(イエス・キリスト〉が、
赤い馬の騎士(戦争=サタンの一味)に敗れること
になってしまいます。
そのことを懼(おそ)れたヨハネは、「相剋」とは逆の
流れ(順番)にして、サタン一味との戦いに勝利するよう
祈祷(祈願)し、それを朗読させることにしたわけです。
この2枚の『モナ・リザ』を見比べてみてください。
見慣れた人ならすぐに判るはずですが、ダ・ヴィンチが
描いた『モナ・リザ』は左側です。
この左側の背景を 、、、 と分割して、 と を
入れ替えたのが右側です。
その2つを並べて、番号順に順路()を追うと、
左側はゼット(Z)型に、右側は左回転(反時計回り)の順
になっていることが確認できますが、右側の背景の構成が
『黙示録』の記述に沿った場合の構図になります。
白(金)から赤(火)へ
「相剋」とは逆となる白 赤 黒 (黄) 青
の順番に騎士を出現させて五行説の「相剋」を
封じたうえで、陰陽思想での力(エネルギー)を吸収
する反時計回りの流れになるように誘導しているわけです。
正(プラス)の回転 負(マイナス)の回転
但し、『黙示録』には黄色の馬に乗った騎士の
登場はありません。
しかしながら、それにはやむを得ない事情があって、
黄色は中央に鎮座する存在であり、中国では皇帝
を指し、麒麟 もしくは黄龍が守護聖獣として司るという
関係から、父なる「神」に相当する色となるからです。
したがって、本来なら背景の に鷲の隠し絵があるべき
ところを から を経由して へとつながる位置にあたる
モデルの髪の毛を鷲に見立てて描いたというわけです。
当然のことに、
ヨハネにとってのモデルは「神」ですが、ダ・ヴィンチは
サムシング・グレートとして描いています。
ところで、右と左 …
アナタにはどちらの背景がより自然に感じられますか
個人的には右側の背景の方が違和感なく自然な風景に
感じられるのですが、受け取り方は人それぞれですので、
意見は分かれるものと思います。
『モナ・リザ』を見慣れた人たちには右側に違和感
を覚える方が多いのかもしれませんが、『黙示録』の
内容に従えば右側の『モナ・リザ』がルーブル美術館
に展示されていたことになっていたのです。
ことほど左様に、一瞬見分けがつかないほどに見た目に
おいては大差ないのですが、内実は大違いなのです。
では、何故、そうはならずに左側の『モナ・リザ』が
ルーブル美術館に飾られることになったのでしょうか
一言でいえば、それはダ・ヴィンチの堪忍袋の大きさ
と無関係ではなかったようなのですが ・・・
それはまた次回の話にいたしましょう。
… to be continue !!
「わしの〇〇袋は全開なのじゃ」
「なにせ、袋とじ専門じゃからのぉ」
「・・・・・ ?」
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