●  希の秋  誠の春

秋は夕暮れ、秋はもみじ。春はあけぼの 春はさくら。

2006-02-03 20:04:43 | Weblog

  ● 願わくは 花の下にて春死なむ その如月の 望月の頃
                           西行法師(1118-1190)
  
  平安末期から鎌倉初期の歌僧で俗名/佐藤義清(のりきよ)である。
  もと北面の武士で23歳で謎の出家、陸奥から四国・九州まで諸国を旅した。
  述懐歌にすぐれ「新古今集」では最高の94首が入集している。
  家集「山家集」、聞書「西公談抄」がある。
  「撰集抄」は仮託だが後世の西行観に大きな影響を与えた。
  西行は、如月(2月)の望(もち)の日・15日の満月の頃、花(山桜)の下で、
  死にたいと願い、この歌に心を込めた。
  陰歴2月は現代の中春の頃に当たる、桜の季節である。
  又、2月15日(望の日)はお釈迦様の「入滅の日」でもある。
  西行は、建久元年(1190)2月16日願い通り没している。
  河内の国(大阪府南河内郡)の弘川寺で、享年73歳の生涯を終えた。
  西行の願いの通り、河内の国は、絢爛たる桜の満開の頃であったことだろう。
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2006-02-03 19:17:50 | Weblog

     ● たまゆら
          「たまゆら」とは、幾つかの玉が触れ合って出す音のこと。
          過ぎ去ってみれば、その状態がほんの短い一瞬の間であった
          ことを表す言葉である。

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2006-02-03 19:12:12 | Weblog

     ● 青春とは人生の或る期間を云うのではない
                人の心の様相を云うのである。
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2006-02-03 19:05:37 | Weblog

   ●  実行なくして結果はでない。
      押して開かない明日はない。
      押して開かなければ、
      引いて見たら良い。
      進むも勇気なら、退くのも勇気である。
      やって見なくては判るはずもない。

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2006-02-03 18:56:19 | Weblog


    ● 弱音を吐いては生きていけない。
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2006-02-02 10:12:20 | Weblog

    希の秋 秋は夕暮れ、秋はもみじ。
    誠の春 春はあけぼの、春はさくら。
    水の夏 夏は夕立ち、夏はうみ。
    凌の冬 冬は木枯らし、冬はほし。
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2006-02-02 09:45:28 | Weblog

以前、皇室典範改正の論議について、自分の勝手な考えを述べた。

その中に、皇太子・秋篠宮様のお二人の妃の名前(旧姓)について不思議な符合があることを書いた。
ところが、インターネットを検索していて、自分の他にも早くから気がついておられる方が何人かおられることを知った。

気がついている人がおられると思ってはいたが、自分が一番最初に気がついたかの如くの表現をしたことを謝しておく。

又 女性天皇に愛子様が即位され127代愛子天皇となられた場合、愛子天皇より女系天皇となると書いているが、この項は、愛子天皇のお子様が、愛子天皇の次に皇位継承された天皇より女系天皇となる。自分の間違いである訂正してお詫びしておく。

現行の日本国憲法第21条で保障されているように、我が国には言論の自由がある、主義主張も自由である。
だが、その中で名前の不思議な符合は、天皇家の陰謀である。とのサイトがあったが、このサイトは不自然である。
そのように、陰謀を企む必要性がないと考えるからである。むしろ、陰謀と思う程に日本の皇室とは謎の存在なのである。

平成18年の初春を迎え、報道では皇室典範改正にようやく重大性への認識が広がりだした。
神秘性と伝統の万世一系の天皇家125代に至る、「天皇家は男系で継がねばならない」という「男系」という唯一の原理を維持して欲しいものである。

天皇家125代とはいえ、父親が天皇の血筋という男系の確立は恐らく第26代継体天皇からと思うが、万世一系に何ら異存はない。

外国の王家と違い日本の皇室は武力で国民を服従させたわけではない、その権威によって国民から崇敬を受けてきた。
国民は皇室を唯一特別な家系として仰ぎ見て天皇の権威を高めてきた。
将来、女系天皇が即位されると、異質の天皇や皇室となる。国民は自分達と異ならない存在と感じるだろう。
皇室への近親感は増すだろうが、果たして天皇の権威を持ち続けて行けるだろうか。大きな疑問である。

今上天皇のあと現皇太子殿下が天皇になられ、その後愛子様が天皇になられるとすればどうなるか、まともに考えることも出来ない。
そして、遠い先の心配であるが、女性天皇に「道鏡のような問題」が起こったらどうするか。
それも、日本人ならばともかくとして、外国人の道鏡が現れて道鏡で終わらなかった場合、日本国の天皇は女系外国系天皇となる。

あるはずもない杞憂ではあろう。
だが、2000年に渡る天皇の皇位継承の歴史を平成の我々に変える権利はない。
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