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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 メス猫

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改)』です。

 (以下、本文)

 

 2018年は戌年🐶です。

 古来からペットとして、あるいは狩猟の相棒
として深い関係にあった犬は人間の友達から
現在では、盲導犬、介助犬、救助犬、警察犬、
麻薬犬など日々の生活に欠かせない存在で
あるばかりか、人の心を癒したり病気の治療
などを目的としたセラピー・ドックとしてもその
活躍の場を広げていて、両者の関係は以前
よりも、さらに深いものとなっているようです。



 これはフェイクです。

 (新種でも奇形でもありませんよ)

 あたりまえやん

     
      (しょうもな ・・・)

 ところが、戌年を前に昨年末の業界団体の
調査発表では、そのペットの王様であるはず
の飼育数がを下回るという逆転劇
が起こったのです。

 の方が飼育に費用がかかるうえに、
散歩や予防接種など猫よりも何かと手間が
かかり、面倒であるというのも理由のひとつ
かと思われますが、たとえ、飼育数では
に負けても人間にとってが特別な存在
であることは、ダ・ヴィンチの時代も現代も
変わりはないように思われますが ・・・

 不思議なことにあれほど多種多様な素描
を残しながらもレオナルド・ダ・ヴィンチには
を描いたものがほとんどありません。

 躍動する姿態をあれこれ描いているのは
馬と猫ばかりで、かろうじて馬のデッサンの
なかにがいるのを見つけましたが、


     『騎兵、竜、馬、犬の習作』

 今のところ、これでしかを見ていません。


  『ダ・ヴィンチの猫?(動物)の素描』

 ひょっとしたら、

 この中にがいるかも知れませんが ・・・

 ところで、

 は聖書の中に合計で54回登場します。

    

 旧約聖書で45回、新約聖書が9回ですが
そのどちらの聖書の記述でもの扱いは
ぞんざいで、芳しいものではありません。

 犬好きにとっては実に由々しきことですが、
悲しいことに聖書の中の犬たちはその辺の
ごろつきやチンピラの如き存在なのです

 おそらくは聖書の時代のは野犬が多く
家畜や旅人たちにとって危険この上のない
動物だったのでしょう。

 同様に、日本でのことわざや慣用句でも
の評価は決して高くはなく、概して余り
いい意味では用いられてはいません。

 「飼い犬に手を嚙まれる」だとか、
 「負け犬の遠吠え」「犬死」とか、
 「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」等 ・・・

 尤も、

 「猫に小判」「猫糞(ネコババ)
 「猫の首に鈴を付ける」という具合
 
 で、の方も負けてはいません。

 但し、

 

 には、いい意味での「招き猫」
いう言葉が日本にはありますが ・・・



 さて

 54回と出番の多いに対し、の方は
どうかというと、

 まったくと言ってほど出番がアリマセン

 

  「そんニャー、あほニャー」

 旧約聖書および新約聖書を通じて、
登場するのはエレミアの手紙だけです。

  

 それも、たったの一行、

 「その体や頭の上を、こうもりやつばめ、
 小鳥が飛び交い、猫までやってきます」

 とだけ記述されているのみで、あとは影も
かたちもありません。

 エレミアの手紙はカトリック教会と正教会
では旧約聖書に含まれますが、ユダヤ教や
プロテスタントでは外典としての扱いとなり
ますので、聖書に猫は登場しないということ
になってしまうわけです。

 エレミアの手紙はバルク書(外典)の6章
にて、哀歌の後続の小編として偶像崇拝の
馬鹿らしさを伝える文脈のなかで、

 そこ(偶像のもと)に「猫までやって来る」
と偽のメシアや預言者を皮肉っています。



 見方を換えれば、いよいよ待ちに待って
いた「猫までが ・・・」というが如き
トリを受け持つ大物の登場のような扱い
でもあるわけです。

 「別格」ということでしょうか

 聖書の記述がないことを受けて
悪魔使いとか魔女化身説
を声高に唱えたのがカトリック教会です。

 中世の魔女狩りでは、悪魔
化身と見なされ、無惨にも殺戮
対象にされますが、聖書編纂時代には、
異教と結びつけられて、
(エジプトのファラオは頭に蛇の飾りをつけ
オス猫太陽神ラーの象徴)
として意識されていたわけです。

 そんな中で、


       『バビロン捕囚』

 エレミアの手紙はバビロン捕囚
となってバビロニア地方に拉致連行される
イスラエル(ユダ王国)の民に対する手紙
という形式で、かの地での偶像礼拝(崇拝)
の愚かしさや無意味さを一貫して指摘する
内容になっています。

 偶像は「生命を宿さず、歩けず、喋れず、
何も見えずに、何も感じない」としたうえで

 その無力で無能なただの塊に過ぎない
ものを畏れる者も、また嘲けられるものと
なるというのが手紙の主題(主旨)です。

 そうした脈絡のなかでの21節に ・・・

 「その体や頭の上を、こうもりやつばめ、
 小鳥が飛び交い、猫までやってきます」

 として、一見、「猫まで」と如何にも
を馬鹿にしているようですが、

   

       !!

 こうもりやつばめ、その他の小鳥たちが
何の畏れもなく偶像の上を飛び回っては
その体や頭の上に糞尿をまき散らすさま
をつぶさに目撃すれば、

 それらの像がでないことがわかる。

 そして敵対する悪魔(サタン)の使い
であるまでが安心して近寄ってくる。

 というような意味合いに因果を含めて
理解を求めているようなのですが ・・・

 前述のように、他方では偽メシア
到来を示唆する表現でもあるのです。

 ・・・ ということで、

 持ち越しになっていた猫の寓意

 それもとりわけ受胎告知の場面に
何故にが登場するのかについての
見解をここで披露したいと考えます。

 まずは、

 ロレンツォ・ロットのコミカルでユニーク
なシーンから見てみましょう。


   『受胎告知』 ロレンツォ・ロット

 受胎告知の使命を帯びて降臨した
大天使ガブリエルの気配を感じたが、

 (おいおい誰なんだ コイツ)



 とばかりに驚いて走り出す姿が躍動的
に描かれていますが、


 
 「やだぁ」と逃げ出すマリアのもと
に駆け寄ろうとしているシチュエーション
にはかなりの存在感があります。

       
      (ゲロゲロ ・・・)

 この場合に、

 一般的な解釈としては天使は霊的な
存在なので普通なら見えないのですが、

 が驚いて逃げ出したのは、
悪魔的な存在として見なされている
からであるとされます。


     (キモイ奴だニャー)

 続いては、フェデリコ・バロッチの


   『受胎告知』 フェデリコ・バロッチ
  up


  スヤスヤ  zzz2

   
           up_slow
 そして、ピーテル・パウル・ルーベンスの
『受胎告知』での zzz2 です。



 どちらも気持ち良さそうに眠っています。



 他にも、ガロファロやヤン・デ・ビアなどの
『受胎告知』にもが登場します。


    『受胎告知』 ガロファロ1528年


  『受胎告知』 ヤン・デ・ビア 1520年頃


 フェデリコ・バロッチには、『聖母の猫』
というズバリそのままの作品まであります。


   『聖母の猫』 フェデリコ・バロッチ

 幼い洗礼者聖ヨハネを見つめる猫の目に
警戒の色を感じるのは気のせいでしょうか。


  『聖母の猫』(La Gatta della Madonna)

 この右の猫の目は尋常ではありませんね。

 はてさて、古い伝承によれば、

 イエス・キリストがこの世に誕生した夜に
一匹のメス猫も子猫を出産したというような
言い伝えがあり、それが聖母マリアの象徴
になっているということなのでしょうか

 教会から疎まれ嫌われているはずの
は聖母マリアだけでなく、イエス・キリストの
足もとにも登場します。


 『エマオの晩餐』 フィリップ・ド・シャンパーニュ

 これらの絵画に登場するたちには
どんな意味が込められているのでしょう。

 先のキリスト誕生の夜に子猫を産んだ
というメス猫の言い伝えの根拠は乏しく、
この伝承に関する文献や出典は明らか
にされてはいませんが、それが本当なら
は聖母マリアの、子猫はイエスの
アトリビュートな存在であるということ
になりますが ・・・

 そんな話はとんと耳にしませんねnose7

 思うに、 

 そこに少なからざる影響力を及ぼして
いたのがレオナルド・ダ・ヴィンチである
推理したとするとどうなるでしょう。

 下のデッサン画は、


  『猫のいる聖母の素描』 1478-1481年
 
 『猫のいる聖母の素描』という
題名で、この他に聖母子とともに
いる素描をダ・ヴィンチは6枚描いています。

 イエスが誕生した夜の同じ時間に子猫を
産んだメス猫の伝説はあるものの、
一角獣や子羊や魚のように明確に聖母子
と象徴的に結びつくことはありません。

 むしろ、ロレンツォ・ロットのように悪魔の
シンボルとしての認知度の方が圧倒的に
高いわけですが、ロレンツォ・ロット自身の



 真実はその限りではありません。

 そこで、ある時期において、

 レオナルド・ダ・ヴィンチが聖母子
ともにを一緒に描いたデッサンを多数
描いていたというが各地域に広まった
と考えると ・・・

 この問題は解決します

 伝統的な因習としての寓意
踏襲するよりも革新的アレゴリーとしての
聖母子と猫の関係の方が斬新でモチーフ
としても挑戦的刺激的だと考える
画家が出て来ても不思議ではありません。

  

 問題は悪魔象徴と見なして
忌み嫌うカトリック教会からの追及を如何
にして躱(かわ)し逃れるかの一点です。



 それがキリストの誕生と子猫の誕生が
同日同夜の同じ時刻であったという古い
「言い伝え」としての「メス猫」
の話だったというわけです。

 こうして、

 アリバイができた画家たちの何人かが
勇気と意欲を掻き立てて聖母子
を描いたというわけですねpeace

 さらに、

 ダ・ヴィンチにインスパイアされた多くの
画家の中から数人の猛者がある奇妙
事象に気づきます。

 それが、

 ダ・ヴィンチのデビュー作品である



 『受胎告知』のなかに仕組まれた


                   up_slow
 三本指秘密です。



 それでは、その猛者なる画家たち
が描いた絵画を時系列的な事象の流れ
に沿って紹介しましょう。

 ラファエロ前派の一人、イギリスの画家
ジョン・コリアと『デルフォイの巫女』


   『デルフォイの巫女』ジョン・コリア

 バロック期のフランドルの画家である
P・P・ルーベンスと『最後の晩餐』


 『最後の晩餐』ピーテル・パウル・ルーベンス

 バロック期のフランス派の画家である
P・シャンパーニュと『エマオの晩餐』


 『エマオの晩餐』 フィリップ・ド・シャンパーニュ

 盛期ルネサンス期の三大巨匠のひとり
ラファエロ・サンティと『聖チェチリア』
 

   『聖チェチリア』ラファエロ・サンティ

 但し、

 彼らはその入口に気づいただけのことで、
中に入ったかどうかは知る由もありません。

 さて

 推論のための論理を集約すると、演繹
(えんえき)と帰納の二通りに大別される
『帰納法』の記事内で述べましたが、

 『ダ・ヴィンチの罠 帰納法』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/528.html

 演繹法は「Aだから、Bである」
という論理をつないでいく三段論法
な思考方法です。

 言わば、それには、

 大前提となるルールファクト
が必要かつ絶対的な条件となります。

 演繹法の欠点は正しくない、または適切
ではない前提を用いてしまうことですが、

 たとえば、

  

 この場合に、「悪魔の化身」
であるという前提にしましょう。

 この当時(中世からルネサンス期には)、
猫は悪魔の使いであるとされ、人間の罪
や悪徳の象徴として、カトリック教会から
は忌み嫌われていた存在であり、

  

 15世紀~18世紀のヨーロッパで盛んに
行われていた魔女狩りにおいて、
悪魔の手先で魔女が変身した動物として
殺戮の対象にされていました。

 でも、

 『受胎告知』でのを見る限りでは
そんな風には感じられませんね。

 しかしそれを、三本指など
に絡めて演繹(えんえき)したとすれば・・・



 「風が吹けば桶屋が儲かる」
の段階を踏んで、

 だから

 マリアイエスであるという結論
に達するのかもしれません

 要するに、 

 は、「悪魔の化身」であるとする
前提は、ここでは、演繹的にも、逆説的には
適切であると言えるのかもしれないのです。


 次回では、そんな前提の前提ともなるべき
三本指が描かれた絵画
ついての考察を予定しています。

 ところで、

 「メス猫とはお前さんなのか」

  

  「どうかニャ、わかんニャーい」





 てか

      
     (ネコ🐈丸出しじゃん)


   

       !!



 … to be continue !!



コメント一覧

おじゃま虫
投稿したあとで、直ぐに気づいたんだけど、言い出せなくて、幸いにも誰からも突っ込まれなかったのでスルーしちゃたのですが、このままいけるかなって、思ってたけど、やっぱ、バレちゃいましたね😢

でも、日本のアポロのアナグラムは、まだ生きてると思っていますよ!
タビーキャット
あのぅ・・・、パーフェクト・リバティーって、PLのはずですが、

甲子園で有名なPL学園のPL(Perfect Liberty)ですよね!

ココナンさんは知ってて、わざとイジワルしてるような!
おじゃま虫
それは「不文律」のコメントで江戸川ケイシさんから紹介のあったアナグラムなどを指すのでしょうけど、100%無関係だと断言できるものでしょうか?

きくらげさんの言う無意味なアナグラムが出来るのは確かですが、まずはココナンさんが言うように、新たな切り口や角度から検証する必要があると思うのですが。
きくらげ
だから、それはそういうつもりで探すから見つかるわけで、それと同じ数以上の無意味(日本語として通じても内容が意味不明)なアナグラムができるはずだよ!
おじゃま虫
でも、意味のあるアナグラムが出来るということだけでもスゴイと思いませんか?

それも臨場感をもって、一緒に進行するようにリンクするわけですから。
きくらげ
知的なパズルではあるけど、アナグラムを恣意的に解釈すれば、どうとでも理屈づけ出来ちゃうよ!

ケイシさんが言ってたように、無意味で無関係なアナグラムだって、いくつも作れると思うけど、わざわざ、そんなもの探す奴なんていないだろうから、いかにもなアナグラムだけが生まれることになるんだと思うな!
おじゃま虫
早速のレスポンスありがとうございます。

この場合のアポロは、日本の皇統に関係するので、アマテラス(天照大神)かと・・・

アポロは男神で、アマテラスは女神ですが、どちらも太陽神で、皇統維持の問題も男系、女系がテーマですよね!
ココナン
確かPRは、ケイシさんからのアドバイスだったような …

ところで、日本のアポロがパーフェクト・リバティだとして、おじゃま虫さんは誰をアポロだと想定してるんだろう?

スサノオノミコト、ヤマトタケル・・・
おじゃま虫
慌てて投稿しちゃったので追伸です。

アナグラムの最後のPRは、以前にココナンさんが説明していたルーベンスのイニシャルではなく、この場合にはパーフェクト・リバティの略です。
おじゃま虫
まだ途中なので、見当違いなことを言うのかもしれませんが、江戸川ケイシ様のコメントにあるように、計画して出来る謎じゃないと思います。

アナグラムにしても作りたい言葉や単語を探してきて繋げているだけのような気もしますが、

でも、それが、1年以上も経過してから、さらに別の新しい「スヌーピーの謎」として、つまり、系図に出てくる4人の女性と聖母子の絵にある窓や外の景色とアナグラムとの関係ですが、

それがまた、どこかのページで、むらさき納言さんが書いていた現在の日本の皇統の問題とも絡んでくるようで、JAPAN’S APOLLO PR のアナグラムは出来過ぎですよね!

なんだか、生意気にも、訳の分からないことを書いている自分が恥ずかしいので、この辺でやめようと思います。
愛犬マニア
やっぱりネコが好き!

「ネコ」という名前の雌犬を飼ってます。
ゴスペル999
性格に問題があった言うても、神話の中での話やで、むらさきはん、シンパシー前開やね!

感情移入が過ぎると判断が狂うてしまうで・・・
むらさき納言
ギリシャ神話の神々の中で好きなのは誰?
と訊かれたら、アポロンかヘルメスと答えていたと思いますが、

アポロンって調べてみると抱いていたイメージと随分違っていることがわかりました。

デルフォイでのアポロンの神託があまりにも有名だったからかもしれませんが、色男のくせに意外とモテなかったんですね!

ひょっとして性格に問題があったのかも・・・
江戸川ドイル
直接的には関係ないってことは、間接的にはあるってことだから、やっぱ影響されてるんだ!

アナグラムといい、画家のイニシャルにしろ、符合しているのは事実だし、アポロンってダヴィンチの罠の謎を解くうえでのキーパーソンかも・・・

少なくとも、現時点での最重要人物の一人ではあるね!
透明人間2号
更新の遅れをお詫びいたしますが、ポヨヨンさんとは直接的には関係ありません。

個人的な都合によるもので申し訳なく思います。

ただ、ココナンさんが見つけ出したアナグラムにおける
「アポロン(APOLLON)」の文字には衝撃を覚えました。

本編で紹介したジョン・コリアの『デルフォイの巫女』での三脚椅子に掘り込まれた三本指の肢とアポロンとは無関係ではないからです。

次回の内容については、謎の肢が描かれた絵画の考察を予定している以上、アポロンは避けて通れませんので、皆さんのコメントが気がかりであることは事実ですが、遅れは小生の都合によるものです。

「スヌーピーの謎」が存在するのか、はたまた偶然の産物なのか、の真実はわかりませんが、

更新記事については一両日中には仕上げたいと思っていますので、今しばらくお待ちください。
江戸川ドイル
かくれんぼ、終わってないって言ってたくせにせっかちなんだね。 ポヨヨンちゃんは・・・

かくれんぼを終わらせようと兄貴が四苦八苦してるけど、無関係な関係を探すって、悪魔の証明に似て、意外と難しいみたいで、うまくいってないようなんだ。

2号さんの更新がないのも、ポヨヨンちゃんのせいなのかな?
ポヨヨン
鬼ごっご、なかなか始まらないね!
江戸川ケイシ
実際に謎めいた事柄が進行している以上、謎が存在しないとは言えません。

ですから謎が存在しないということではなく、ポヨヨンさんが意図したような謎、つまり、最初から筋書きがあって、計画され仕組まれた謎ではなく、偶然の産物的な副次的なものではないかということです。

それを証明しようとして足搔いているのですが、もう一歩のところで挫折の憂き目を見ているのが現状です。

でも、確信めいたものを感じるのです。

こんなこと計画して出来るようなものじゃないですから!
ココナン
パブリックドメインさんの言いたいことは、聖母マリアに対するものですか?

それとも、使徒ヨハネ、あるいはもっと別のものなのかな?

連想ゲームということは、スヌーピーの謎など存在しないとケイシさんは考えているのですか?
江戸川ケイシ
つまりは、そういうことなのでは・・・

パブリックドメインさんが色々と連想したように、

連想ゲームなんですよ。 ポヨヨンさんのつぶやきは・・・

誰かが言ってたように、ノストラダムスの4行詩のようなもので、どうとでも解釈できる、要は、読み解く側の恣意的な付会が可能なように曖昧な表現にしてあるわけで、みんなそれに踊らされているだけのことかもしれないのです。

確かに様々な事柄が一見符合しているように見えますが、そんなに都合よくいくものでしょうか?

アナグラムにしても、願望がそれを作り出したとは言えないでしょうか?

それを確かめるために、今、別のアナグラム的なものが出来るのではないかと悪戦苦闘しているわけですが、その尻尾が見えそうなところまで来ています。

これがもし、まったく無関係な内容ならば、単なる絵空事であったと言える傍証になるわけですが、もしも、密接に関連する内容であったならば、セレンディピティやシンクロニシティが実際に起こったと判断してもいいのかもしれません。

でも、まあ、その可能性は多分に低いと思われますが・・・
パブリックドメイン
メス猫というタイトルは、どうかな?
マイナスイメージだよなぁ。

「このドロボウ猫!」とかって叫ぶ場合は大抵、浮気した女性相手に対する罵声だし、猫なで声や盛り猫の声もメス猫を連想してしまう。

ということは ・・・ !?
ペテロ爺さん
『帰納法』のコメントにも書いたが、猫は
誰かの上にも下にもならんのじゃ、ある意味で「天上天下唯我独尊」の存在じゃ!

世話をしてもなつかずに、裏切られたの思うのは人間の勝手な思い込み、彼らには人間などどうでもいいのだ。

ただ、そこに自分の世界があるだけだから、聖書に猫が登場する必要も謂われもないだけのこと、

その意味では、確かに「別格」は「別格」なんじゃが、それだけのことなんじゃ・・・
むらさき納言
希少価値云々もそれなりですが、聖書の中に「みだりに猫を登場させてはならなかった」というのは面白い見方だと思います。

それだけ「別格」で、且つ、ローマンカトリックに敵対する者の象徴、あるいは存在であるがゆえに、魔女狩りの口実や対象になった、とも言えますしね。

今後のきくらげさんの推理、楽しみにしています。
きくらげ
ブログの記事と謎が同時進行してるんですね。
面白いと思います。

聖書に猫が一度しか登場しないのは、その一回に価値と意味を持たせるためかもしれません。

犬のようにたびたび登場していたのでは希少性が薄れるというか、「十戒」にある神の名をみだりに唱えてはならないように、猫をみだりに登場させてはならなかったのです。

本文中にもあるように猫は「別格」だった可能性もあると思います。

新参者が生意気ですが、そんな気がしたのでコメントさせていただきました。
むらさき納言
分からないことをいろいろと思案しても始まりません。

そこに謎がアリ、それに興味があって、しかも、その謎がすでに完結しているものではなく、まだ解かれずにいるものなら、解いてみたくなるのが人情です。

最初はポヨヨンさんことが気になり、あれこれ詮索しましたが、ココナンくんにたしなめられてからはやめました。

現実にアナグラムが2つ出来て、それが相互に無関係ではなさそうですし、ブログの記事(ダ・ヴィンチの罠)ともリンクしそうで、今後の展開とスヌーピーの謎との両方が楽しめて、知的好奇心で満たされています。

正直、みんなに出し抜かれてばかりで、アップアップ状態ですが・・・(^▽^;)
江戸川ケイシ
ずっと何かが喉に引っかかったままの感じなのです。

2号さんも言っているように、こんなことが現実に起こり得るのでしょうか?

スヌーピーの謎やアナグラムにしても計画して
実行できるような内容でしょうか?

もしも、アナグラムをココナンさんが解かなければ、どうなっていたのでしょう?

現実に符合しているのは事実ですが、こんなこと予定して、その通りに進行できるものでしょうか?

かといって、シンクロニシティとか、セレンディピティとなると、それもまた、疑わしいというか眉に唾をつけたくなります。

でも確かに、何かが蠢いていて進行していることは否定できません。

そして、それがポヨヨンさんと無関係ではないことも事実でしょう。

ポヨヨンさんが何者なのか、詮索すべきないことは承知していますが、2号さんも振り回されているようで、どうにも気になる存在です。
むらさき納言
悪魔のように吠え捲くる番犬もいれば、天使のような安らぎをくれる猫もいます。

相対的というか、絶対的な善も、絶対的な悪もないんだと思う。

ダヴィンチの罠も、突き詰めればそんな感じかな?

白黒つけるそんなタイプじゃない気がします。
きくらげ
「犬と猫」のページから、ちょくちょく覗いてたんですけど、謎解きがすごくてコメントできませんでした。

なんとなくですが天使と悪魔って、犬と猫って感じです。

振舞いや何かが、漠然とそんな感じ・・・

犬は人なつっこい天使だし、猫は愛くるしい小悪魔ってとこかな!?
むらさき納言
逆説的には・・・ と断りを入れていますが、
猫は「悪魔の化身」で、マリアもイエスも猫であるということは、マリアもイエスも「悪魔の化身」ということですよね!

悪魔の概念次第ということでしょうか?
江戸川ドイル
急かさないでよ。 ポヨヨンちゃん!

かくれんぼ、終わってないって言ってたじゃん。

それって、スヌーピーの謎はまだ解決してないってことだよね!
ポヨヨン
鬼は待ってくれないよ!

かくれんぼの次は鬼ごっごだよ!
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