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エフエム青森 毎週日曜日朝9時~放送「あいことば」の情報。
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青森空襲展

2009-07-28 11:20:29 | 母ちゃん話
7/28まで青森中央市民センターで開催中の「青森空襲展」に
子ども達を連れて行ってきました。

何故か?息子のリクエストにより・・・。

中央市民センターの歴史漂う建物と、曇天模様の薄暗さ、クローズ間際の静けさの中、息子は熱心に熱心に一心不乱に実物大の爆弾の模型を観察していました。

なんだか怖い。。。。

爆弾のどの部分に爆薬が入っているのか?
戦闘機のどの部分から爆弾が落とされるのか?
熱心に私に質問しては「戦争は悲しいことだ」と言っていました。

母ちゃんは暗い気持ちになって帰りたいのにもう少し見たいと何度も爆弾に戻る。

なんだか将来が怖い。。。。


さてそんな中、展示物の中にあったのが「旧油川小学校の廊下の銃弾の跡」
銃弾の跡の周辺から切り取られた廊下の一部が展示したあったのです。
娘はその穴に指を突っ込んで「かあさん、アナ?穴?あな?」と聞き返していました。

そうです私は青森市の油川出身。
旧油川小学校は私がピカピカの一年生としておよそ1年だけ学んだ校舎なのです。
木造の建物でその頃から古ぼけて薄暗く怖くて、開かずの扉や落ちたら底なし?とかいう噂の池が校内にあって新入生を迎えるのにふさわしくない校舎でした。
ちょうどその頃日本海中部地震があって、机の下に隠れたものの私のクラスの田村君の真上の天井が落下し天井内からゴミや鉛筆なのが降ってきたことも鮮明に覚えています。
地震がおさまり廊下にでると廊下の壁はボロボロに崩れ、階段が瓦礫の山でした。
・・・と、その校舎には銃弾の跡もあったのでしょうね。

油川は戦争当時、飛行場だったとか墓場だったとか聞いたことがあるような・・・。
中学校時代は側溝の工事をしていたら地中から頭蓋骨がたくさん見つかったこともありました。
・・・と、、またも話がそれましたが、昨日青森空襲展を見に行って私も深い想い出の中に紛れ込んだのでした。



哀しい記憶。哀しい現実。その現実の上に今という現実がある。
爆弾や戦闘機に興味ある危険な息子はさておき、なかなか意味のある時間でした。

最後に、明らかに息子はカブトムシより戦争に興味があったというのだけは確かでした。

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