ブログ童話(グリム童話に引っかけているつもり… )の
『アダムとイヴのへそ』 は、5号 の協力もあって
つごう12回を数えるロングランになってしまいました。
しかも、その間に輪番制の投稿順を何度となく譲ってくれた
我らが大将 透明人間1号 さんが 外伝 なる記事を
わざわざ投稿(寄稿)してくれたのは望外の展開だと言うべき
ことなのでしょうが、そこはそれ、ちゃっかりと最後の最後に
ドーンと見事に主役におさまっています。
さすがと言おうか トンビに油揚げ … だと嘆くべきか
その物語 『アダムとイヴのへそ』 は …
童話とは言っても、所謂(いわゆる)むかし話やおとぎ話と
いったマザーグース的なものではなく、多次元(高次元)世界
からの俯瞰的な視点を前提にしてスタートさせたSF仕立ての
行き当たりバッタリの空想童話(科学)物語です。
2号 と 5号 とのバトン・リレー方式による荒唐無稽なる
トンデモ系の超駄作ですが、おそらくは人畜には無害のはず
ですので、お暇なら是非にものぞいて見てください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/239.html から
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/250.html まで
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/251.html(外伝)
さて、
今朝も、わざとらしく 1号 さんが尋ねてくるのです。
「ホントに覚えてないの 24億年先の未来のこと … 」
「ごめんなさい。 まったく記憶にないんですよぉ」
と、冗談まじりに応じると …
「 2号 先生は、完全に地球人になりきってるようだね
それじゃあ、生徒の 5号 くんの方は、どうなのかな」
「思い出そうとしても、どうしても忘れられないんですよ。
忘れようとしても、ちっとも思い出せないように … 」
振られた 5号 は、意味深に、しかも、皮肉をたっぷりに
切り返していましたが、本当はどうなのか
正直に言えば、思い出そうにも忘れられない過去があり、
忘れようにも思い出せない未来があったような気がして …
何だかどうにも自信が持てないのです。
もしも、そうなら完璧に主役をこなしているわけですが
ところで、主役と言えば、
1号 さんの記事に、『え! 全員主役 !?』 という
当世の学芸会事情に登場する主役の <桃太郎> を
巡るドタバタ劇を綴った人気のブログ記事があります。
小学1年生の学芸会の演目 「桃太郎の鬼退治」
での主役である桃太郎役に、真っ先に手を挙げて、立候補
した1号 さんでしたが即座に却下されてしまい、敢えなくも
キジ の役を拝命されたそうですが、その顛末や如何に …
下記 にて、是非ご参照あれ
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/156.html(参照)
桃太郎の家来と言えば、イヌ、サル、キジ ですが、
若手の漫才かコントのネタに、「イヌ と サル は分かるけど、
何で トリ じゃなくてキジなんだ」 というのがありました。
我々、透明人間 としての エイドマン たちには、
共有するマインドを養い育てるために、1号 さんの手に
よる 「エイドクルーフィールドサービス講座」 なる一冊の
小冊子が手渡されます。
その No.15 に 『桃太郎と家来たち』 という話が
載っているのです。
決して1号 さんをヨイショするわけではありませんが
何故キジなのかの件(くだり)も載っていましたので、少し長く
なりそうですが、その一部をここで紹介させていただきます。
―― 『桃太郎と家来たち』 ――
桃太郎は何故、キジと、サルと、イヌとを従えて、鬼ヶ島に
鬼退治に出掛けたのでしょうか
かれこれ、30年以上も昔に、京都の国際会議場で経営に
関する大会が催された時のパネルディスカッションで、経営
コンサルタントとして高名な田辺昇一氏が 「このイヌは行動、
サルは企画、そして、キジは情報である。日本の企業には、
行動と企画はあるが、残念ながらキジがない」 と発言され、
パネラーとして参加していた菊池寛賞受賞の名エッセイスト
扇谷正造氏は、桃太郎の童話を例にとっての比喩は、実に
説得力があったと述懐されていたそうです。
その具体的な話の中身は分かりませんが、何故、桃太郎
がキジとサルとイヌを家来に選んだのか 私なりの解釈と
視点から、その理由を探ってみたいと思います。
まず最初に、総大将である桃太郎ですが、彼は、俗に言う
“お飾り” 的な存在ではありません。
お飾りとは、ミコシに乗っているだけで、軍配や采配を振る
ことができない人間、現代風に言い換えれば、創業者一族
の2代目、3代目のボンボンといったところでしょうか。
つまり、そういう類の人間ではなく、創業者あるいは開拓者
や先駆者といったタイプの文武両道に秀でた人物であろうと
想像されます。
お伽草子の 『酒呑童子』 によると、
「池田中納言の娘が大江山の鬼にさらわれたおりに、時の
帝から鬼退治を命じられたのが源頼光で、彼は、坂田公時
(童話の金太郎のモデル)、渡辺綱(京都一条堀川の戻橋で
鬼の腕を切り落とした英雄)、碓井定光、卜部季武 といった
四天王を従えて、大江山に乗り込んだ。 彼らは、首尾よく
酒呑童子をはじめ、茨木童子、いくしま童子、とらくま童子
、かね童子や門の周囲を固めていた 十人余りの鬼ども を
ことごとく討ち果たした」 とあります。
この源頼光と四天王の勇姿と、桃太郎とその家来たちとの
鬼退治の童話は、どこかダブって見えます。
しかし、桃太郎の家来は、四天王ではなく、三羽烏ならぬ
3匹の動物たちです。
“3” という数字に何か意味があるのでしょうか
三人寄れば文殊の知恵、仏の顔も三度まで、女 三界に
家なし、三つ子の魂 百まで、三つ巴の戦い、三つ指を突く
等々 …、他にも “3” 絡みの言葉やことわざは沢山あると
思います。
とにかく、日本人は “3” が好きなのかもしれませんが、
やはり意味はあると考えられます。
直線で面を取るための最低単位は三角形です。
安定して物を立てるには、最低、三脚が必要です。
システム(組織)の最低構成単位は2人から始まりますが、
2人の場合には、一方の意見に引きずられたり、正反対の
プランで衝突したり、なかなか妥協できないままに感情的な
結論を導き出したりと、それこそ分裂しかねません。
ところが、3人でひとつのプランの実現をはかる場合には、
それぞれがお互いの考え方を客観的に判断しやすく、ひとり
ひとりのアイデアをお互いに補足し合い、補完できるために
大きな成果としてまとめあげることが可能となる。
つまり、“3” は 「安定」=「鼎立」を意味するものでしょう。
三権分立や三位一体、三者鼎立、鼎(かなえ)の3本の脚、
桃太郎と三者三様のキジ、サル、イヌというわけなのです。
ちなみに、確固たる「安定」を求めるのならば、東西南北、
四方分立が条件の “4”=“四天王” でしょう。
采配を振るうべき桃太郎を“ミコシ”の上の存在とすれば、
組織的には4人の担ぎ手=家来(管理職)が必要です。
企業組織体を例にとれば、総務部(人事・労務)、営業部
(生産・販売)、財務部(経理・運用)、情報部(企画・開発)の
4分立を表していると考えられます。
「ミコシを担ぐには4人いれば足りる」 ということでしょうか。
仮に、それを、桃太郎の場合に当てはめてみると、鬼退治
には総務的な要素=人事はすでに桃太郎自身がおこなって
いたので特段の必要はなく、キジの情報力、サルの計算力、
イヌの行動力があれば、十分に事が足りたのだと言えるの
かもしれません。
それでは、その辺りを、もう少し掘り下げて キビダンゴ を
分け与えるべき具体的な要素や条件を探ってみましょう。
つまりは、
情報の担い手として、ハトやワシやツバメなどを代表する
一般的な意味での トリ ではなく、何故に、キジ なのか
という点ですが、さらに言えば …
何故に、キツネやタヌキではなく、サル なのか
何故に、イノシシやネズミではなく、イヌ なのか
といった具合に、まだまだ追求、追跡の文面がつづきます
ので、残念ですがきょうはこれくらいにしておきましょう
それでは、次回の 『桃太郎の家来 <2>』 にて、
引き続き 透明人間2号 が独自の解釈も交えた上で、
それらをズボッと掘り下げてみたいと思います。
あくまでも、
根っからの地球人 エイドマン2号 で
あることの証明を賭して …
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