まったりブログ

日記であったり、趣味の小説書いたりしようかなと。。
でも更新頻度は不明だからまったりと♪

セレクションと約束事

2022-01-07 15:17:54 | 日記
九州のクラブチームのセレクション。
当時有名なサッカー雑誌に載せていた上、将来のJリーグ入りを目指すと書いてあったため応募はかなりあったようだ。
僕は当日入りでは間に合わないため前日からセレクション会場近くに宿をとった。
ビジネスホテルだったが、僕と同じように前日入りしている人もかなりいたようで、ホテルから出発し歩いているといかにもこれからサッカーをやりますといった格好をした人が同じ場所に向かって歩いていることに気がついた。
それぞれがほとんど知り合いもいない見知らぬ土地でのセレクションで、みんな何を思いどんな決意でここに来ているのだろう。
そんなことを考えていたら自分自身も軽い気持ちで来た訳ではない。
必ず合格して自分自身の将来の道を自分自身で切り開いていく。
会場に向かって歩いているだけで気持ちが昂っていくのが分かった。

セレクション会場に着くと受け付けで身分証明などを提示しゼッケンをもらう。
行くとすでにゼッケンごとに組分けがされていてセレクションが始まるとすぐにゲーム形式でスタートする形となっていた。
本来ならば今回のセレクションは午前中はゲーム形式ではなく、持久力やその他もろもろのスポーツテストのようなものが予定されていたが、当日は雷注意報が出ていて予定を繰り上げ最初からゲーム形式で行うことになったようだ。
走らされて疲れるより、ゲームで走って疲れるほうがいい。
僕にとってはラッキーな内容となった。
各自が開始時間まで準備をしストレッチなどを行っている。
そんな時に僕はみんなが着ているユニフォームを見て驚いた。
Jリーグのユースチームのユニフォームを着た人が何人もいる。
数えただけで3チームはいた。
九州だけに限らず全国から来ている有名高校のユニフォームを着た人も何人もいた。
ネームバリューで覚えられやすい。
そんな利点もあると思う。
もしかしたら周りを萎縮させる狙いもあったのかもしれない。
こんなメンバーの中でよくセレクションを受けれることになったなとは思ったが、僕は萎縮するよりもこのメンバーでチームを組んだらどんなサッカーが出来るんだろうとワクワクしていた。

セレクションが始まる前に全員が1ヶ所に集められ説明を受けた。
その時初めてこの場にいる人数が220名であることを知った。
そして午前中の選考で50名前後とし、最終選考で5名程度に絞ると告げられた。
1日で220名から5名が決まる。
その日の調子の良し悪しとかは言っていられない、まさに一発勝負の一日となった。
組分けされたグループごとに分かれ試合をするコートへと向かう。
グラウンドがかなり広くサッカーコート3面をとり11vs11でのゲームが行われていく。
各選手持ち時間は20分前後と決められグループ内でどんどん選手を入れ替えながら試合をしていく。
時折順番をごちゃ混ぜにしながらゲームを行うため毎回同じメンバーとばかりにはならないようになっていた。
そしてコートの中や外。いたるところに試験管の人がいて試合を見ながらペンを走らせ書きこんでいた。
僕は希望ポジションでMFを選択していたが、ここ最近ずっとやっていた真ん中のポジションではなく左サイドを任されることとなった。
中学の時にも経験はしていたしポジションとしては全く問題はなかった。
そして特に緊張もなかったせいか、与えられた出場時間の中で交代するたびにアシストか得点をあげることが出来た。
メンバーが良かったおかげもあると思うが僕は目に見える結果を残すことが出来午前中の部を終えた。

午前中全ての予定が終わりしばらくすると午後からもセレクションを行えるメンバーが発表された。
有名高校の選手やJリーグユースチームのメンバーも落ちていく中僕は奇跡的に50名の中に含まれ午後からもセレクションを行えることとなった。
午後からもゲーム形式は変わらないが内容は午前よりもはるかにハードだった。
ゲーム形式は変わらないが30分1本のゲームを相手を変えながら行う。
そして全試合が終わると予定にはなかったセレクションを受けたクラブチームとの試合も入れられた。
このクラブチームとの試合では20人だけが選抜されたため実際ここで落ちた人も30人いた。
そこでもなんとかくらいつき僕はまだ残っていた。
正直受かることはないし、通用しないかな?
そんな風にも思っていたが、セレクションを受けてみるとうちのチームのメンバーのほうが動きがいいなと思うこともあり気兼ねなくプレー出来ていた。
そしてクラブチームとの試合。
正直レベルの高さに驚いたのと急造チームで意図が分からない部分もあり難しい試合となった。
結果は完敗だった。
こんな内容で最終選考の5名を選べるのかな?
そう思っていたが、試合後すぐに5名が発表された。
220名の中のわずか5名。
僕は合格していた。
正直驚いたが意外に冷静な自分もいた。
合格と同時に親との約束事を思い出していた。
最終選考で選ばれた5名は夏休みを利用してここでチームの合宿に参加しその合宿で1名~3名程度をチームに加入させることが決まっていた。
僕はもしも自分がその最終選考まで残った場合、合宿に参加するまでに最近頻繁に起きている病気を何かはっきりさせて治療する。
それが出来ないならその先には行かせられないと親と約束していた。
原因が分からず倒れる息子を心配してのことで僕も怖さがあったため納得してセレクションを受けにきてはいたが、結局セレクションから帰り合宿が始まるまでに何が原因かも分からず僕は合宿を辞退した。
このセレクションを辞退したことで実質僕はプロになりたいという子供の頃からの夢を諦めることとなった。


一抹の不安

2021-12-27 14:38:12 | 日記
セレクションまで残り1ヶ月をきっていたある日の学校での出来事。
授業中にトイレへと行きたくなり授業を抜け出しトイレへと行った。
みんなが授業を受けている中、堂々と教室から出ていける解放感は嫌いじゃない。
用を足し手を洗っていた時のことだった。
何の前触れもなく突然胸が苦しくなった。
正直この時の記憶は胸だったのか心臓だったのかは定かではないところだが、突然苦しくなり周りの景色の色が黄色か黄土色がかったような色へと変わっていき目眩がしたからかその場に立っていられなくなりトイレの床へと倒れこんだ。
倒れこんでから心臓の鼓動がめちゃくちゃ早くなっていたことにも気がついた。
何が何だかわからないがとにかく苦しい。
僕はその場から10分くらい動けなくなっていた。
実際には長く感じていただけでほんの数分だったのかもしれない。
それでも倒れてから心臓の鼓動が通常くらいに戻るまでの間はかなり苦しくとてつもなく長く感じた。
授業中のため誰もトイレにくることもない。
助けすら求められない状況の中で僕はただ苦しくこのまま死んでしまうのでは?
そんな恐怖にすらおちいっていた。
幸いにも10分?くらいでおさまり立ち上がれるようになると今までの何もなかったかのような状態へと戻ったため僕はこのことを学校では誰にも話すことなくそのまま教室へと戻っていった。

教室へと戻り席についてからしばらくは放心状態に近い状態でさっきの出来事を考えていた。
今まで一度だってあんなことになったことはない。
たまたまそうなっただけなのか?
それなら今後も気にする必要はないが、たまたま突然あんなことになるものなのか?
セレクションを間近に控え、自分自身の今後の運命を左右するかもしれない大切な時期にこんなことになるとは。
もしかしたらセレクションを控え気持ちがナーバスになりストレスからこうなってしまったのかもしれない。
最初はそう思うようにした。
でも実際には一度きりで終わりはしなかった。
セレクションまでの1ヶ月弱で3回。
同じような症状が起きてしまった。
家での自主練中。
そして学校帰りの自転車の運転中。

さすがに不安になり僕は親にも事情を説明し病院へと行った。
何か体の中で異変がある。
早く治してセレクションに専念したい。
その気持ちが大きかった。
病院へ行き診察をし、検査もいくつか行ったが、結局その時には原因にたどりつくものは何一つ分からなかった。
病院の先生によれば、症状が起きている状態でないと詳しく調べようがないと言う。
かなりの不安を抱えながら僕はセレクションを迎えることとなった。


やるべきこと

2021-12-24 11:14:49 | 日記
セレクションを受けることに決めてからはまたサッカーに集中する気持ちが強く芽生えていた。
リーグ戦でもこれまでとは集中力が違っていたからか、細かいミスもあまりしなくなりプレーも去年のリーグ以上のプレーが見せられるようにもなっていた。
スタメンの半分がチームを去り自分自身がチームを引っ張っていく。
そういう気持ちが芽生えたのもこの頃からだったと思う。
セレクションを受けようと考えたら今のリーグ戦と自主練だけではとうてい足りない。
僕は思いきって他の社会人チームの人に話かけいくつかのチームで練習にだけ参加させてもらえるようにした。
自主練では絶対に補えない対人プレー。
どうしてもそこはしっかりやっておきたかったので、曜日ごとに参加するチームの練習を変えていきながら更に技術面も磨いていった。
この頃には高校の部活でやっていたバスケも完全に引退したためサッカーだけに専念出来る環境も整っていた。

セレクションを受けたいと思ったチームは一つだけだった。
僕はこのセレクション情報を知りすぐに応募した。
注意書きに人数があまりに多い場合は書類選考も行う場合があるため場合によってはセレクションに参加出来ない可能性もありますとあった。
中学、高校と学生としての実績はまるでない。
自分自身のサッカー歴を詳しく書けば大半は社会人チームのことを書くしかなかった。
そのため書類選考となれば落選もある。
それも覚悟での応募だった。

応募してから1ヶ月くらいだろうか。
セレクションを受けたいチームからの通知が来ていた。
内容は。。セレクションへの案内だった。
日付や場所、選考内容など詳しく記載されているものが送られてきた。
ようやく自分を試せる。
このチームにたくさんの人がセレクションを受けにいくことは分かっていた。
当時人気のサッカー雑誌にデカデカとセレクションを行う旨を書いていたし、何より今は九州リーグに所属していますが、今後のJリーグ入りを目指すチーム作りをするためセレクションを実施するとある。
これ読んで興味が湧かないわけがなかった。
セレクションは夏休み前の最後の週末に行われる。
僕の人生を左右するかもしれない戦いが始まろうとしていた。
セレクションまで残り1ヶ月。


それから 2

2021-12-20 14:37:05 | 日記
試合前や試合後、それ以外の時でこんなに大勢のチームメイトと会話をしたのはこのチームに入って初めてのことだった。
酒に酔ってきていたチームメイト達は昔話にも華が咲き、高校当時の全国に行った時の話や遠征先での強豪校との試合の話など、僕からしたら羨ましい話でしかないような内容だったが、聞いているだけでもとても楽しかった。
1時間くらいが経過した頃だろうか。
一人のチームメイトが僕の隣の席へと移動してきて話かけてきた。
僕からしたら憧れでもある大学でも大学日本代表選抜としてやっていた人だ。
「この2年でめちゃくちゃうまくなったね~」
お世辞でもこの人から言われるとめちゃくちゃ嬉しい。
「うまくなった実感は全くないです。チームメイトうますぎなんで」
そんな話から始まり話題はすぐに進路へと変わった。
「大学行くの?」
「いや、大学は行かないです。多分就職します」
この頃の僕はサッカーで試合に出ることくらいしか真剣に考えていなかったため自分の進路は全く決めてはいなかったが、大学に行くという選択肢は最初からなかった。
「高校サッカーやってたらまた違う道に行けてたかもなのにもったいないよね
どういう意味かその時はよく分かっていなかったが、とりあえず今のチームでやっていることがもったいない。
その時の僕はそんな解釈の仕方をしたように思う。
「このチームのレベルの高さは分かってるんで今のチームで満足してますよ」
僕がそう答えたら
「確かにうちのチームはわりと強いよ。でも所詮は趣味の延長のチームだよ」
「もしこの先もサッカーをやる気があるのなら大学行って高いレベルでサッカーやるか、社会人になるつもりなら強いチームのセレクションとか受けてみたら?」
進路のことなど考えてもいなかったし、社会人になってもこのチームでサッカー出来るからと、他でどうこうという考えは正直全くなかった。
でもこの時初めてもっと高いレベルというものに興味を持ち始めていた。

新シーズンを迎え市内リーグも始まっていた。
スタメンの半分はチームから去ってはいたが、飲み会効果もあり新たにメンバーも増え、しっかりとした経験者も数人入りチームの人数は以前よりも逆に少し増えていた。
それでも前のシーズンまでとは違い、チーム力は格段と落ちてしまい市内リーグでもなかなか思うような試合が出来ないでいた。
1戦目、引き分け。
2戦目、負け。
3戦目以降は新たなチームメイトも少しずつ慣れ、チームとしては敗けはしなくなったがそれでも自分が望むサッカーが出来なくなっているのも事実だった。
そして2戦目での負けが僕がこのチームに入ってから初めての公式戦での負け試合。
リーグ戦だから切り替えればいいだけだが、負けたショックからか、思うようにいかないサッカーになっているからか自分自身のプレーも下降気味となっていた。
チームメイトから単純ミスが多すぎると注意を受けたこともあった。
チーム力の低下が自分自身のパフォーマンスの低下では全く意味がない。
誰のためにサッカーをやっているのか?
それでも僕は強いチームの中でどれだけのことをやれるのか試したい気持ちになっていた。
「セレクションを受けてみたら?」
あの言葉がずっと引っ掛かり日々悩む。
自分にそんな資格があるのか?
高校サッカーすらやっていないのに?
でも自分を試したい。
こんなことをずっと考えながら日々を送っていた。
そんなある日のリーグ戦。
たまたま試合を見に来ていた中学の同級生から話を聞いた。
「あいつセレクション受かったらしいよ」
他県にあるクラブチームで前に決勝で戦ったチームと同じ中国リーグに所属するチームのセレクションを受けて合格したという話を聞かされた。
誰かが受けたからとかでは決してない。
でも背中は押されたかもしれない。
とにかく自分を試したい。
僕の気持ちは固まった。


それから

2021-12-17 14:35:37 | 日記
県NO.1チームという実績を手に入れ、市内リーグではこれまで以上に個人個人へのあたりが厳しくなっていた。
このチームを倒せれば自分達のチームも県の上位にいける。
そう思われていたかは分からないが、とにかく対戦するチーム全てが闘志剥き出しで勝ちにきていることが伝わってきていた。
それでも市内リーグでは無敗を誇っているうちのチームは簡単にはやられない。
それどころかみんなレベルの高い大会を経験し更に成長しているようにすら思えた。
自分自身もあの大会からいつもの市内リーグに戻った時には相手チームの力の差をかなり感じた上、相手のあたりが厳しくても余裕をもってプレーすることが出来ていた。
その結果、市内リーグは2年連続全勝優勝。
そして自分自身はFWの選手を差し置いて気付いたら市内リーグ得点王となっていた。
10番を背負っての2年目のシーズン。
県大会優勝。
市内リーグ優勝。
市内リーグ得点王。
まだ高校2年生だった僕はこの年を生涯忘れることが出来ないほど最高のシーズンとなった。
ずっとこのチームでサッカーをやっていけたら。
この頃はそんな風にも思っていた。

市内リーグも無事終わり、次のシーズンが始まるまでの数ヶ月は試合も全くなくチームメイトと顔を合わせることもなかった。
ひたすら自主練をし、スタミナや個人技を磨いていく。
そしてひたすらイメージトレーニングを繰り返していた。
この頃の僕は一人でいつでも出来ることとして空いている時間はイメージトレーニングをすることが多かった。
こういう展開を作るために味方に指示をだしこう動かす。
そして自分はこう動いていく。
相手がこうきたら自分の動きを変えていく。
いくつものイメージを繰り返すことが必ず実践でも役に立つ時がくる。
実際、このイメージトレーニングをした通りの実践も何度も経験していた。
だからイメージトレーニングというものは今でも自分自身からしたら大切なトレーニングの一つだと断言出来る。

3月も半ばを過ぎたある日。
久しぶりにチームのキャプテンから連絡がきた。
市内リーグの新シーズンが始まるまでにはまだ1ヶ月以上ある。
こんなに早く連絡がくるのは珍しいとは思っていたが、思っていたような用件とは違っていた。
チームメイトみんなで集まるから週末に来れないかという誘いだった。
普段はまだ高校生ということもありそんな誘いは一度もなかったが。せっかく集まるということで参加をすることにした。

週末。
場所は駅前にある居酒屋。
親や知り合いなどとは一緒に来たことはあったが、自分一人で入っていく居酒屋はこの日が初めてだった。
時間ちょうどに店に入ったが、もうみんなすでに集まっていて
「一番若いのが大トリできた」
誰かにこんなことを言われ冷やかされたが、愛想笑いだけ浮かべ空いている席へとついた。
基本的にいじられることは苦手で、どちらかといえば同年代に対してはいじる側。
そのため周りがみんな自分よりも年上という場所にいることはなかったためこんな時にどう対応していいのかも戸惑った。
ついてすぐに宴会が始まりこの日の集まりの理由がすぐに分かった。
大きな理由が2つあった。
1つはこの3月末で転勤する人が多くいて、スタメンだったメンバーの半分くらいは次の赴任先が近場ではないためチームに参加出来なくなるためチームを去るということ。
そしてもう1つは、その抜けていくメンバーの補充が出来なければチームが存続出来ないという話だった。
確かに人数ギリギリでやる試合も多い。
実際チームに登録している人は20人くらいはいるのだが、2年チームにいてほとんど見たことがない人もいた。
試合には来たいらしいが、どうしても部活や先生としての仕事も多くありなかなか来れない人もいるらしい。
だから今回の集まりはまずは転勤になる人とチームを去っていく人のための飲み会。
そして抜けていくメンバーを補充するため各学校で声をかけてほしいという、チームのメンバーを増やしましょうという飲み会でもあった。