このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
古代ギリシャの哲学者プラトンは自らが
主宰する学園アカデメイアの入口に
「幾何学を知らぬ者は
この門をくぐるべからず」
との文言を掲げていたそうですが、
『アテナイの学堂』でのプラトン(ラファエロ画)
幾何学が自然や感覚に頼るのでは
なく思惟によって知ることを訓練するため
の必要不可欠なるもので、
天文学が頭上にある天体の運行
などに纏(まつ)わる周期的秩序の解明に
に始まる「時間的学問」だとすれば、
幾何学は足下に広がる地球大地
の形態秩序の探究と解明に始まる
「空間(次元)的学問」だと思われます。
幾何学(Geometry)と言うと、なんとなく
平面(2次元)世界を思い浮かべますが、
実質的には、3次元ユークリッド空間として
の3次元の立体(空間)幾何学から
3次元非ユークリッド空間を経て、
メビウスの帯(輪) wikipedia
トポロジー 「位相幾何学」や
「多次元幾何学」へと進化発展していく
わけです。
位相幾何学 連続変形 wikipedia
そこで、
「幾何学とは いったい何だ」
ということになるわけですが、
非常にゆるい意味で言えば、自然の力では
絶対に作れない人工的なかたち(自然界には
存在し得ない思考上の形態=造形物)であり、
イデア(真実在)やイデア界(天上界)とも
微妙にして、密接に関連する問題を追究する
学問であるとも考えられます。
・・・ って、
(ちっともゆるくねえじゃん)
「人間は自らの世界を知りように応じて識る
ことになるわけですが、問題はその知りよう
にあって、あたりまえに思えることがすべて
イミテーションである世界も在り得るのです」
カオス(混沌)なる無秩序(序幕)に始まり、
イデア(真実在=サムシンググレート)の
意識とともに、ロゴス(宇宙論理)による
「時間」と「空間」と「次元」の創出と
原子の創造へとつながる第一幕から、
エトス(地球倫理物質の出現と生命
の誕生および人類進化)としての第二幕
における「場」や「景」を現在、絶賛
観劇中ですが、
この辺りの意味が不明の方は、
『ダ・ヴィンチの罠 核融合』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/502.html
に詳しいのですが、さらには、
『ダ・ヴィンチの罠 ロゴス』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/499.html
『ダ・ヴィンチの罠 想像力』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/500.html
『ダ・ヴィンチの罠 真善美』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/501.html
などを参照してみてください。
それは、まるで、
破壊を前提にしたような創造にあって、
『ウィトルウィウス的人体図』
に投影された「時空間」と「次元」の共演を
演出する『最後の晩餐』での最重要
とも言える幕(時空間・異次元)を2次元の
壁に創出しているわけです。
たとえば、
0次元の点や1次元の線を見ることができる
のかと言えば、答えは「No」ですね
冗談じゃない。
「点や線なんて、すぐ見せてやる」
と紙に点を打って、線を引いたとしましょう。
どんなに小さな点にしても面積があるし、
線も幅があるから異様に細長い長方形
じゃないか、と反論されるわけです。
そうです。
厳密に言えば、0次元の「点」や1次元の
「線」も見ることができないものなのです。
視覚的には、幅がないと「点」も「線」
も見えないけれど幅があったら、もうそれは
「点」でも「線」でもないのです。
但し、そこには、0次元の、1次元の、という
指定要件となる前提がついた場合のことで、
我々が見ることができるものは、すべてが
想像物であるところのイデア(真実在)の影
であるとするのが「イデア論」の根底にある
考え方なのです。
それは、
三角形のイデア www.kyamaneko.com
2次元の「面」である三角形や四角形でも、
3次元の「立体」である球体や立方体でも
それは同じことなのです。
要するに、
想像するしかないわけで、それを思惟に
よって訓練するための必須不可欠なる
ものが「幾何学」であるとプラトンは
考えたわけです。
さて、
「次元」とは、基底ベクトルの数、
仮に、そのベクトルが方向だとすれば、
0次元空間 (上下、前後、左右などの
方向がない世界)
1次元空間 (上下または前後や左右
だけの世界)
2次元空間 (上下と左右や前後左右
だけの世界)
3次元空間 (上下と前後左右 または
縦・横・高さのある世界)
4次元空間 (縦・横・高さともう一つの
方向があるような世界)
それを図にすると、
出典:www.5f.biglove.ne.jp
ということになりますが ・・・
これは空間に関しての「次元」であって、
これに時間を加えた「次元空間」という
ものが存在します。
つまり、
我々の住む世界は、「3次元空間」に
あるのですが、時間の介在によって 我々の存在
は「4次元時空」に在るわけです。
解りずらい方はこのように考えてください。
絵画やマンガに例えて言えば、
写真や絵画やマンガは「2次元空間」
で映画や動画やアニメが「3次元時空」
ということになります。
たとえば、
「4次元空間」における立方体は
四次元立方体図 d.hatena.ne.jp
このような形態であると想像されますが、
但し、
これはある瞬間においての一つの形態
に過ぎず、その実状は変化・流動しながら
四次元立方体 wikipedia
立体面を透過する多面体であると想定
されています。
要するに、
次元空間に時間の要素が加味された世界が
次元時空であり、ダ・ヴィンチの絵画の大半は
何らかのかたちで次元時空における実験的な
試みがなされていると思われます。
そして、
『最後の晩餐』でダ・ヴィンチは視覚に
訴える多元的で複合的な「3次元時空」
の世界を表現しようとしたわけで、この壁画
を時空劇と呼ぶ所以は、そこにあるのです。
同時にそれは、視覚だけに依るものではなく
思考実験による多次元的な模索、
四次元立方体 d.hatena.ne.jp
すなわち、ダ・ヴィンチ流の幾何学的な
応用があって、自然の持つ黄金比との融合
と錯視(イメージの錯誤)との共演であるとも
言えるのですが ・・・
それでは、それを前回の
『ダ・ヴインチの罠 再発見』での
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/510.html
「ウィトルウィウス的人体図」
で見てみましょう。
こうして、大小二種類の人体図を見ていると
なんとなく両手を羽ばたかせながら 空中に
浮かんでるような錯覚に襲われませんか
それを反転させると
「回れ右」をして歩き出しそうですし、
反転させたウィトルウィウス的人体図
中央を境に真ん中から左右にそれぞれ反転
させた画像では女性的な顔の男性的な身体と
男性的な顔をした女性的な身体とが互いに
チグハグで、そのアンバランスなミスマッチが
パラパラ漫画やアニメーション的効果としての
オーバーラップ(二重写し)を見せています。
この回転する人体図は、いかにも作為的で
あると思われるので、注釈を入れませんが、
ダ・ヴィンチは透視図法だけでなく、構図に
黄金比率を組み入れるなどの多くの数学的
要素を絵画のなかに取り入れています。
「自分の芸術を真に理解できる
のは数学者だけである」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
このことを鑑みれば、
科学的視点をもって主観を排し、客観的に
3次元の空間を2次元の平面に
「3次元時空」として表現をしよう
と試みていた証左であると思われますが
その意味から言えば、
『サスケ』(作画 白土三平)に出てくる
分身の術は、
素早く移動することで起こる錯視としての
残像を利用する技(術)であり、
出典:ameblo.jp
2次元空間(漫画の誌面上)において
出典:blog.goo.ne.jp
3次元時空を想定しているわけで、
出典:ameblo.jp
「ウィトルウィウス的人体図」
が分身の術と同じ効果を演出する
ものであると直感したのも同じ理由からです。
「ウィトルウィウス的人体図」
は、その名の通りにウィトルウィウスの理論
(すべての構造は円と正方形を操る行為で、
人体は理想的な比例関係を保っている)を
図式化(人体の中心にはへそがあって、
その部分にコンパスを置いて円を描くと
指先と爪先が円に内接し、足底から頭頂まで
の長さと広げた両手の長さを比べると正方形
の如く等しいとの説を図解)したもので、
この場合の半径(へそから下)の長さと両手
を広げた長さの比率が、1 : 1.618 ≒ 5:8
いわゆる、黄金比率となるわけです。
ギリシャ人は、
神々の意思は造形物に現れている。
ギリシャのパルテノン神殿
よって、理想的な人体が存在し、人体の
各部位には理想とする比例関係があり、
建築学とは、人と神々の意思を明らかに
して、人工物と神的なるものを結びつける
ものであるとの認識をもっていたのですが、
フィボナッチ螺旋と数学者フィボナッチ
建築家でもあったダ・ヴィンチが、そのこと
に触発されないわけもなく、同じ名前を持つ
中世で最も才能があったと評されるイタリア
の数学者レオナルド=フィボナッチの有名な
数列に魅力を感じないはずはないのです。
1.1.2.3.5.8.13.21.34.55.89・・・
ちなみに、
フィボナッチは愛称(ボナッチの息子の意)で、
本名はレオナルド・ダ・ピサ(ピサのレオナルド)
といいます。 (親はグリエルモ・ボナッチです)
19世紀の数学史家リブリの誤用から広まり、
それが定着してしまったようですが、
フィボナッチの方が断然いいですね
ピサ数列やピサ螺旋だとピサの斜塔
に関する数列や螺旋階段の数式かと勘違い
をしてしまいそうですし ・・・
ところで、先に、
「幾何学」を自然界に存在しない人工的
な思考上の形態について、その法則性、公理、
公準などを試錐(ボーリング)するように深く
掘り下げて思惟する空間的な、あるいは
次元的な学問であると述べましたが、
その対極にある自然界に君臨する
黄金比を構成するフィボナッチ螺旋や
フラクタルな自然界の形状は、
フィボナッチ数列が示唆するような
1.1.2.3.5.8.13.21.34.55.89.144
「(前の)二つを(次の)ひとつ」とする
含意と「すべて(のモノ)はひとつ」に
収斂・統合されるべき部分と全体を
持つ「自己相似」を形成し得るとする
思索を経て、
遂に、自然の領域にまで進出する
「フラクタル幾何学」を創出します。
ダ・ヴィンチにそうした自己相似性や
「フラクタル」といった概念があった
ことは、彼が所持し続けた『モナ・リザ』
や『聖アンナと聖母子』をみれば、
『聖アンナと聖母子』『モナ・リザ』『洗礼者聖ヨハネ』
あるいは、『糸巻き(糸車)の聖母』
といった作品にも、その前景や背景から
それとなく窺い知ることができると思います。
いずれにしても、
ダ・ヴィンチのこうした数学的な空間認識が
「射影幾何学」の道を拓き、今日に
おけるCG技術に活かされているわけで、
『最後の晩餐』が時間と空間と
次元の存在を十二分に意識した
作品であることがわかると思います。
やれやれ、
今回もまた、大幅に予定とは異なる展開に
終始していまいましたが ・・・
「ウィトルウィウス的人体図」
が、人類の創造における男女の雛形でもある
神々の姿を模した人型モデルとしてのもので、
且つまた、3次元の時空を意図して
描いたものであったとするならば、
『最後の晩餐』における疑惑の
ナイフを握りしめるヨハネの右手は、
4次元空間からの射影を激写した
3次元時空における幻影的存在
としての投影画像なのかもしれません。
さて、次回では、
その辺りの検証を、「黄金比」の謎と
合わせて精査してみようと思います
例によって、「ピサの斜塔」の如くに
予定が傾かないことを願っていますが、
はてさて、どうなることやら・・・って
ド、ドーン
「な、何じゃ、この傾きは !!」
「うっ、目がまわる」
こ、これは、
「ピザとシャトー・ロールの所為か」
「ピザとシャトー(ワイン) !!」
ピサの斜塔 ・・・
「飲み過ぎですョ」
では、また、
マグダラのマリア
… to be continue !!
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パンドラの箱 wikipedia
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出典:www.5f.biglobe.ne.jp
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アンドロメダ銀河 天の川銀河